第131話 怒りと言う感情とは何か。 #戦争 #平和 #心理学 #哲学 #とは #定期

怒りと言う感情とは何か。


怒りとは相手への変化欲求。


怒りと言う感情とは何か、これは相手に対し、その思考、認識、行動、結果等について変化してほしいと欲求を持つとき、暴力的衝動などによって、相手に強制したいと言う欲求が働くときに起こる感情のことを言う。


怒りとは相手への変化欲求である。


ここをわかった上で、相手に対し怒りに任せて暴力を振ったりすることで暴行罪に問われるような人がいるとして、このような人々は、他人に対し変化を要求するときに暴力的方法論が有効であると言う考え方を潜在的に持っているので、暴力を振るう事としてこのような感情を持つわけだ。


問題はそもそも、相手が暴力によって変化してくれるとは限らないわけで、暴力をふるっても相手が変化しない時、さらなる暴力をふるって相手に変化を求めることによって相手の自発性を失わせ、強制力によって変化を起こそうとすることが、そもそも有効なのかという問題。


自発性に基づいて協力して変化を起こすときは、他者が別の他者に怒りによって強制されなくても、協力関係を作って同意のもとに行動するため、暴力は必要とされない。


暴力が必要とされると考える人は、暴力の有効性を考えているわけだが、そもそも他人から強制されることに対し人は否定的感情を持つため、自発的に動く時と比べて、行動範囲や結果の範囲が狭くなる。


つまり生産性が非常に低くなるわけで、そもそも怒りと言う感情から暴力を振るうと言う行為そのものが他者を非常に生産性の低い存在へと変化させてしまうと言う事でもあるのだ。


この点に気づかず暴力によって問題の解決を図ろうと、怒りの感情をよく持つ人ほど相手に強制を繰り返すことによってより結果が出る範囲を狭くしてしまうため、結果としてその人物は得られる結果をどんどん少なくしてしまい変化の範囲を狭めてしまう。


また怒りやすい人と言う評価が周囲からついた人は、必然的に周囲から否定的に見られてしまうために、次の要求などを聞いてもらえなくなると言う傾向になってしまうため社会的にも予想される結果の範囲が狭くなってしまう。


単純に言えば全体として怒りと言う感情は有効性をあまり持たない。


そもそも人は他人から暴力を振るわれたくはないので暴力をふるって強制しようとする人から離れたいと思うようになる、つまり嫌われる。


またそういった人物が暴力的に振る舞うこと自体、周辺に暴力的関係を強いることになるため、その人の周辺からは人々がどんどん遠ざかっていて、結果として孤立しやすい考え方になる。


怒りとは変化欲求であり、他人に対して変化を求める衝動だと理解できるようになれば、暴力による変化を達成するよりも、相手の自発性に訴えて同意のもとに行う方が、結果範囲がより広がりより良い結果を出しやすいと言うことに気づけば、自然と怒りにまかせて行動すると言う行動パターンは消えていくことになる。


子供を虐待する虐待癖のある人々とは、このような感情の構造とプロセスについて理解が低く、そのため衝動的に行動し暴力を振るうために結果として犯罪者として逮捕されることになる。


自己の思考のプロセスに対する自己認識の能力の低さが虐待癖の構造。


子供への虐待問題と言う事について、怒りと言う感情の本質を理解すると言う教育はとても重要。


この認識が広まれば、必然的に社会問題としての、虐待問題は軽減されることになるだろう。


そして怒りと言う感情に対する理解度が高まる事は、結果として暴力の応酬の発生頻度を減らすことになり、戦争の発生を食い止めることになる。

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