第6話 魅惑の果実(後編)


「と、いうわけで」

 装果のいなくなった梨園の前で、高らかに宣言する。


「今から、実験を始めたいと思います!」


 ぱちぱちぱち、と隣のダキニが拍手。

「昨日装果に言われて、魔法でぱぱっと実を大きくしたりする方法ないかなー、って調べたんだけれども」

 ダキニの資料を漁るついでに軽く目を通しておいたのだ。お父様の書庫も借りたから、結構有力な手がかりを得られるのではないかと思っていた、が……。


「残念ながら、そんな都合のいい魔法は見つかりませんでした!」

 そう、当初の予想通りそこまで都合のいい魔法は確認できなかった。まあ、そんな手っ取り早い魔法があるならもっと広まっているはずだしね。


「植物の育成には、魔法を使っても残念ながら時間がかかる、という事で結論が出たわ」

「はあ。まあ、それは当然ですね」

 ダキニが大してありがたくもない相槌を打つ。

「私も最初からそう思ってたわよ。でも、何か見逃されている可能性もあるでしょ? 農業の魔法っていう限られた分野じゃ、まだ応用されていない魔法も存在するかも、って思ったのよ」


 魔法研究の進展は、他の分野と比べてもはるかに遅い。


 魔法の研究自体は大昔から行われていることだが、何しろ魔法使いの数が少ないのだ。戦争のあった頃には国家が介入して一部は発展があったりもしたのだが、情報社会になった今でも、ほとんどの分野では大昔とそれほど変わらない状態が続いている。


 だから最近になって出てきた理論や術が、まだ応用されていない部分も数多くある。試す人間が少ないためだ。特に農業は昔から魔法が応用出来ないとされてきた分野らしく、研究者の数も少ない。


 お父様は近々農業の分野にも魔法が介入すると言っていたが、本当だろうか? 調べた限りではとてもそうは思えない。


「パッと思いつきそうな天候操作の魔法は、基本その地域の環境を大幅に変えることは出来ないし。それに農業技術の進歩の方が魔法の発展よりもはるかに需要もスピードもあったから、まあ、応用できないって考えるのも当然よね」

「そうですね」

「でも最近の技術、例えば水流に関する魔法の進歩とかは果実の急成長に応用できないかなって思うのよ」

 私は杖を取り出して、一番近くにあった梨の所までいく。


「これは直接触れることが出来ない、物体内部の微細な量の水分を移動させることが出来る術よ。これで、この木の中の液体をゆっくり、集中して実に集めていければ、実際よりもはるかに速く収穫が出来るんじゃないかと思ったの」

 木の根から杖でなぞるように動かして見せる。そこは水分の通り道、つまり実に注がれる栄養なんかが通る道だ。


「どう? 理論上普通に植物が育つ仕組みに則っているから、無理が無いと思うの。これなら植物の成長の遅さをカバーして、収穫を劇的に早めること、つまり『あっという間に実を熟成させる』ことが出来そうじゃない!?」

「……はあ、まあ、試してみればいいんじゃないでしょうか」

 私は結構自信を持って発言したのだが、ダキニは若干呆れ気味、というか、明らかに実験が失敗すると思っているような様子だった。


「何よ、今の説明で穴があった?」

「いえいえ。偉大なる私のマスターの事です。きっと私の理解の範疇を越えた何かが、偶然、奇跡的に、とんでもない結果を引き起こすことも十分考えられますから。まずは実験して確かめられるのがいいかと」

