オーリンズの剣

鼈甲飴。

第1章【転移編】

プロローグ〈誰しもが願い、誰しもが祈る〉



ーー痛い…………



ーー熱い…………



ーー苦しい…………



ーー辛い…………



その戦いは、何の為に。



その戦いは、誰が為に。



その戦いに、意味はあるのか。



その戦いに、意義はあるのか。




「はぁ、はぁ…………」



神は、少年に祝福を与えた。


戦いを生業とする者なら誰しもが羨む体格。それを扱う技術。

そして、何よりも世界で彼だけが持つ事の許された特性。



「あ゛ぁぁぁぁっ!」



だが人々は言う。それは、決して祝福などでは無く、ただの呪いだと。

世界の枷。少年は、世界の夢に、囚われる。



少年は思う。何の為か、また、誰の為か。


そんなもの、考えるまでも無い。


少年は言う。



ただ、己を信じた仲間達のために。

ただ、己を生んだ世界のために。




「はぁ、はぁ……ぐっ……⁉︎」


(こりゃぁ、まずいな……)



首筋を伝う血混じりの汗を拭い、少年は顔をしかめる。


少年に下された命令はただ1つ。

この場所を絶対に守り抜く事。


だが、敵の数は尋常では無い。


見渡す限りの敵。数千、いや数万は軽く超えているだろう。

防壁は破壊され、民家は蹂躙され、田畑は掘り起こされ、大地は踏みにじられる。


敵。


その姿は揺らめき、どこか儚い存在のようにも見えた。


しかし、それは確かに存在している。

目を凝らすと、だんだんとはっきり見えてくる。


その姿は、無理やり当てはめるとしたらいわゆる“ゴーレム”、というやつだろうか。


白く、大理石のように輝く巨体。


その手には人の身長程はあろうかという巨剣。


時折、その身体はまるでなにか電波が悪いテレビの画面のようにブれる。


あたかも、この世界ではまともに存在できないかのように。存在してはならないかのように。



その場所にはそのような敵がただ一箇所へ向かって前進を続けていた。


相対するのは、今や少年ただ1人のみ。


周りには、既に事切れているであろう騎士達の死体がいくつも転がされている。


一瞬だった。奴らは、騎士達を一瞬でなぎ倒し少年のもとへ迫ってきた。


その死を惜しむ間もない。

和気あいあいとしていた門兵達。いつも豪快に笑っていた弓兵達。身体が大きいが、その心は常に和やかだった重装兵達。


彼らの首が飛び、腕がちぎられ、足が宙を舞う。努力すれば絶対に勝てるだとか、故郷に帰る事を信じるとか、戦いの前の言葉がまるで無意味に、闇に返ってしまう。


悲しいと感じる暇も無かった。泣きたかった。叫びたかった。だが、少年には許されない。少年には、そんな時間は与えられていない。



死には、意味が必要だ。死んだ者の為では無く、残された者の為に。

だが、ここには生きている者は少年のみ。

そして少年には、彼らの死を悼む時間は既に残されていなかった。



少年が立つのはとある山の洞窟の前。


その場所の入り口が狭かった事が少年に有利な唯一の条件だったろう。入り口や通路内が狭いために、ゴーレム達はその巨体を上手く生かせない。


少年は、巨剣を振るってくるゴーレム達に、拳のみで応戦する。


その拳は血塗れ。敵の血では無い。自らの血である。


その姿は満身創痍。


切り傷、刺し傷。打撲。骨折。火傷。


もはや、敵が入り口を突破するのは時間の問題とも思える程に。

だが、少年は諦めない。諦めていない。

無限の太刀を避け続け、無限の盾に拳を打ち込む。


他の仲間達は先に向かった。少年に下された最後の命令。


この場所を、文字通り最期まで守り抜く。




『ゲート』が開いているのは残り数刻。

その数刻を守り切れば、少年の勝ち。



「俺は……守らなきゃ、ならないんだ……!」



ゴーレムの1体が、太陽の光に反射し、白光りした剣を振りかぶる。


余りにも神々しい。まるでそれは少年より遥かに上の存在が罰を与える光景にも見えた。


断罪の剣。


他のゴーレムに気を取られていた少年は咄嗟の事に反応出来ない。



「ぐぅっ⁉︎」



右肩から左脇腹にかけて深い傷が出来る。


上半身が赤く染まり、少年の身体から力が抜ける。

