第6章 仮面の商人 (3)

 その翌日の昼前。

 アヴァインは、州都アルデバルからアクト=ファリアナ行きの馬車に乗り込んだ。8頭引きの駅馬車で、最大25人までが乗れる、屋根付きの大きな駅馬車だ。片道、銀貨8枚で1日半掛けて進む。食事は、各自で用意し。最初の晩だけ、野菜スープのみが出る。あとは、2時間度の小休憩時などを利用して、適当に食べるのだ。


 アヴァインは、白パンとチーズに乾し肉。それから、ぶどうの搾り汁を二日分買い込み、乗り込んでいた。ついでに、アクト=ファリアナで売れるらしい州都アルデバルで流行の衣服や靴に帽子を数種類買い込み、銀貨200枚を支払った。


 衣服類は嵩張かさばり量も多い為、人を雇い、馬車まで運んで貰う。一人あたり、銀貨3枚を支払った。


 更に、馬車でも同じく場所を多く一人で取るとかで、別料金として銀貨8枚を取られてしまった。荷物は全て、馬車の屋根に紐で括り付け、一人の少年がその馬車の上でそれを監視しながら移動する。その為の費用と場所代、手間賃、という事らしい。


 そんな訳で、結局片道に掛かる費用は銀貨16枚だ。

 手元の銀貨は、残り37枚。


「世の中、何をするのにもお金なんだなぁ……」


 アヴァインはそう思い、ほぅとため息をつく。


 手元のお金も随分と減ってしまった……向こうに着いたら着いたで、少なくとも1泊はしたいし。また紹介料とかで、お金を取られる筈だ。そう考えると、もう余裕がなさそうだ。


 それにしても……狭い馬車へギュウギュウに積み込まれ、身動きも取れない状態だった。しかも、馬車の車輪が石とかの上を乗りあげる度に、『ゴトン☆ ゴトン☆』と大きく揺れ、その度にお尻を打ってしまい痛くて堪らない。



 やれやれ、早くアクト=ファリアナへ着いて欲しいものだよ……。



 州都アルデバルを出発して2時間後、馬車は止まり。ようやく小休憩に入った。

 約15分間の小休憩だ。

 馬車が止まると直ぐに、中から皆が飛び出す様にして急いで降り、背筋を伸ばしたりしている。中には、ゴロンゴロンと転がり大の字で寝そべっている者も居た。


 気持ちは、とてもよく分かる。


 アヴァインも同じく、飛び出して大の字で寝そべり、空を見上げた。


 青空を、雲が緩やかに走っている……。実に、穏やかだ……。

 こうして、落ち着いて考えて見ると……今から3ヵ月程前まで、自分がこんな所でこうしているだなんて、想像すら出来ない事だった。


 人間、いつどうなるかなんて、本当に分からないものだよなぁ……。



 つくづくそう思い、空を遠目に見つめ、ほぅとため息をついていると。街道の先の方から、10騎程の騎兵を先頭にして、1両の豪奢な馬車が通り過ぎてゆく──。


 その中に、ファーの姿を捉えることが出来た。という事は、あの馬車の中には、オルブライト様が乗っていたのかもしれない。

 いや、ケイリングか?

 その姿も、今となっては懐かしく思えるほどに遠い記憶だ……。


「ねぇ、ねぇ、お兄さん」

「え?」

 そう思い目を瞑ると間もなく、馬車の屋根の上で荷物を見張っている少年がアヴァインの顔を覗き込む様にして、満面の笑みで声を掛けて来たのだ。


「余りこの辺りじゃ見掛けない顔だけど。どこからやって来たんだい?」

「えーと……」

 自分は追われている身だ。余りそう、ペラペラと正直に素性を話す訳にもいかない。事実、州都アルデバルの数箇所で、自分の手配書が張られてあるのを見掛けている。

 だけど、幸いというべきなのか……その手配書の顔には……。


「それにしてもお兄さん。その顔の傷、物凄いねぇー! 最初、怖い人かと思って。驚いちゃったモン」

「……」

 アヴァインの顔には、右目の上辺りから左斜めに左目の下辺りまで、ガストン・オルレオールに切り付けられた傷跡が今でもハッキリと残っていた。

 ところが、手配書には、この傷が無い昔の自分の似顔絵が描かれてあったのだ。


 ただの、手配ミスなのか。それとも、誰かの温情なのか……正直、それは分からない。だけど、そのお陰で今まで誰一人として気づかれずに済んでいたのは事実だった。


「ハハ。昔の友人とちょっとだけ、ふざけてやり合っていてね……。まあコレは、事故みたいなモノなんだよ」


 そう……ガストンはただ、自分の職務を果たしたに過ぎない。この傷について、彼を恨む気持ちなんてこれっぽっちもなかった。あるのは、自分の未熟さ故に、ディステランテ・スワート評議員を取り逃がしてしまった自分自身に対する、情けなさのみだ。