 丁寧な言葉遣いとは裏腹に、薄ら笑いを浮かべて小馬鹿にしたような態度を見せるダキニ。ちょっとどころかだいぶ癪に障る。


「い、言ったわね! いいわよ、試してみて成功したらあんたの今日のお昼は抜きだから」

「では失敗したら、これからはお風呂にご一緒させていただくという事で」

 突然繰り出されるカウンター。ふふふ、と怪しくほほ笑むダキニ。ちょっぴり頬が赤くなっていたりして。


 いちいちリアクションが危ない。うん、これはちょっと不味かったかもしれない。


「い、いいわよー。その代り、最初だから多少不備があるかもしれないし、その、これ実は難しい術だし……完全に失敗じゃなかったら一応成功ってことにするから」

「マスター、ここは堂々とマスターとしての威厳を見せてくださいよ。失敗したら失敗を素直に認められる器でこそ、本当のマスターですよ」

 丁寧な口調で逃げ道を塞がれていく。これは本格的に失敗できなくなってきた。


「い、いいわ! 絶対成功するんだからっ!」

 私は杖に魔力を込める。梨の木の中の、水分の通り道と思われる所に微妙な力加減でその魔力を注ぎ込み、そのまま上に上に流れていくイメージを浮かべる。

 幹を通り、目の前の実に少しずつ、着実に流れていくように中の液体をゆっくりと動かす。力を込めすぎてはいけないが、かと言って木の皮を挟んでいる以上、魔力を出し惜しみしては動かせない。繊細なコントロールが必要になる。


 木の本来の動きに逆らわないように、自然と、水分がまるで木の中をよじ登っていくように、ゆっくり、じっくり……。


「くっ、ふう……」

 そんな作業をしばらく続けて、木の中に持ち上げられる水分の感触がなくなった。

「はあ……はあ……どうよ」

 時間にして十分くらいだろうか? 初夏の日差しの下で集中していたせいか、じわりと汗をかいている。ずっと幹に向かって杖を向けていたから、腕もちょっと痺れた。


 火照った体でダキニへと向き直る。ダキニは目を丸くしていた。


「驚きました、マスター。これだけ繊細な作業を、本当にやり切るなんて思ってもみませんでした」

 ダキニの素直な賛辞。さっきとはうって変わった態度に、私の頬も思わず緩む。

「んっふふふ、そうでしょそうでしょ。私こういう細かい作業とかは得意なんだから。まあ、ご飯抜きは勘弁してあげるわよ」

 得意げにダキニにそう告げるが、ダキニはふふふ、と何やら含み笑いを浮かべる。


「マスター、私を気遣って頂けるのは大変嬉しいのですが、肝心の梨の実のほうを見てから発言したほうが宜しいかと」

「え?」

 ダキニの言葉にはっとして、梨の木を振り返る。枝の伸びる先、私が集中して水分を流し込んだ実の一つを確認し……。


「……全然変わってない」

「マスター、今日からお風呂が楽しみです」

「ちょっ、ちょっとちょっと何でよ!? 確かに木の中の水分のありったけを注いだのよ!? なのに何で変わってないの!?」


 紙袋の中の実は全然熟していない。いや、それどころか大きくなってすらいない。


「それはそうですよ。梨に限らず、果物の木はじっくり、時間をかけて栄養を作りだし、その実に送り込むんです。日々水滴を集めるような作業です」

「だ、だから一気に水分を流して……」

「それでは水風船と同じです。水で膨らんでも、実るというには程遠い結果しか得られませんよ。尤も、木の中に残った水分だけではそれも叶わなかったようですが」

 確かにダキニの言う通り、水分を注いでも膨らむことすらなかったのだから、恐らくは全然水分が足りないのだろう。いや、足りたとしてもダキニの言うように栄養の入っていない、水風船状態になるわけだ。


「それと、栄養は葉で作られると言われていますので、木の幹からいくら水分をかき集めても大した意味は無いでしょう」

「う、嘘……じゃあ、今度は葉から実に養分を集めれば」

「それも、一度に実に注げる量はたかが知れています。そもそも放っておいても勝手に実に栄養がいくのですから、特に意味はないでしょう」

 うぐぐ、手詰まりだ。


「じゃ、じゃあ今度はこの木自体を活性化させる魔法をかけて……」

「それなら効果はあるでしょうが、魔法をかける持続時間が短ければ、やはり意味はありません。それこそずっと張り付いていたりしなければ。勿論毎日魔法をかけ続ければ実り豊かな果実を育てることは出来ますよ。尤も、収穫時期はほとんど同じですが」

 ふふふ、と再びダキニの笑い声。まるで私が子供だと馬鹿にされている様だった。


「くっ、この……」

「まあ、初めて取り組んだにしては素晴らしいとしか言いようがないですよマスター。原初の魔法使いが数十年かけて出す結論に一日で至ったのですから。まだよちよち歩きをしているはずの人間がいきなり立ち上がったようなものです。赤ちゃんは卒業ですね」

