第59話 戦争の過激化構造集団代名詞に対する確証バイアス型の演繹的錯覚構造としての自己像 2

戦争の過激化構造集団代名詞に対する確証バイアス型の演繹的錯覚構造としての自己像 2


生命保存欲求としての死の恐怖の克服として、死ぬことよりも名誉なことがあり、国家民族のためなら犠牲となって死ぬほうが意味のある人生だ、と洋の東西を問わず、指導者たちは人々に刷り込み続けてきた。


指導者たちは、死の恐怖で兵士たちが戦争をしなければ、指導者たちの利益のための戦争を人々が行ってくれないから、生命保存欲求を無視する人格をより育てようとしてきたのだ。


これが行き過ぎ、人を殺し自分を殺しても、国家民族の名誉のほうが大事と考える思考体ができる、


生命保存欲求と自尊心の順列が逆になってしまっている。思考が倒置的になっているのである。


そして自爆攻撃やクーデターを正当化する人格ができる。

集団代名詞に対する演繹的錯覚構造で、自己の名誉や尊厳、自尊心と集団の名誉が一体のものだと教え込まれ続けてきた人たちは、集団は素晴らしい=それに所属する自分も素晴らしい、国家民族が素晴らしいから自分も素晴らしいと、本当は直接は数千万人中の数百人くらいしか知らない自分の民族国家の人々を、知りもしないのに素晴らしいものと思い込み、自己肯定欲求の材料として考える。


すると今度は、国家民族の劣位性、国家の敗北や戦争の敗北を、単に政治的結果と考えることができず、自分の名誉や尊厳に直結するものだと考えてしまい、耐えられなくなる。


皮肉なことに指導者たちが刷り込み続けてきた、国家民族は素晴らしいのだというイメージとの一体化としての自己認識論を人々に広めてきたので、今度は人々が国家民族の敗北を自己尊厳の否定と一体と考えて、敗北を否定するためにも戦争継続を訴えて指導者に反旗を翻す。

集団の政治的敗北が自己の自尊心の否定と一体的になってしまうため、耐えられないのである。


本当は知りもしない集団性の比較優位性を自己の尊厳と優位性の理由と考えて悦に入る人格を育ててきたので、集団的敗北も他人事や政治的結果と冷静に考えられないのだ。


そしてクーデターを行おうとする。

政治的敗北は自己尊厳の否定だと勘違いしてしまうのだ。

知りもしない他人の集まりとしての集団代名詞の範囲を、自己名詞範囲と一体化しているためにおこる錯覚で、戦争が泥沼化し犠牲者が増えていく。


自尊心のためならたとえ何百万人が死んだとしても、名誉の死のために戦争を続けるべきだ、と、本末転倒な議論を始める。


生命保存欲求を否定し戦争継続体として人格設定をし続けることが、人々の戦争の狂気化を生み出している。


自尊心と生命とどちらが優先されるべきだろう。

まして知りもしない他人の生命も、同じ民族国家のためだからと、他人が犠牲にすべきだとなぜ判断し考えられるのだろうか。


彼らにとって国家民族の所属者たる他人は、国家民族の名誉=自分の自尊心を成り立たせるためのパーツなので、その自尊心のためなら人々は犠牲になるべきであり、それこそが名誉の戦死なのだ。


と、集団と自分の自尊心を一体化し、他人の生命もそのためのパーツとして利用しようとするのである。


そのような個体も、実際には自己の所属する民族国家の人々を、直接は1パーセントも知らないのだ。


頭の中で立派な国家民族国民像を描き、それに一体化した自己像を作り、そのイメージを成り立たせるために他人の生命と財産もまた使用することが当然だと考えてしまうのである。


このような錯覚構造で、何千万人もが死んでいったのである。


我々はこの集団代名詞に対する確証バイアス型の演繹的錯覚構造としての自己像の構築から解放されなくてはならない。


それは人類の未来を決める事である。

(2016年8月14日 日本のいちばん長い日という映画を見ている人に読んでいただきたい文章です)



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