Glorious World Part.2 -HALCYON
北原 亜稀人
第0話 Junction
壇上には一台の古いブラウン管テレビが置かれている。スイッチは既に入れられているらしく、筐体の右隅には緑色のランプが灯っている。映像は何も映し出されていない。より正確に言うのならば作為的な「暗闇」が映し出されている。「彼」の演出は決して目新しくはない。どちらかと言えば彼は古典的な仕掛けを好むのだ。それはおそらく、彼の伝えたい意図を発信するにあたってその方が適当だから。高輝度のモニタや壮大で雄弁な映像は一つも彼の助けにはならない。
暗いブラウン管に変化が現れたのは、我々がじっとその光景を見つめ続けて約五分が経過した頃だった。映像としての作為的な暗闇が揺らぎ、かわりに映し出されたのは深夜のテレビでお目にかかるSMPTEカラーバーだった。壇上の照明は灯らないままだ。シアンやマゼンダの並んだカラーバーがその単調な色をばらまき続けている。彼の声が聞こえてきたのは、この引き延ばされたような時間が更にもう三分近くも続いてからのことだった。
「世界にせめてひとときの凪が訪れたなら、きっとそれは何にも代えがたい幸福なのでしょう。そう、つまり現実にはそんなもの、訪れない。何処かでいつでも誰かが不幸に涙を流す。死に瀕する。消える。生まれる。痛みを覚える。嘘をつき、嘘をつかれます。世界は、そうして繰り返されていくから」
カラーバーが去る。代わりに、静かな、微動だにしない水面が映し出される。それはとても病的で、非現実的な光景だ。空気すら死に絶えたような世界。水面はいかなる存在すらも許容せず、全ての生命を黙殺し、ただじっとそこに在り続けている。
「それは救いではありません。どちらかと言えば滅びに近いもの……だからこそ我々は手にした事のないものとして、それに焦がれるのかもしれません。また幾つかの世界の物語を始めましょう。この場所が意味を持ち、我々がその存在を互いに認め合うために、それは避けて通れないことですから」
彼の声は遠ざかり、次に流れてきたのはアントニン・ドヴォルザーク交響曲第9番 ホ短調 作品95、「新世界より」。我々にとって馴染みの深い第二楽章だった。遠き山に、日は落ちて。世界の静寂と喧騒の隙間。〝せめて、ひとときの凪が訪れたなら〟。
ブラウン管から、「在り続ける水面」が消えた。リモコン操作されたのだろう。主電源が切られたらしい。緑のランプも消えた。「新世界より」のヴォリュームがひときわ大きくなり、そして消えた。始まりを知らせるベルの音が鳴る。物語が、始まる。
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