第9話 休日の決闘(後編)
【小麦粉】
……小麦粉の説明って必要かしら?
必要ないわよね。
薫さんが降ろした茶色い紙袋から、白い粉が舞い上がる。
「……マスター、名前から察するにあれは麦の粉ですか?」
「え? あなた小麦粉知らないの?」
「知りません。そば粉のようなものですか?」
そば粉は知ってるの?
「名前に『小』とついているからには粒が細かいことは想像出来ますが。それが魔法にどう関係しているのか……何かの触媒でしょうか?」
ダキニは疑問符を浮かべるようにそう言った。いや、ダキニでなくても、あれをどう使うかなど想像つかないだろう。
「触媒なんかじゃないわ。あれはただの『材料』。薫さんは自由自在に小麦粉を操ってくるわ」
「……ええと、毒があるわけではないですよね?」
私の言葉を受けても、ダキニはいまいち要領を得ていないようだ。
「説明しにくいわね。そうね……粉塵爆発、ってあなた知ってる?」
「いえ、知りません」
うん、まあ、そうよね。
「一発目はサービスだ」
突然私たちの会話に割り込んだ薫さんは、粉を巻き上げ始める。それはまるで雲のようにその姿を変え、そのままダキニへと直行する。
「避けな」
「ダキニ避けてっ!」
薫さんと私の声が重なる。一瞬の間の後、ダキニは俊足でその場を飛び退くように離れ、直後……。
――ドンっ!!
打ち上げ花火のような、太鼓を打ち鳴らしたような、低く腹に響く音に体が震えた。ダキニのいた場所に爆炎が上がり、衝撃の余波が風となってここまで届く。
周りからはどよめきの声が上がる。ここまでどこか楽観的に二人の戦いを見ていたメイド達からも、怯えたような空気が漂ってくる。私との模擬戦では薫さんはこの技を使ってくることは無かったから、彼女たちは知らないのだ。
体に直に伝わってきた衝撃が、これがいかに危険な戦いなのかを彼女達に改めて思い出させたのだろう。
本来、魔法使いの決闘とはこういうものなのだ。
ここで使われる魔法は全て、相手を傷つけるためのモノ。怪我をさせて、無力化し、あるいはもっと酷い……。そう、これは長年続けられてきた人と人との争いの縮図だ。
文字通り決闘。命を決する戦い。
……もちろんこれは模擬戦だから、命なんてかけないけれども。
「ふむ、あの麦の粉の漂っていた所を中心に爆ぜたようですね」
ダキニは冷静に薫さんと、先ほどまで自分がいた場所を見つめていた。表面の草が焼かれて地肌が見えている。当たり前だが、当たったら無事じゃ済まない。
「威力はありますが、避けられないわけでも、打ち消せないほどの魔法でもありませんね」
「駄目よダキニ! あれは『魔法』じゃないっ! 『科学』なのっ!」
私は慌てて叫ぶ。粉塵爆発は空気中の粉塵が継続して燃焼を伝えて起こる、爆発的な発火現象の事。つまり、立派な科学なのだ。
「薫さんの使っている魔法はあくまで小麦粉を自在に動かす魔法だけ! あとはその小麦粉に火をつけるだけでいいのっ! だから魔法無効の魔法は効かないわっ!!」
そう、薫さんの技はあくまで粉塵爆発を利用しているだけなのだ。決して爆発の魔法なんかじゃない。
モノを動かす魔法で小麦粉を自在に操り、そこに着火剤となる少量の火の粉を舞わせる。即席の爆弾を作り出すようなものだと思ってくれればいい。
基本的にモノを動かす魔法は重量に比例して魔力の消費量も増えるが、反面扱いは動かすモノが小さくなるほど難しい。逆に言えば、扱えるようになれば魔力をほとんど消費せずに使えるという事だ。
そして小麦粉のような極小の粒をあれだけ自在に操るのは熟練の魔法使いでも至難の業だ。それはつまり、誰も薫さんの操る小麦粉に干渉出来ないという事。
魔力消費も少なく威力も抜群。完成された、薫さんの究極のとっておき。
あれはどんな魔法使いにも防げない。
「ははあ、魔法に関しても私の知らないことがあるようですね。勉強になります」
「だからあれは科学だって……って、何余裕ぶってるのよっ!」
私はこんな時でも平然とした態度を崩さないダキニに向かって叫ぶ。こいつ今がどんな状況か分かって言っているのだろうか?
