雪丸 挽歌ー中世葬送秘話―

sanpo=二上圓

第1話

一つ、二つ、三つ……四つ、五つ、六つ……七つ、八つ、九つ……


 川面を滑って白い血飛沫ちしぶきのようにしずくが跳ね散る。

「やあ! 見事なものだな!」

 雪丸ゆきまるは吃驚して振り返った。

 昨日今日と仕事がなくて暇を持て余していた。腹もすいていたし。

 それを紛らわせようと石を拾って投げて遊んでいたのだ。

 石だけは河原に嫌と言うほどある。これが食えたらと、何度思ったことか。

「おい、おまえ、大した腕だな?」

「ふん、この程度の石打ちくらい──」

 どうと言うことはない。河原に住む者にとって、石は食うことはできないが、遊び相手にはなるからな。

 そう言おうとして、だが、雪丸は口を噤んだ。

 声をかけてきたのが、放免ほうめんを引き連れた検非遺使けびいしだと知って姿勢を正す。 


    ※放免=元罪人の従者・警吏 

※検非違使=平安時代、都の治安を預かった官人。警察権、裁判権を有す

 

血色の良い端整な顔。堂々たる体躯を黒刷りの蛮絵装束に包んだその検非遺使は気さくな調子で訊いてきた。

「見ない顔だが。 名は何と言う?」

「……雪丸」

「ふむ、ちょうどおまえのような器用な輩を捜していたところだ。いい仕事をやるぞ、ついて来い」



 雪丸が与えられた仕事と言うのが〈犬狩り〉であった。

 内野うちの彷徨さまよう野犬の群れについては雪丸も知らないではなかった。最近、その数がとみに増え、綸旨りんじが下ったらしい。 

※綸旨=帝が命じた勅書

 〝内野〟とは大内裏だいだいりの一部が、官庁の移転等で野原化した地域を言う。

 そこを犬どもが我が物顔に徘徊する。

 このこと自体はさほど恐ろしいことではない。

 やんごとなき貴種の人々が恐るのは犬ではなくて──〈五体不具穢ごたいふぐえ〉だった。

 跋扈する犬たちが何処かから屍骸の一部をくわえて来て、貴人の邸や、果ては大内裏の中に放置する。

 万が一にもそれらが自邸の敷地内で見つかろうものなら、それは〈五体不具穢〉または〈触穢しょくえ〉と言って、七日から三十日の物忌ものいみを余儀なくされる。

 康和四年(1102)、当時の摂関家高陽院かやのいんで子供の手足が見つかり物忌した。

 長治二年(1105)にも、また死人の頭部が打ち捨てられているのが見つかったと記録にある。

 摂関家の邸宅にしてこの有様である──

 そして、その原因が、犬なのだった。

 とうとう貴人の邸の門に取り付ける特製の柵まで考案されたのだが、そんなものでこの種の災難を完璧に防ぐことなど不可能だった。

 雪丸自身は〈犬狩り〉に従事するのは初めての経験だった。

 必要があるとその都度、検非遺使から与えられる〝常の仕事〟──河原の清掃や往来での屍骸回収よりはずっと楽だろうと思って喜んだ。



 果たして、その通りだった。

 雪丸は、予め河原から適当な小石を拾い集めて襤褸ぼろ布で作った袋に詰めて腰に下げた。

 そして、打ち合わせ通り、衛士を率いた検非遺使の待つ方向まで犬の群れを飛礫つぶてで追い立てた。

 雪丸が繰り出す石の雨に逃げ惑い、追い込まれた犬たちを検非遺使たちが一網打尽に取り押さえるのだ。運悪く、直撃を受けてしまった犬は後でゆっくり回収すればよい。

 従来の棒で追い回すやり方に比べて、これは目を見張るほど効果があった。

 雪丸を採用した検非遺使の中原某は己の慧眼に鼻高々である。

 勿論、この場合、自分の石打ちの腕前あってこそだ、と雪丸は雪丸でこっそり北叟笑んだ。

 この調子なら、十日、いや、半分の五日もあれば、内野と言わず、京師みやこ中の犬は全て狩り尽くせるかもな?