 アヴァインの中で忘れかけていた何かが、再び、燃え上がるように込み上げて来るのを感じた。


 ルナ様……。


「アハハ♪ 楽しい遊びも度が過ぎれば、身に掛かる災難にも変わる、って言うけど。本当なんだねぇー」

「え?」

 その言葉は、余り聞き慣れない言葉だったが……何だか、分かる気がする。


「おい、コージー! そんなトコでいつまでもサボってないで、ちゃんと荷を見張ってろよ!!」

「あいよっ! マルホイの兄さん」

 少年はそれでスッと立ち上がり、馬車の方へ向かって戻ろうとする。


「君、コージーっていうの?」

 行こうとする少年をアヴァインは呼び止め、そう尋ねていた。

 そこで少年は立ち止まると、振り返り「うん!」と嫌な顔一つ見せず、笑顔で答え「いい名前だろう? 死んだ、おいらの父さんが付けてくれた名前なんだぁ♪」と、笑顔のまま自慢気に答えてくれた。


「死んだ……って?」

「うん、戦争でね。でも、アナハイトって土地で、この国の勝利の為に物凄く貢献したらしいんだ! 

今は病気がちの母さんの為に、ただこうして働いているだけなんだけど。将来はおいらも立派な軍人になって、この国の為に、働くつもりなんだぜ。

父さんみたいにさ!」

「……」

 余程、周りの者はこの少年コージーを励ますつもりでその父親の働きを称え、印象良く伝えたのだろう。少年コージーが見せるその表情が、その事を物語っている。


 こういうのは、よくある話だった。


「ハハ。そうか……道理で、良い名前な訳だ」

「だろ♪」

 少年の笑顔が、痛々しくも眩しく感じる。


「君の母さんの病気、早く直ると良いね。ところで君、年齢は?」

「12歳だよ♪ 母さんの病気なら必ず治るさ! うちの村に居るヤブ医者が、そう言ってたからね。

なんでも、銀貨30枚も出せば良い薬があるんだって!」


「へぇー……それは良かった。安心したよ」

 そんなにも都合の良い薬なんて、本当にあるのか? 

 そもそも、ヤブ医者って……それ、大丈夫なのかぁ? ちょっと心配になるが……。


「じゃあー……そうだな。君に、コレをあげるよ♪」

 アヴァインは皮製のバックの中から袋を取り出して、コージーに手渡した。コージーはその中身を見て、驚いた顔を見せている。


「ダメだよ! こんなの、貰えない!! だって、母さんから叱られちゃうよ!!!」

 袋の中には、アヴァインの全財産である銀貨37枚が入っていたのだ。


「良いんだ。それで君の母さんに、その治るっていう薬を買ってやって」

「だけど!」


「コージー。お金なら、また稼げば良い。それで済む。

だけどね、人の命は……お金では、買えないものなんだよ」

 そう……一度失われた命は、幾らお金を積んでも、もう戻りはしないのだ。繋がる命ならば、今、使うのが一番なのだ。


「……わかったよ。じゃあーコレは、借りとくね。きっといつか、ちゃんと返すから!」

「ああ、期待しないで待ってる」

 アヴァインはくすりと笑いながら、そう言った。


「ヒっドイなぁー! そこは一応でも、期待しててよ♪」

 コージーは満面の笑顔で笑い受けながら、そう答えていた。


「だけどお兄さんって、言ってる事がまるで商人らしくないよね? 商人は、お金のことしか頭にないものだと思っていたけど。案外、そうとは限らないんだね? 

だって、よっぽどうちの村のヤブ医者よりも、医者らしいこと言ってるし♪」」

「ハハ♪ そうかい?」


「うん♪ ところで、お兄さんの名は?」

 問われ、少し考えたあと。アヴァインは、こう答えることにした。


「アーザイン……アーザイン・ルクシードだ」

「へぇー。お兄さんも良い名前だねー♪」


「おいッ! コージー!! 何をいつまでもそんなトコで、サボってやがる!? 早くしろっ!」


「はい、はあーい! ごめんなさい、ソワンジの兄さん。

じゃあー! またね、お兄さん。それから、本当にありがとう!! コレできっと、母さんは元気になるよ♪ 

うちの母さんにも、この事、ちゃんと伝えておくからさー!」

「ああ! ハハ♪ 期待しないで待ってるよ」


「だぁ──かぁ──らぁ──! そこは一応でも、期待しててよー!」


 少年は、駆け足に馬車へ向かいながら手を振り振りそう言い。それで、馬車の屋根の上に上がって荷崩れがないか等を確認している様子だった。


「では、そろそろ出発をしますので。皆様、またお乗りください!」

 マルホイとかいう男のその言葉を聞いて、皆、再び馬車の中へと乗り込み始める。


 アヴァインもそれで立ち上がり、馬車の中へと乗り、間もなく馬車は再び『ゴトン☆ ゴトン☆』と車体を揺らし弾ませながら走り出した。


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