ゴーレムの剣は血を吸い、その力を増していく。今一度、大剣は天を向き、轟音を唸らせながら少年の首へと向かう。



『……?』



呪い。身に余る祝福は、呪いと化す。

誰がが言ったそんな言葉を少年はふと、思い出す。


血が固まり、傷が紫に変色していく。おぞましい。いっそこの傷で生きていたらもうそれは奇跡などでは無く、何かの間違いであろう。



だが、少年は倒れない。


今まさに断頭せんと向かってくる大剣の腹を殴り飛ばす。



「ぐぅ……!」



呼吸を乱しながらも必殺の一撃を回避し、ゴーレムを倒さんと肉迫する。



「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛⁉︎」



衝撃。続いて、爆音。


ゴーレムの上半身が弾けとび、行き場を失った下半身がユラユラと揺れ、そして倒れる。



バリィィィィン…………



命を散らしたゴーレムの下半身は、すぐさま爆散し、霧散する。


まるで、元の世界へと戻っていくかのように。ゴーレムだったものは空へと上がり、そして消えていく。


その敵がそこに存在した痕跡は、少年に確かに残る傷を除いて微塵も無い。


血は流さず。


声もあげず。


倒しても倒しても迫り来る敵は、もはや同じ次元の存在とは思えない。



少年は歯をくいしばる。


『ゲート』を渡るには時間がかかる。


そして仲間達が『ゲート』を渡る時間は、この瞬間、自分が稼いでいる。



本来なら、少年も共に渡るはずであった。


しかし、このような状況になってしまっては、少年が渡る時間は無い。


一体誰が少年が『ゲート』を渡る時間をくれるというのか。




「……まだ、なのか……?」



殴る。蹴る。ちぎる。投げ飛ばす。


少年は必死に敵を排除する。願わくば、その勢いが途切れる事を願って。


だが、敵は途絶えず。


その勢いは衰えず。


敵が攻撃を止める事も無い。


そろそろ時間切れ。そもそも『ゲート』が閉じさえすれば、少年が戦う意味は無くなる。少年が、生きている意味は無くなる。


ここで、終わり。ここで、お終い。


傷に傷を上塗りされ、もはや意識は朦朧としている。


もう誰も、彼の名前を呼んではくれない。


もう誰も、彼の顔を見てはくれない。


もう誰も、彼の前で笑ってはくれない。


もう誰も、彼の事を知る者はいない。



「……あぁ、良い人生だった……」



否。周りの者からすればその人生は順風満帆とは言い難く。

また、決して恵まれた物では無かった。


それでも。


たとえそれが少数だったとしても。



己を信じてくれた仲間がいた。

己に託してくれた仲間がいた。



その変わらない真実は、今も尚少年の拳を動かし続ける。





永遠とも、永遠とも思える時間。それは、果たして永遠では無かったのかも知れない。

もしかしたら、一瞬だったのかも知れない。

それは、もはや少年には分からなかった。知る術が無かった。

そして、少年には知る必要も無かった。



『ゲート』が閉じ始めるのを感じる。これで、この戦いももう終わり。


これで、この生ももう終わり。


刺された。斬られた。吹き飛ばされた。


ゴミのようにヒラヒラと舞う少年の身体は、既に少年と呼ぶのも憚られた。


身体から流れる血も既に売り切れ。彼にはもう、何も無い。


ゴゴゴゴゴゴゴ…………


地鳴りのような音が鳴り、世界に亀裂が入り始める。黒い亀裂。そこから、ゴーレム達が落下していく。



「あぁ…………」



少年のその言葉の後に続くのは、一体何だったのか。だが、少年の口はそのまま動かなくなり、目はゆっくりと光を失っていく。



「…………お兄‼︎」



おかしい。聞こえるはずの無い声が聞こえる。



「お兄⁉︎」



そうか。これは、幻聴だ。既に『ゲート』を渡ったはずの者の声が聞こえるわけが無い。

死に際に、最期に、聞きたいと思った声が思い出されただけ。



「お兄!」


「な……ん、で……」




少年が守りたい、と思ったもの。


それは、決してこの場所のみでは無い。



何よりも守りたいと思っていた大切な少女かぞくが、まだそこにいる。


数万の敵の前で倒れる自分のそばに。