 くくく、と今度は露骨に嘲るような笑い。口に手を当て大笑いしそうなのを必死にこらえるような仕草。一つ一つがまあ私の神経を逆なでしてくれること。使い魔のくせに主人をここまで堂々と馬鹿にするなんて。


 とうとう私も堪忍袋の尾がキレた。


「な、何よっ! えらっそうに! じゃあ今度はあんたがやってみなさいよ! 知識豊富なダキニさんは勿論こんな実を一つ膨らませるなんて余裕よね!? 神様だもんね!? 出来なかったらさっきのお風呂の件も無しよ無しっ!!」

「じゃあ出来たら毎晩マスターのお布団までお供させていただくという事で」


 出来るはずの無い難題を無理やりぶつけて、さっきの件を帳消しにし、今度はこっちが馬鹿にしてやろう、と……。


「……え? で、出来るの?」

「この実を膨らませればいいのですよね? お安い御用です」

 ダキニは涼しい顔をして言う。とても強がっているようには見えない。


 だが、こいつがいくら普通じゃないからって、そんなこと出来るはずがない。今まで不可能だと言われていた、魔法を使った果実の瞬間育成。それをやってのけるなど……。


 って、その無理難題にさっき私も軽い気持ちで挑んでいたのだけれども。


「マスター、私を召喚した時のように、私に魔力を注いでください」

「え、何? 魔力? そんなことしたって……」

 無駄だと言おうとしたが、ダキニの目は真っ直ぐに私を見つめ続けている。

 私は仕方なく、杖を通してダキニに私の魔力を送り込む。ダキニの体が、杖に魔力を注いだ時のように淡い光を放ち始める。


 使い魔に自分の魔力を注ぐのは、基本的には召喚の一回のみ。新たに魔力を注いでも、特に意味があるわけではない。魔力は自分以外の人間が使ったり、利用したりできないからだ。

 魔力は魔力を出す本人との特別な結びつきがあって、初めて魔法として機能する。これは古来ずっとそうだと言われてきたことだ。だから誰かに魔力を注ぐことは出来ても、それを生かすことも、厳密に言えば受け取ることも出来ないのだ。ただ、私の魔力がそこに形として溜まるだけ。


 これは双子のように似通った相手でも、主人の魔力を中に持つ使い魔でも例外ではない。


「マスター、私はこれでも神です。昨日は熱心に私の事を調べていただけたようですが、その中に、私が農耕の神として崇められていた、という記録はありませんでしたか?」

「え、ああ、そんなのあったわね。ダキニじゃなくて、お稲荷様の方の記述だったと思うけれど」

 確かにダキニの言う通り、お稲荷様は農業の神として五穀豊穣を祈願されたりしている。という事は、こいつもそれにちなんだ魔法が使えるっていうの?


 あれ、五穀って米とか麦のことよね? 梨の実も入るの?