いや、ここら辺が潮時かもしれない。
流石にこいつが神格を持った使い魔だとしても、薫さんに勝てるなんて思っていない。ダキニは驚くほど身体能力も高く、魔法無効の魔法の使い方も上手い。それが分かっただけでも結構な収穫だ。ここからはダキニが大怪我しかねない。
今日の所はここで終わりに……。
「では、私も一発目はサービスです」
私の思考を遮り、ダキニは少し大きな声をあげる。私ではなく、薫さんや周りのメイド達に聞かせているようだった。
そして拳を振りかぶって、足を縦に開いて構えを取って……。
「えっ!?」
飛んだ。
直後に響く轟音。今度の音は、腹ではなく足に響く。いや、実際に地面が揺れたのだ。めくれ上がって舞い散る土。衝撃との時間差でまた地面に落ちてくるソレを、皆無言で見つめた。
周りのあっけにとられたような顔。目を見開いて微動だにしない薫さん。そして、それを下からのぞき込んでいる、ダキニの視点。
薫さんの立っている隣は、薫さんが粉塵爆発で作ったものより大きく地面が抉れている。今ダキニがそこに穴を掘ったのだ。
いや、穴を掘った、というのは正確ではない。
「い、今のは?」
「え……えっと」
ジイヤの解説を求める言葉に私はどう説明したものかと頭を抱える。
私にはダキニの視点から何をしたかが見えていた。ダキニは猛スピードで薫さんに向かって突進し、薫さんではなく、その脇の地面を思いっきり殴りつけていたのだ。
その衝撃で地面がめくれ上がって穴が出来た。事実はそれだけだ。
……って、そんな事信じられるかっての!
「どんな怪力なのよ、あいつ」
いやいや、怪力じゃないのは分かっている。あれは魔法だ。
殴る瞬間、手にありったけの魔力が集まったのが見えた。
けれど、一体何の魔法を使ったのかは分からなかった。
「どうですか、マスター。私はお役に立てそうですか?」
薫さんの隣で御機嫌な口調でそう言ってくるダキニ。
「え、あ、うん……」
こういう時、喜ぶべきなのかどうか分からない。何かこう、望んでいた以上のものを手に入れてしまった時の、ちょっとイケないことしちゃったかもみたいな謎の罪悪感が湧き上がってくる。今更だけれど。
「ああ……本当に規格外だなあんた」
「ダキニとお呼びください。それに最初に降参しなかったのですから、これで終わりになんてしません」
ダキニは心底楽しそうに言った。たぶんいつもの邪悪な笑みを浮かべているんだろうなあ。
「さ、続けましょうか。容赦なんてしませんよ?」
「あーあ、参ったねー。可愛い子にちょっかい出すと後が怖いってか。というか俺は降参したかったんだがな」
薫さんはそう言って体についてしまった土を払う。苦笑交じりにため息をついて、薫さん自慢の長くてつやつやな黒髪をふぁさりとかき上げる。
「そうだな。たまにはとことんやってみるか」
タバコを嬉しそうにくゆらせながら、静かに笑う薫さん。何だかんだ言って、薫さんも楽しんでいるみたいだ。
ああ、そうね。ここ最近私とは模擬戦やっていたけれど、本当は私じゃ物足りないくらい薫さんってば強いものね。
そう考えると複雑。
「では……」
ダキニのその言葉の後、二人は戦いを再開するのだった。
――
どの位経っただろうか。
「いやあ、すごいですねお嬢様!」
「あー、うん……」
興奮して話しかけてくるジイヤに生返事をする。ジイヤも周りのメイド達も、最初の方の若干及び腰だった態度からは考えられないくらいに興奮してはしゃいでいる。
「おおー!!」
「がんばれー!」
「きゃー!」
黄色い歓声が飛ぶ。最初は薫さんのファンの子たちからだったが、様子を見るにどうやらダキニへの応援も含まれているようだ。
そりゃあ、あんな戦いしていたらファンの一人や二人ついてもおかしくないわよね。
