第39話 自由な考え方について #戦争 #平和 #心理学 #哲学 #とは #定期 

 自由な考え方について


自由な発想と自由な発想を保障する社会が、新しい製品、新しい需要、新しい産業を生み出し生産性を拡大させ経済を拡大させる。


貧しさからの脱却のためには、自由な考え方を政治的にも保障しなくてはならない。


富の源泉は、資源や土地ではなく、人間の自由な発想と、自由な競争によって生み出されるものなのだ。


階級社会、封建主義に基づく社会は、人間を生まれながらにして、ある特定の職業につくことを条件付ける事が多い。


その社会での富の分配は、どの階級に属しているかが問題で、個人の能力や発想による富の分配は保障しない。


従って、階級社会、封建社会においては・自由が保障されず、自由な考え方も保障されず、従って自由な考え方に基ずく、新たな効率性や、発展性のある新しい発想や発明を押さえ込み、従って経済の発展も限定的になる。


自由な考え方は、階級社会にとっては敵である。


なぜなら、上部階級のものにとって、階級が高いということが、自分の富の安定性を生み出しており、そして上部階級の席の数は、下部階級に比べ数が少ないため、常に数少ない上部階級の席を維持しようと、下部階級の者の発達、発展を阻害しようとする。


自由な考え方が、上部階級の者の考え方よりも優秀である時、下部階級の者の考え方が上部階級の者を打ち負かしてしまうため、上部階級の者がその階級から追い出されてしまう。


それを止める為、上部階級の者は、時に暴力をもって、下部階級を押さえつけようとするからだ。


もし階級というものがなければ、人間本来の思考構造が、欲望への適格性を問う構造である以上、どの階級に属しているかということよりも、優秀かつ効率性ある考え方、つまりより欲望に合う発想や発明が普及し、それが階級に関わらず、普及することが、社会をより豊かにする。


階級を気にして、人々がお互いに相互不信で、お互いを追い落とそうとすることもなくなる。


もし子供が飢え死にしない社会、自分の人生を飢えと貧しさから逃れられる社会で生きたいと願うなら、階級を根拠に自分以外のものに追い落とされないように、注意深く他人を監視し、階級を根拠に他人の富を収奪することを当然とすることを辞め、自己の経済的安定性を、階級を根拠に揺るがされることのないように謀ることを辞め、それが上部階級にとって不愉快で不安定であっても、階級に関わらず有能な者が、競争によって階級差を逆転することを可能とする、自由で公正な社会、自由主義を容認しなくてはならない。


自由な考え方を容認する社会環境、そしてその為の、批判と検証を、常に容易に認める社会環境があって、始めて様々な自由な発想や発明が生まれ、新しいアイデアと発明と道具が生まれる。


 その循環の無い社会は、新しいアイデアと発明と道具が生まれず、従っていつまでも人間の苦しみが解決せず、同じ悩み事を解決する方法も生まれず、それが人々をいつまでも苦しみ続ける社会環境を生み、貧困と環境悪化が果てしなく続く事になる。


 つまり、貧困にあえぐ社会から人々を救うには、自由を容認しなくてはならない。


これは、問題に遭遇し、その欲望の目標に対する不適格性、つまり苦しみを理解し、新しい解決法を探り出す、という人間の発想の仕組み、思考のメカニズムの問題であって、主義主張、思想の問題では無い。


そして、その思考のメカニズムを、上手く活かし、作り出す環境としての社会環境として、自由な環境が必要なのである。


自由な環境とは、発想や発明を生み、より多くの苦しみを解決していく為に、必要な環境なのである。


貧しい社会に生きるか、豊かな社会に生きるかの選択は、階級主義か、自由主義かの、二者択一なのである。





わがままを言えるかどうか。


わがまま、とは欲求のことであり、欲望の発見は、消費社会においては需要の発見であり、新たなサービスと消費機会の発見であり、従って新たな商機の発見であり、売り上げと利益の増加を意味し、その欲求を叶える為に、様々な新しい方法や技術を模索することが、社会、世界全体の進化を生み出す。


 わがままを言ってみる事ができる社会は、進化し発展し、効率性の進化と、人々の苦しみを解決する技術の進化を生む。


 わがままを我慢する社会は、欲求の抑圧を強いるので、進化が生まれず、従って同じ苦しみを解決できないまま苦しみ続けることになる。


 封建主義においては、わがままは階級の上部に居る者にとっては、下部にいる者からの、上部階級への負担の要求でしかなく、階級差を逆転する契機であり、その挑戦は生意気な立場をわきまえない愚かな要求であり、自分の階級の高さを守るためにも、その要求をはねつける事が当然だ、と考える。


 上部者にとって、下部の者の要求は、階級差とその社会構造への挑戦であり、階級を根拠に保障されている自分自身の富の収奪の試みである、と考えてしまう。


 わがままを言えるかどうかは、階級主義、封建主義と、自由主義の分かれ目であり、それはつまり、人類の進化を肯定しているかどうかの分かれ目である。


(注 筆者は人間がわがままであるべきである、といっているのではない。念の為書いておく。)


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