「って、あなた記憶があるんじゃないっ!?」

「ああ、そこの所だけ思い出しました」

 なんて平然と都合のいいことを言ってのける。全くこいつは。


「そんな事よりマスター、膨らんできましたよ」

「えっ!? もう!?」

 魔力を注ぎ続けながら実の方を見ると、梨の実が淡い光を発している。ダキニから発せられているのと同じ光、即ち私の魔力だ。


 そして紙袋越しではあるが、その実は徐々に大きくなってきているのが分かる。


「えっ、何で何で!? どうやって大きくしてるの!? というかあなた、私の魔力が使えるの!?」

「いいえ。私はただ、マスターの魔力を中継しているだけです。人々の祈りを受けてそれを農作物に伝えるように、マスターの魔力を受けてそれをこの実に伝えているだけです」

 ダキニは全身を光らせながらこちらを向き、にこりと笑った。流石にこの時ばかりは邪悪な気配なんて微塵もなくて、その名の通り神々しささえ感じさせられた。


 ちょっとばかり、見とれてしまった。


「ま、魔力を伝えるって、それでどうなるって言うのよ?」

 私は誤魔化すように視線を逸らして聞く。

「魔力が籠って膨らみます。こんな風に」

 その言葉に振り向くと、光が収束する先に、紙袋をぱんぱんにした梨が見えた。


 近くに行って紙袋を取ると、そこには丸々とした黄色い梨の実が、確かに実っていたのだ。


「……すごい。これって、すごいじゃないっ!!」

 私は飛び上がりそうな気持ではしゃぎながらダキニを見た。ダキニはいつもの涼しい顔で、ちょっとだけ誇らしそうに微笑んだ。

「あなた、見直したわっ! すごいっ! こんな方法があるなんて、これって世紀の大発見じゃないっ!? 本当に出来るなんて思わなかった! すごいすごい!」

 私のはしゃぎようにあてられたのか、ちょっとだけ頬を染めて照れはじめるダキニ。クールな姿勢は崩さないのかと思ってたけれど、こんな顔もするのね。


「あっは! 何よ、やってみれば簡単だったじゃない! みんなどうしてこんな単純な方法に気づかなかったのかしら!」

 私はもはや自分の事も棚に上げてはしゃぎまくる。

「まさか魔力を中継して注げば実が大きくなるなんてねー、一体どういう原理で急速成長するのかは分からないけれど」

「それよりもマスター。約束、お忘れではないですよね?」


 その言葉にはしゃいでいた心を一旦引っ込め、ダキニを見る。


 もうこの感想を言うのも何度目になるか分からないが、相変わらず近くで見るこいつは美人だ。ぼんきゅっぼんのスタイルといいすらりとした顔といい、いっそ女としての悔しさを通り越して尊敬してしまう。


 神様って、そういうものなのかしら?


「ふふ、マスター、今夜は寝かせませんよ」

「えっ、ちょ……」

 頬をバラ色に染めて、恍惚に染まる表情で私に迫ってくる。さっきの照れていた時のなんと可愛かったことか。ふさふさと揺れる白髪は動物の毛皮のようで、その目はぎらぎらとして私を射抜くようで。まるで獲物を狩る肉食獣の姿そのものだ。


 思わず後ずさりして、すぐに梨の木にぶつかってしまう。に、逃げ場がない。


「あ、あの……それは、その……一緒に寝るのだけは、まだ、その……」

 私はその瞳に引き込まれそうになるのを必死で抑え、貞操の危機に震えながらやんわりと拒絶する。はっきり言って、強く押し切られたら陥落してしまいそうだ。


「……ふふ、まあ、いいでしょう」

 だがダキニは、私を無理やりに落とすようなことはしなかった。

「マスターの可愛らしい表情を沢山見せて頂きましたし、今回はお風呂だけで勘弁しておいてあげます」

 にこりと、いつもの笑顔で私の頭に手を置き撫でる。まるで幼子をあやすような仕草だったが、私は文句を言うことは出来なかった。


 そりゃあ、顔を真っ赤にして涙目なままじゃ何言っても滑稽だし。それに悔しいけれど、強引に押し切られるとばかり思っていたところで優しくされたものだから、何だかちょっとほっとしてしまったのだ。