「はああっ!!」
ダキニの渾身の掛け声で繰り出される猛スピードのパンチ。全身を弾丸のように飛ばして薫さん目がけて突っ込んでいく。
それを小麦粉を重ねて防ぐ薫さん。
「本当に厄介ですね。その盾」
「防ぐのがやっとだがな」
短いやり取りをかわす薫さんとダキニ。薫さんはその間にも燃え盛る火の槍を作りだし、ダキニに向けて放つ。ダキニは距離を取り何本も迫る火の槍を避けつつ、追撃してくる小麦粉の雲を飛び退きかわす。ダキニが飛んだ瞬間に爆発。
ダキニは薫さんの粉塵爆発の技の予備動作を見切っていた。風の中に、きらきらと赤く光る粒が一緒に舞ってくる。それが小麦粉に着火させるための火だと気付いたのだ。
風と共に煌めく火の粉に包まれたが最後、そこを中心に爆炎に包まれる。だが逆に言えばそれを目印にして躱せばいいのだ。
ダキニはそうして自由自在に避けながら薫さんの技のスキをついて弾丸のように突っ込んでくる。そしてあの強力な魔力パンチをお見舞いするのだ。
だが薫さんには今の所有効打を一撃も与えられていない。全て小麦粉で作られた壁に阻まれている。
「マスター、あれもカガクとやらなのですか?」
戦いの途中、ダキニが私にそう尋ねてきた。その間にも矢のように飛んでくる火の槍をことごとく躱しながら。
「ううん、あれは魔法。小麦粉を何層かに分けて、そのすべてに魔法をかけて硬くしているの。表面の魔法を無力化しても、その下にまでは魔法無効の魔法が届かないのよ」
魔法無効の魔法は勿論効くのだが、そのすべての繋がりを断つことは難しい。断ったところで薫さんによってすぐにまた繋がれてしまうからだ。
結果表層だけ無力化し、内部の結合までは無力化できない。よって硬いままの層が盾になってダキニの攻撃を防いでいるのだ。
「思ったよりやるじゃないですか、薫さん。先ほどの言葉は少々言い過ぎでした」
ダキニはそう私に言ってくるが、私ではなくその言葉は薫さんに言って欲しいものだ。
「マスターもこのまま薫さんに師事して腕を磨かれると良いでしょう」
「何であんたにそんな事指図されなきゃいけないのよ。薫さんが実力者なのもそうだけれど、薫さんだから私は教わってるのよ」
「……やれやれ、やっぱり引きちぎるくらいは最低でもしておかないといけませんかね」
だから何をよ。
と、軽口をかわすうちに薫さんの攻撃がまた一層激しさを増した。槍の数も増え、爆発も二か所同時に起こしてダキニを挟み込もうとする等、より手ごわい攻め方で追い込もうとする。
「まああの容姿ですから、女として生きたとしても問題ないでしょう」
「問題しか無いように聞こえるけれど」
私がため息をつく間にダキニは後ろから迫る細い火の槍を撃ちおとし、同時に左右の爆風を身をよじるように回転して躱し、最後に薫さんから直接繰り出された極太の火の槍を両手の甲で受け止めて弾く。
ダキニの機敏な動きと共に舞う長い白髪が何とも優美だ。火の粉舞い散る風の中、異形の装束を着た私の使い魔はその中を踊るように駆け抜ける。
本当に、あの薫さんと互角以上に戦えている。流石神格を持った使い魔と言うべきか。もうここまで来たら、流石に信じざるを得ないかもしれない。
「そろそろ、この膠着を何とかしないといけませんね」
「な、何とか出来るの? 薫さんの小麦粉の盾って、相当硬いのよ?」
「知っています。それにあの盾を作る動きは私の攻撃より速いです」
万事休す、だろうか?
「ちょっと本気を出してみましょうか」
「……え?」
不穏なダキニの一言の後、ダキニから何か得体の知れない空気が湧き上がった。
私の視点からは見えない。ダキニの目を通してソレが見える。何だろう? 凄み、というか、気合、というか。気圧されそうになる気配の塊と言うのだろうか?
