第二章 (参)

 馬鹿にされているのかと言う疑問と、居心地の悪さも手伝って、心は更に続けた。

「例えばおれが、石動さんに見事にお茶を立てたら、軽い驚きと興味を持たれるかも知れません。或いは、石動さんの知らない立て方をしたら」

 微妙に語気が早くなる。

「そうすると、ここの空気が少し揺らぐ。その変化は小さいけれども、次はどうなるのかと言う期待が生まれます」

「確かに」

 更に続けようとする心を遮るように、行斗は同意した。

「完結していては、つまりませんね」

 行斗の顔にうっすら笑みが浮かんでいた。

「あなたには、何か求めるものはありますか?」

 真っ直ぐな問い。

 自分自身にさえ嘘をつく事がある心には、答え辛らかった。

「あるような、ないような。一言では言えません」

「訂正しましょう。〈これだけはやっておきたい〉と思う事はありますか?」

 何故こんな事を問われているのか。

 何故こんな事に答えているのか、自分でも良く分からない。

 でも誤魔化せない。

 自分を形作る根本に関わるとこを突かれていて、心は逃げられなかった。

「より広い実感の世界へ踏み出して……、済みません、良く分からなくなりました」

 行斗は再度茶せんを動かした。

「まあ良いでしょう」

 自分に茶を立てると、しかし行斗はそれには口をつけなかった。

 茶は、椀からこぼれそうなほど並々と立てられていた。

「私には欲しいものがあります」

 その告白は、心を軽く驚かせた。

 能力も資産も地位も、欲しいものは全て揃ろっているように心には思える。

「欲しいものばかりです。そう、私は何一つ得てなどいません」

 行斗は、すっと自然に椀を持ち上げた。

 その並々と立てられた茶をこぼしもせずに。

 余程体の使い方に長けた者でも、なかなかこうはいかない。

「今の私に得られるのは、この手の届くものだけでしかない。或いは、目に映るもの。或いは、学ぶ事ができるもの。或いは、想像できるもの。今の自分に分かるものしか、得られない」

 行斗は、椀を目の高さまで上げた。

「物、地位、財産。私が得たいのは、そんなものではありません。表面的なもの、ではないものです」

 椀を、すーっと臍の前まで下ろす。

「人であるとは、どういう事でしょうか」

 自問自答するように、行斗は続けた。

「人であると言う事は、制限されていると言う事です。人とは不自由なものです。でも、それに抗うように人は様々なものを手に入れてきました。人とは、抗うものです」

 手元で椀を回しながら、行斗は続けた。

「考えてみると、面白いものです。制限に抗い続ける。自分以外のものに抗い続ける。欲望にさえ抗い続ける。或いは自然の理にも。人はまるで、人である事に不満を持っているようではありませんか」

 行斗は、その手を止めた。

「太古、人は何かであった。その制限された何かは、しかし、やがてその制限を超えて人となった」

 椀の中の茶を、行斗は静かに見つめた。

 その瞳に映る茶の色は、本物よりも濃く深い色をしていた。

「では、人である制限を超えたらどうなるのでしょうか。人は何に変わるのでしょうか。何がくるのでしょうか。そう思った事はありませんか?」

 行斗は椀を、口元まで持ち上げた。

「観たいのですよ」

 並々と立てられた茶を、一気に飲み干した。

「人の次を」

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