第31話 戦争が起きる理由世界は錯覚で滅びかかっている集団名称における確証バイアス型の演繹的錯覚思考構造。#戦争 #平和 #心理学 #哲学 #とは #定期

世界は錯覚で殺し合い、滅びかかっているのである。集団名称における確証バイアス型の演繹的錯覚思考構造。


ある民族国家の人が、戦争において、別の民族国家の人を殺す。理由は、昔同じ民族国家の、知りもしない赤の他人が、別の民族国家の赤の他人に殺されたからだという理由→殺されそうになった人は

「確かに私と同じ民族国家の人が、あなたの家族を殺したかもしれないが、しかしそれは私と同じ民族国家の、私の知らない赤の他人がやったことで、私とは関係ないので殺さないでください」と言う。→でも殺される。→すると、今度は殺された人の家族が、殺した側の、同じ民族国家の別の人を、同じように殺す。→こうして、民族国家が違うというだけで、実際には知りもしない赤の他人同士が、赤の他人と殺し合うと言う関係となる。


問題は、では、自分自身が知っている、自分と同じ民族国家の人々は、何人ぐらいだろうかと考えてみると分かる事。


多くても数百人くらいだろう。


つまりそれ以外の人々、同じ民族国家の99パーセント以上を知らないのだ。


実はほぼ全ての人が、自分の国や民族の事も知らないし、まして他人の国や民族も直接は知らないのだ。


でも、殺し合う。


自分の国や民族の歴史を知っており、代名詞としての自分の民族国家を知っていると思い込んでいるのだ。


だがこのように順番に考えれば、実は誰も、自分の民族国家も、他人も民族国家も全く知らないのに、殺し合っていることが解る。


つまり、戦争とは、自分たちの事も相手の事もよく知らないのに殺し合っている、錯覚構造の殺し合いなのだ。


民族国家と考えると、人は知っている知識から、代名詞の一つとしての民族国家の観念像を脳に作り出す。

そして知っている、なぜなら勉強したから、もしくは代名詞1つの事であるから、と勘違いしてしまう。


勉強したとしても、知っているのは文章などで呼んだ第3者の伝聞情報によるものがほとんどで、また、ある民族国家の情報の1パーセント以下の知識にすぎない。


割合で考えればわかる。民族国家と言う時の、その範囲は、ある時間軸と地球上の面積範囲の一部を切り取って名付けて、区分けして考えているだけすぎない。それは区別の方法にすぎないのだ。


ところが脳は、その区分け範囲に対し、確証バイアス的にいくつかの知識から代名詞化した民族国家の観念像を作り上げ、全体の時間軸と面積範囲のごく一部分の知識を元に、


知っている


と勘違いしてしまうのだ。



そして、同じように、相手の民族国家についても、知っていると思い込んでしまう。


では、自分の、そして他人の民族国家の時間の全て、面積の全て、人々を直接すべて、知っているだろうか、と考えてみれば解る。


実は1パーセント以下しか知らない。つまり誰しも、自分の民族国家も、相手の民族国家も全く知らないのだ。


では、この殺し合いがなぜ続くのか、それは、赤の他人同士で知りもしないのに殺し合っているので、いつまでたっても終わらないのだ。


そして、実は知りもしない自分の民族国家を代名詞的に知っていると思い込み、その民族国家の観念像を元に、それに自分も入っているから、自分は素晴らしい人間だ、と、赤の他人の業績も自分に関係あると、名称上の共通性だけで勘違いした自尊心構造を組み立ててしまうので、その名称上の民族国家の過去の歴史の戦争を継続しなければならない、と勘違いしてしまうのである。


ヒトラーは、アーリア人の子孫だから自分たちはユダヤ人を殺すのだ、と主張した。


冷静に考えれば、昔アーリア人と言う区分けの仕方で区別した人々がいて、ヨーロッパで人を殺して勢力を拡大していたからと言って、昔の赤の他人の殺し合いを、別の時代のヒトラーたちが、継続してユダヤ人を殺してよいと言う理由にはならない。


ところが、自分たちはアーリア人なので、自分は素晴らしい、と、赤の他人の同じ民族国家業績も、自分の自己肯定の理由として、能力を問わずとも、自分は素晴らしいと思える、という錯覚、自分は同じ民族国家だから、共通なので自分にも関係しているという勘違い、冷静に考えれば同じ民族国家だとしても、赤の他人の能力と実績は自分とは関係ないのに、代名詞の範囲では共通しているから、自分にも関係あるという、このような勘違いをすることで、自分を肯定し、その殺し合いの歴史の継続者として自己認識すれば、自分が何もしなくても、自分は素晴らしいと思える、という勘違いをして、殺し合いに加わる人が増えていったのである。


つまり民族国家主義の本質とは、自己肯定感を得たいがために、他人の殺人の歴史の継続者として自分自身を位置づけることで、自己の犯罪行為の正当化を図ることに他ならないのだ。


犯罪はコストが低いので誰でもやりやすい。自己正当化しながら犯罪を続けられ、しかも犯罪を続け人を傷つけることが素晴らしいことだ、なぜなら私は歴史の継続者であり、民族国家をより暴力的に強くする自分の民族国家を成り立たせるパーツだからだ。


とこう考え、犯罪正当化と自尊心構築の罠にはまってしまう。


お互いの民族国家の人々同士が、このような勘違いで、知りもしない赤の他人同士で殺し合う。


ルワンダでは、フツ族とツチ族が、100万人殺し合った。


では、これらの殺し合った100万人は、知り合い同士だっただろうか。


おそらくほとんど、知りもしなかっただろう。


知りもしない赤の他人同士が、赤の他人を、民族国家が違うから、という理由で、冷静に考えれば、自分の民族国家も、相手の民族国家もよく知りもしないのに、殺し合ったのだ。


世界は錯覚で殺し合い、滅びかかっているのである。


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