それを感じ取ったのは薫さんも同じだったようで、すぐさま防御のために空気中の小麦粉を集め始める。
直後、ダキニは薫さんに向かって突進した。
「はあああ!!」
ダキニの叫ぶ声と同時に繰り出した拳を、あの小麦粉で作られた分厚い盾がさえぎる。ドンっ、と鈍い音が響き、衝撃の大きさを物語った。
ここまでなら、さっきと同じだ。
「あああああああ!!」
ダキニはなおも叫び続け、二撃目を繰り出す。続けて三撃目、四撃目……。
「ああああああああああああ!!」
五撃目、六撃目、七……というかもう、数えきれない。
何発も何発も撃ちこまれる、高速のパンチの連打。雨あられと繰り出される強力な一撃。ぶつかる衝撃が轟音となって私の耳と、ダキニの耳両方から聞こえてくる。
周りのメイド達も皆驚きの表情でその姿を見つめている。凄まじいラッシュと削岩工事でもしているんじゃないかという音。撃ちつける拳の嵐。まるでバトル漫画のワンシーンだ。
「あああああああああああああああああ!!」
ダキニの拳は少しずつだが薫さんの盾を削っている。小麦粉の粒が衝撃で飛び散り、層が薄くなっていくのが見て取れた。同時に、拳の動きも速くなっていく。
最初は私でも見える速さだったが、今ではもう手の形を捉えることすら出来ない。段々とパンチを撃ち出すスピードが速くなり、もはやパンチというより弾丸のようだ。
「ああああああああああああああああああああああああ!!」
声援が飛ぶ。まるでダキニの拳の動きに合わせるように、それは徐々に徐々に大きくなる。周りが一体となって熱狂していた。普段大人しいメイドもはしゃいでいる。隣のジイヤでさえ、目を見開いて興奮しきっている。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
ダキニはさらに拳速を高め、ドリルのように小麦粉の盾を崩していく。もはや勝敗は素人の目にも分かるくらい明らかだった。
ダキニの目からは、額から汗を流し、不敵に、苦しそうに笑っている薫さんが見えた。ダキニの乱打で巻き起こった風が、薫さんの長い髪を容赦なく吹きあげている。ああ、絵になるっていうか、本当にバトル漫画の強敵を倒すワンシーンみたいだ。
この勝負、これで決着……。
そんな時、私は突然体に違和感を覚える。何故か全身がけだるい感じに襲われて、今にもふらつきそうになって。
あれ、コレ何だろう? ちょっと、本当におかしい。
凄い疲労感というか、マラソンをした直後のように、体がぶるぶると震える。
眩暈がする。胃の中がせりあがってくる感じ。車酔いの初期症状のような。そう思っている間にもどんどん症状が悪化して、頭が痛くなって、すごく気持ち悪くなって……。
あ、やばいこれ。ちょっと本当にまずいやつ。
「うぐっ!」
「お嬢様?」
私はたまらず膝をついた。立っていられなかった。
隣のジイヤに助けを求めようとするが、体がまともに動いてくれない。体から血の気が引いていって、今にも死んでしまいそうなくらい苦しい。
ぐるぐると視点がふらついて、世界が回って見える。ダキニから伝わってくる視点だけが、まともに機能しているという奇妙な状態。草の生えた地面が、アップで映る。
あ、駄目だこれ。もう……もう、我慢できない。
「うっ、げええええええええええっ!」
ああ、やっちゃった。みんなのいる前で、みっともない。
頭の中だけは冷静に、そんな事を考えていた。
「!? マスター!?」
ダキニの視点がぐるりと回る。さっきまで目の前にいた薫さんを無視して、地面にうずくまるようにして粗相をしている私に目を向けていた。
そのまま一目散に、飛ぶようにこちらにかけてくる。
ああ、よかった。こいつには、すぐに気づいてもらえた。
そんなよく分からない安心感を覚えて、私の意識は暗闇の中に沈んでいった。
――
「気が付きましたか?」
その言葉に誘われるように意識がクリアになっていく。目の前には、もう見慣れてきたダキニの顔。私は自分の部屋のベッドで寝ていた。