 いや、だからといって私をこんな風にした張本人に感謝するのは間違っているのだけれど。


「そ、それで、その……その梨、味はどうなの? ちゃんと食べられるの?」

 私は話題を逸らしたくてそんな事を口にする。ダキニはここでやっと手を離してくれた。

「ああ、それは……やめておいた方がいいかもしれません」

「へ?」

 ただ話題を逸らすために言ったわけだが、それに思わぬ答えが返ってきた。


「やめとけって、どうして?」

「毒が入っているわけではありませんが、私もこの方法で実を膨らませるのは初めてです。はっきり言って味の保証が出来ません」


 なんと、初めてだったとは……。


 初めての試みで成功させたこいつの才能が凄いのか、初めての試みで出来ると思い込んでいたその自信が凄いのか。


「ええっと、じゃあ、そうね。食べるのは誰かに味見させてからのほうがいいかしら」

 私がそう言って周りに目をやると、丁度梨園の脇を通ろうとしている装果が見えた。

「おーい、装果ー。ちょっとこっち来てー」

 私が大声で言うと装果も気づいたようで、こちらに向けて小走りに駆けてくる。


「……マスター、私も自分の性格を善良だとは言いませんが、真っ先に義妹様を毒見役にするのは如何なものかと」

「毒見役なんて失礼ね。いつも頑張っている装果にご褒美よ」

 なんて、我ながら人の事を言えないくらいの腹黒さを自覚しながら、やってきた装果に事情を告げた。


「え、えええええー!? で、出来ちゃったんですか!?」

「ええ、まあ」

 私は目線を逸らしながら答えた。私の手柄みたいに装果は思っているだろうが、実際の所は全部ダキニにやってもらったのだ。

 そして毒見役に選んでしまったという後ろめたさもある。


「す、すごいっ! 本当に梨の実が成熟してます! おまけにこの表面、こんなに大きくなっているのに気孔がほとんど潰れてない!」

 物珍しいものを観察するように、装果は梨を手に下から上からと眺め回す。

「き、きこう?」

「植物が光合成したり呼吸したりする穴ですよ! 梨の表面のぶつぶつって、アレが潰れてかさぶたになったものなんですよ」

 へえ、そうなの? 説明を聞いてもよく分からないのだけれど。


「まるで、リンゴみたいにつやつやです……」

「それって、いいことなの?」

「本来はあんまり良くないことです。気孔が潰れてかさぶたになっているほうが水分が多い証拠ですから。でも、この実はこんなに大きいし……」


 不思議そうな顔で眉をしかめる装果。成程、装果も知らないような梨が出来ちゃったわけね。


「装果さん。この梨、味見してみませんか?」

「えっ? 私が味見しても、いいんですか?」

 ダキニが殊の外優しい顔と声で装果にそう囁く。ああ、こいつ、こんな時だけ装果に甘い顔をするなんて。

「ええ。マスターが日頃から頑張っている装果さんにご褒美に、と」

 ダキニはその視線を私に向けて、にこりと微笑む。ああ、なんて悪意の籠った笑み。


「そうよ装果。遠慮しないで食べてみて?」

 無論私も同じ顔をしているのだけれども。


「え、そ、そんな。ホントにいいんですか?」

「もちろん。遠慮しないで」

「で、では、いただきます。厨房でナイフを借りて……」

「装果さん、貸してください」


 ダキニは装果の言葉を遮り、装果の手から梨を取ると……。


「わっ!」

「うえっ!?」

 何と、両手の握力だけで梨を真っ二つに割ってしまった。

「すごい……」

「あ、あんた、怪力ね……」

「そうですか? はい、装果さん。こちらの小さいのを」


 ダキニはそう言って半分にした梨をさらに半分にしたものを、装果に渡す。梨の果肉は、見た目にはとても美味しそうな色をしている。


 まるで白い西瓜のようだ。勿論西瓜のような種はない。それどころか本来梨の種があるところも全部果肉だ。水分が溢れるようにぽたぽたと垂れる様子は、別の果物を見ているようだ。


「で、では……」

 私とダキニが固唾をのんで見守る中、装果のその小さく可愛らしい口に梨が入って……。


「ッ! こ、これっ!」

「えっ!? 不味かった!? ペッしなさい! ペッ!」

 慌てて声をかけるが、口元を手で押さえてふるふると震える装果は……。


「美味しいっ!!」


 思いもよらない叫び声をあげた。


「おっ、美味しいですこれ! 凄くおいしいっ!」

 頬を紅潮させ、興奮にはしゃぐ装果。まるでさっきの私みたいだ。

「果肉が凄く柔らかくて、舌の上でとけるみたいで、あまいのにすごくくせになるようなっ! す、すごいですおじょうさま!」

「ほ、本当に!?」

「はいっ! わたし、かんげきしました!」


 装果が近年まれに見るくらい大はしゃぎしている。顔には満面の笑みが浮かび、ぴょんぴょんと興奮を抑えられないと言った感じで跳ねている。


「ああ、おいしいなあ。こんななしをつくれるなんて、さすがはおじょうさまですっ!! すごいっ! てんさいですっ!!」

「い、いやあそれほどでも」

 装果にこれでもかと褒められて、私も極上の気分に浸る。いや、私は何もしていないが。


「ああー、おいしいっ! さいこうのきもちです!!」

「装果さん、良ければもう一つどうです? さっきの半分ですが」

「はあーんっ! いただきますー!!」


 ……ん?