 大いに気を良くした雪丸。

 その翌日、一匹の犬と遭遇した。



 今日も河原からたっぷりと石を調達して来た。

「さてと」

 まずは、目の前を横切った犬に石を打つ。

 雪丸の手から放たれた石は、清々しい朝の空気を裂いて鮮やかに飛んで行った。

 憐れ、痩せ犬の脳天に命中──と、思いきや、

 何と、石は乾いた音を立てて草叢くさむらに落ちて転がった。

 犬がかわしたのだ。

 雪丸は目をまたたいた。

 それは白に茶の点々が散った、大きさは中程度の犬で、あばらの浮いた姿が妙に誇らしげで美しかった。

「マグレだろう? 運がいいな、おまえ? だが、二度目はないぞ!」

 その二投目。しかし、それも躱した。

 明らかに犬が自分で巧みに躱しているのだ。

 それを悟った時、雪丸のはらわたは煮えくり返った。

 俺の飛礫を次から次へと──ほら、また!──躱して行く……

 それだけでも面白くないのに、時々、立ち止まって、まるで嘲笑あざわらうかのように雪丸を見て尻尾を振るのだ。

「あんの野郎……!」

 腰の石が失くなりかけているのに雪丸が気づいたのは、このたった一匹を追いかけてどのくらい経ってからだろう? 

 それほど我を忘れていた。

「おい、ここは──何処だ?」

 雪丸は自分が、検非遺使たちの待つ方角から逸れてしまったのに気づいた。

 戻ろうとした時、サクサクと草を踏む音がした。

 地の底から、いつの間に湧いたか、と思うほど、何匹もの犬が雪丸を取り囲んでいた。

「!」

 思わず手をやった腰の袋に石は三つばかり。

 これでは到底、足りない。

 四方からジリジリ輪を縮めて来る犬どもは、ザッと見ただけで二十匹はいる。

 犬畜生にハメられたか、と歯噛みした時、自分を誘ったあのまだらの犬の後ろに人の影を見た。

 朝風になびく長い髪のせいで、一瞬、陽炎かげろうのようにも見えた。あるいは、物怪もののけったようにも。

 が、たたずんでいるのは、明らかに人の形だった。

「おまえ、何故、俺たちをいじめる?」



 それは雪丸とそう変わらない年頃の少年だった。

 思わず雪丸はさっきの犬と見比べてしまった。どことなく兄弟のように似ている気がして。

「昨日、今日と、飛礫で何故、俺たちを虐める?」

「そりゃ」

 雪丸は答えた。

「検非遺使に雇われたからさ。つまり、昨日今日と〝これ〟が俺の仕事というわけじゃ」

 腰の袋に手を入れたままの雪丸。石が三個なら、群れの首領を狙う。それが喧嘩の鉄則だと知っていた。

「検非遺使や、ひいては貴人の方々は困っておられる。触穢が絶えないと言って嘆いておられるぞ!」

 少年は髪を揺らしてせせら笑った。

「それは俺たちのせいか?」

「え?」

「屍しかばねを放っておく、奴ら自身のせいだろうが?」

 むしろ俺たちは感謝されるべきだ、と少年は言った。大路小路に溢れる塵芥ちりあくたを少しでも片付けているのは他ならぬ俺たちだぞ?

「俺たちがいなければもっと酷いことになっている」

「そう言われりゃ──その通りだな!」

 思わず雪丸も笑ってしまった。

 そもそも、これほど京師中に溢れている屍骸を放っておく方が悪いのだ。

 咥えて走る犬を始末するより、要はキチンと死骸を片付けること。そして何より──死骸を出さないようにするべきなのだ。

 実際、命じられるまま屍を回収して来た側の雪丸である。少年の言わんとしていることは即座に理解できた。

 それに年齢だけでなく、風体が似ている点もこの少年に親しみを覚えた所以ゆえんかも知れない。

 少年が身につけている装束は意外にもこざっぱりしている。

 その出処は容易に想像がついた。どうせ、行き倒れから剥ぎ盗ったに違いない。

 自分もそうだから。

「さっきから、〝俺たち〟と言っているが、では、この犬は全部、おまえが飼っているのか?」

「さあな」

 今度笑うのは少年である。

「どっちが飼っているのか、飼われているのか、わからぬ」

「ふーん、俺は雪丸。おまえの名は?」

「名か?」

 少年は初めて悲しげな顔をした。

「さあな、それも、よくわからぬ……」



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