「ああ、マスター。お加減は如何です?」
「え? うん、普通? 別に調子悪くなんてないけれど……」
私はそう言ってから、はて私はどうしてベッドに寝ているのだろうと記憶を探ってみる。探ってみたら、意識を手放す直前の記憶が蘇ってきた。
「あ、あれっ!? 私!?」
「ああいけませんマスター、急に動いてはお身体に障りますよ」
ダキニがそう言って私の体を撫でるようにまたベッドに寝かしつける。ていうか手つきがいやらしい。
「どこ触ってんのよっ! じゃなくてっ、私一体どうしちゃったの!?」
そうだ、私はダキニと薫さんの戦いの途中でいきなり倒れたのだ。突然気持ち悪くなって、吐いちゃって、気絶して。
「なんかいきなり具合悪くなって、それで耐えられなくなって」
「ええ。マスターは魔力切れを起こして倒れたのでしょう」
ダキニは穏やかにほほ笑みながら私にそう告げた。椅子に座りながら私を安心させるように優しく見つめる姿は、何だかお話の中だけで知っている母親のような感じだった。
「って、何? 魔力切れ? え、いや、私魔法なんて使ってなかったじゃない」
魔力は、魔法使いにとっての第二の体力だ。
魔法を使いすぎれば魔力は枯渇し、疲労感や倦怠感を体に与えたりする。それで具合が悪くなることもなくはない。
けれど私はそもそもあの時魔法を使っていなかった。
「魔力を使っていたのは私です」
「え? うん、ダキニは薫さんと戦っていたものね」
「ええ、ですから過剰に魔力を使ってしまって、その分の負担がマスターの方にいったという事です」
「……はぁっ!? 何それ!?」
私は思わず飛び起きてしまった。
「ああ、マスター。お身体に障りますよ」
「なんであんたが魔法を使ったら私に負担が来るのよ!? ってかだからいやらしい所触ってんじゃないわよ!」
どさくさまぎれに胸を揉もうとしてきたダキニの手を叩いて、私はまくし立てる。
「何!? あんた私の魔力を奪ったりも出来るの!?」
「説明すると長くなるのですが……端的に申しますと、私はマスターの魔力によって呼び出された使い魔です。なのでその時に使われた魔力以上の事をしようとすると、足りない分をマスターから補おうとするみたいですね」
「そ、そんなの聞いてないわよ」
私は大きくため息をついて落胆した。
ダキニは薫さんに匹敵するくらい優秀な戦闘が出来る使い魔だ。だが、その代わりとんでもないデメリットも隠し持っていた。
「それじゃあ、あなたが戦う度に私は魔力を失って、気持ち悪くなって、ゲロ吐いたりしなきゃいけない訳?」
「まあ、そうなりますね」
「そんなんじゃ魔法少女試験に使えないじゃないのっ!」
うああー、と私は声にならない声をあげてベッドに倒れ込んだ。思わず手で顔を覆ってしまう。
ああ、折角楽に戦闘の試験を回避できると思っていたのに。流石にこのデメリットは無視できない。試験中にマスターである私が倒れてしまっては、使い魔を使った戦い方に問題があるとみなされてしまう。
「申し訳ありません。私がどれだけ戦えるかを見てもらいたかったのですが、こんなことになるとは想定していませんでした。まさかマスターが」
ダキニは神妙な顔つきをして目を伏せる。また今にも土下座するんじゃないだろうかという雰囲気だ。
ああそうか、こいつもこいつなりに戦えることを私に示したかったのかもしれない。私の役に立つことに、ある種のこだわりを持っているような節もあるし。
責任を感じているのだろう。
「マスターがここまで貧弱だとは知りませんでしたので」
「おい」
全然違った。
「まさかあれしきの事で胃の中のモノを戻されるとは。マスター、体力なさすぎですよ」
改めて開かれたダキニの目は、じとっとした感じで私に向けられていた。今にもため息をつかれそうなくらい呆れられている。
「ちょっ、ちょっと! 私のせいみたいに言わないでよっ! 元はと言えばあんたが私の魔力を使ったりするからでしょっ!」