「はふはふ、んんー! あっまーいっ!!」


 ちょ、ちょっと、何かおかしくない? これ?


「おーい、装果ー」

 とそこへ、うちの専属庭師である宗谷さんが装果の名前を呼びながらやって来た。


「ああ、お嬢様の所にいたんですね。どうですかお嬢様、何か困ったことはないですか?」

 優しくそう聞いてくれる宗谷さん。うん、今ちょっと困ったことが起きているかもしれません。

「ああー!! そうやさぁーん!!」


 もはや半分奇声と化しつつある可愛らしい悲鳴をあげながら、装果は宗谷さんに向き直り、そして。


「すきすきっ! だーいすきー!!」

「わっ!? しょ、装果!?」


 迷うことなく抱き付いた。


「あ、あらあらあら……」

「え!? お、お嬢様、これは一体どういうことですか?」

「さ、さあ?」

 困惑する宗谷さんに、私も事情が呑み込めないまま返事をする。一体何がどうなっているの?


「ああー! そうやさーん! だいすきですー!! あいしてますー!!」

 装果は語尾にハートマークを付けまくる勢いで、叫びながら抱き付いた宗谷さんに頬をすりすりと甘えるように擦り付けている。普段の落ち着いた装果からは考えられない奇行だ。


「やっぱりこうなりましたか」

「や、やっぱりってあんた何かしたの!?」

「したのは私ではありません。装果さんの食べた梨です」

「な、梨!?」


 私はダキニの手の中に残っている半分に割れた梨を見た。梨とは思えないほど、汁をぽたぽたと垂らし……。


「と、溶けてる!?」


 果肉が目に見えるスピードで崩れ、液体となって零れていたのだ。


「言ったじゃないですかマスター。果実は毎日少しずつ、水滴を貯めるように、栄養を蓄えながら大きくなると」

 ダキニが話している間にも、液状化はどんどん進んでいく。


「一気に作物や果実を育てる術なんてありませんよ。人々の豊穣の祈りも、毎日私がその思いを伝えることで、初めて効果があるのですから」

「え、じゃあなんで実が大きくなったのよ」

「それはだから、あれですよ」


 ダキニは、ニッコリと、今度は誰がどう見ても腹黒さが分かるような笑みを浮かべて、こう言った。


「水風船のように魔力を込めて膨らませ、ただ見た目だけそれらしく繕っただけです」

「えええー!?」

「で、マスターの魔力の籠ったあの梨、らしきものをかじった装果さんは、さながら魔力に酔っぱらったような状態になったと」

 ダキニの言葉に再び装果を見る。頬は真っ赤に染まり、口調もおぼろおげで……うん、確かに酔っ払いの症状そのものに見える。


 そして、その装果の息遣いが、だんだん荒っぽくなっていって。


「ちょ、ちょっと大丈夫? 装果……」

「はー、はー! あちゅい、ああ、あちゅいですそうやさぁん……」

 装果は舌足らずになってしまったその口で、まるでしな垂れかかるように宗谷さんにくっつく。

「はー! はー! わらひい、いつも、そうやしゃんのことぉ……」


 宗谷さんに抱き付いていたその手が、徐々に徐々に、下へと伸びて……。


「しょ、装果っ! そこはっ!?」

「わらひらってぇ、おんななんれすよほ、そうやしゃあーん」

「わー!! 装果ー!!」


 いけない。それ以上は本当にいけないっ!!


「まあ、装果さんのようになってくれるのでしたら」

 ダキニはこの場には全く不釣り合いなほど冷静に、涼しげな顔を浮かべてこう言った。


「マスターに黙って食べさせるのも、ありだったかもしれませんね」

「ダキニー!!」


 私は力の限り声を張り上げ、私の馬鹿な使い魔を怒鳴りつけるのだった。

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