「お兄に、手を出すなっ!」



少年は必死に伝えようとする。。俺になど構っていないでお前だけでも早く渡ってしまえ。


だが、きっとこの少女は少年の願いを戯言と言って切り捨てるだろう。


少年が少女を守りたかったように、少女もまた少年を守りたかったのだ。


少女が膝をつき、手を傷だらけの少年の胸に当てる。



「治って……」



淡い光が少年を包み、傷を癒していく。


迫り来る敵。何体ものゴーレムが剣を振りかぶり、少女に振り下ろそうと迫ってくる。


だが、少女はゴーレム達を気にも留めない。少年の傷が癒えるのを一心に願い、必死に力を込める。



ゴォォォォォン…………



ゴーレムが加速し、少女に大剣を振り下ろす。



だが、その大剣は少女にはかすりもしない。



「がっ……あぁぁぁぁ!」



少年は力を振り絞り、少女を抱き抱え、通路の奥へと走り始める。



足止めの為、少年は今まで守っていた入り口、通路の先にある部屋に向かうために、地面を力いっぱい殴る。


通路は激震し、天井は崩れ落ちる。


通路は意外と脆い。だが、ゴーレム達はここを通る他は無い。


この通路を通らなければ、『ゲート』にはたどり着け無い仕組みなのだ。


だが、こんな事で足止めできるなら始めからやっている。


すぐに目の前の瓦礫は爆風で吹き飛ばされる。

少年は必死になって走り続ける。


後ろには瓦礫を乗り越えてきた無数の敵。


部屋にたどり着くと、すでに『ゲート』は閉じかけていた。もう半分くらいしか開いていない。



「何で……戻ってきた!」


「置いていけるわけない!それより、早く!」



少年は決死の覚悟で飛び込む。


少女だけ投込むという選択肢は、この場合は存在しえない。『ゲート』が閉じかけている今、結局は時間が稼げても稼げなくても同じこと。



「うわぁ……」



その少女は吐息を漏らす。


『ゲート』の中は、少年達が見た事の無い世界。


これがきっと日本に住む者なら。

地球にいる者なら『ゲート』の中に広がる光景を、きっと“宇宙”だと言っただろうか。


だが、『ゲート』に踏み込んだ2人はその存在を知らず、またこれからも知る事は無い。


突然、追いついたゴーレム達が『ゲート』を無理やりこじ開けようとする。



「っ⁉︎お兄……!」


「大、丈夫……」



ゴーレム達が『ゲート』にその巨体をねじ込んだ瞬間、その身体は霧散し、遂に『ゲート』が閉じる。


元々、ゴーレム達は少年達が開いた『ゲート』を渡る事は許されていなかった。


だか、ゴーレム達の目的は自分達が渡る事では無い。


ゴーレム達は少年達の全滅を目的としていた。


その目的が果たせなくなった以上、やるべき事は他にある。



『ゲート』が歪む。

たったそれだけの事で目的を果たせなくなる者がいる。



「お兄!まずいよ⁉︎『道』がっ⁉︎」



目の前に開かれた空間が歪む。


『ゲート』が無理やりかけられた負荷によって閉じた事によるルートの消失。




『道』が消える。


『道』が消えた、という事は少年達が向かうべき場所へ辿り着けなくなった、と同義である。



「ぐっ……⁉︎」



突然の浮遊感。身体がぐちゃぐちゃにかき混ぜられる感覚。


痛みでは無い。

だか、圧倒的な不快感。


横にいた少女は苦悶の表情だ。





隣にいる大切な少女を守りたい。



先に向かった仲間達はどうなったのか。



自分達の世界はどうなったのか。



自分達はどうなるのか。



心配事なら腐る程ある。



だが。



少年は思う。



それでも。



まだ、生きている事が許されたのだとしたら。



まだ、その機会があるのだとしたら。



自分のやるべき事はたった1つ。



守りたい。



どの世界でも。



どんな世界でも。




「……俺、はっ……!」



お前を守るから。



少年は願う。せめて少女の隣にありますように。


少女は祈る。自分を守る、と言ってくれた少年が、どうか無事でありますように。




少年と少女は静かに抱き合い、歪み続ける空間の中に消えていった。

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