「それはそうなのですが、これは仕方のないことです。私だって自分の魔力で闘いたいのですが」
どうやらダキニの意思で私の魔力を吸い出したりしているわけではないらしい。何か使い魔を使役する上での制約だろうか? そんな話聞いたこともないけれど。
「しかしマスターの身は私がお守りするとはいえ、マスター自身がこれでは、私の方としてもいささか心配になります」
「あ、あんたに心配される覚えなんてないわよっ! 何よもうっ、私が悪いみたいにっ!」
私は湧き上がってくるイライラをダキニにぶつける。
「あーもー! 戦闘には使えないわ魔法で果実の育成に失敗するわ! 散々じゃないっ!」
指をびしっと突きつけて、ダキニにわめき散らす。
「この駄使い魔っ! エセ神格! 変態っ! バカっ! あんたのせいでみんなの前でみっともない姿見せることになったんだからっ!!」
「……はあ、マスター。私の力不足は痛感しておりますし、マスターの名誉を傷つけたことは申し開きの無いことだとは分かっています」
ダキニは私とは反対に冷静に言葉を返すと、椅子から立ち上がり、そのまま私が寝ているベッドへと近づいて。
「ふふぃっ!?」
「でも、マスターが倒れたのも元々不可能な果実の瞬間育成に失敗したのも、私のせいではないですよね?」
あろうことか、私の頬を両側からひっぱった。
「マスターのご要望とあらばどんなことでも全力でお応えする所存ですが、無理難題を押し付けられたり不当に扱われるのはご容赦願いたいのですが」
「ふっ、ふぎぃーっ!?」
ニコニコと笑いながらぐいぐいと容赦なく引っ張る。というか、顔は笑っているが目は笑ってない。誰がどう見たって怒っているのが分かる。
「っ! 離しなさいよっ! 何よ偉そうにっ! 元はと言えばあんたが薫さんと戦ってみたいって言ったのが最初でふぐぅっ!?」
「マスターに仕える者の実力をこの目で確かめておきたかったのですよ。結果は申し分ありませんでした。逆に私のマスターが少々情けないと知ってしまいましたが」
私の頬を再び引っ張り弄びながら、不敵な笑顔で私を罵る。私の使い魔だというのに、マスターである私に向かって何だこの態度は。
薫さんとの戦いで、ちょっとでもこいつを見直してしまった私を殴りたい。
「ふふふ、ぐちぐち文句をいうこの口もこうしてしまうと形無しですね。体力が無いと私を払いのけることも出来ないのではないですか?」
「ふぐぅー! うぐううっー!!」
必死に振りほどこうともがくものの、ダキニはびくともしない。そりゃあさっきの戦いを見ていれば敵わないのは分かり切っているけれど。
「そうですね、特訓をしましょうか。悔しかったら私を振りほどいてください。さもないと……」
「っ!? ぎゃーっ! どこに顔つっこんでるのよっ!?」
頬から手を離して私の胸にいきなり顔を埋めてくるダキニ。いやらしいとかそんなレベルじゃない。
「はあぁっ、マスターのお身体は、粗相をした後とは思えないほど良い匂いです」
「わああああバカはなせ変態っ! ちょっと洒落になんないわよ! だ、だめだってそこはっ!!?」
ダキニの手がイケナイ所に伸びてくる。胸から伝わってくる、ダキニの荒い息遣い。柔らかい肉感。
いや、これは本当にまずい。
「ちょっ!? やめっ! だめだってばっ!! ばかあああああっ! あっ!? やっ! きゃあああっ!! 誰かああああっ!!」
私は真っ赤になりながらじたばたと必死に暴れて叫ぶ。それをこの上なく楽しそうに息を荒くして追い詰めるダキニ。ああ、使い魔に襲われる魔法使いなんてどこの世界にいるというのだろうか。
その直後に薫さんがおかゆをもって部屋を訪ねてきてくれなければ、色々な意味で危なかったかもしれない。
こうして慌ただしく私の農業奮闘記二日目は過ぎるのであった。
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