この何もない世界で俺は
弥生
第1話エピローグ
俺の少し前に少女が立っている。
少女は俺に背を向けていて顔は見えないが、白い服を着ている。
ワンピース……だろうか?
俺より十五センチほど低い身長にセミロングの黒髪。
幼馴染みの少女に似ている。
「雪……乃……?」
問いかけて見るが、返事はない。
ふと周りを見渡すと、俺はどこか知らない教室のような正方形の部屋にいた。
……いや、この場所を俺は知っているような気がする。
あまりにこの場所が荒れているせいでわからないのだろう。
右手にはスライド式の窓が四つほど並んでいるが、その全てが割れてしまっている。
そこから月明かりが射し込んでいて、それがこの空間にある唯一の明かりだ。
だが、妙に明るく感じる。
目が慣れているからだろうか?
よく見ると四方の壁には無数の鋭利な刃物で切られたような傷があった。
そして床には窓の近くに硝子の破片が、少女の周辺には大小様々な白い何かが大量に転がっていた。
硝子の破片が室内に落ちていることから外から割られたのだと分かる。
教室のように見えるが机や椅子はない。
急にボトッと少女の方から音がした。
驚いて視線を向けるとその足元に何かが落ちている。
片方の先端が五つに別れておりそれぞれ長さが違う。
「ひっ……」
俺の喉から声が漏れた。
目を凝らしてみると少女が落としたものは 人の手だった。
それを見てようやく床に転がっているのは骨だということに気がついた。
体の震えが止まらない。
歯がカチカチと耳障りな音をたてる。
意味がわからない、何でこんなところにいるのか、今目の前では何が起こっているのか。
先程まで冷静に周囲を観察していたのが嘘のように何も考えられなくなっていた。
そのとき、少女がゆっくりと振り返った……
「お……てよぉ!……刻……よ……」
声が聞こえる。かなり焦っているのか
次第に乱暴な口調になっていく。
「……ない……先に……よ!」
バタンという音がして静かになった。
そう、今日は確か始業式だ。
何か嫌な夢を見ていたような気がするがまあ、この際どうでもいいだろう。
さて、せっかくの休みだ、もう少し惰眠を貪るとしよう。
……ん?始業式?
次第に意識がはっきりとしてくる。
「いってきまーす!」
下の階から玄関の開く音と元気な声が聞こえてきた。
「起きた!今起きました!雪乃ちょっと待って!ストップ!!」
「もう、しょうがないな~」
幼馴染みの呆れたような声を聞きながら急いで制服に着替える。
なぜ雪乃が俺の家に朝からいるのかというと恋人だからとかそんな甘い話ではなく、うちの両親が天城家、つまり雪乃に俺の世話を頼んでいったから、らしい。
ご丁寧に合鍵まで渡して……
ちなみに父さんは海外出張中母さんはその付き添いだ。
枕元にある時計の長針は十二を少し過ぎたところを指している、現在午前八時五分。
最寄りのバス停まで五分、そこから二駅先に俺たちの通う学校がある。
このままだと新学期初日から本当に遅刻してしまいそうだ。
急いで準備を済ませてから下の階におり、顔を洗ったあと台所から適当にパンを取り出してかじる。
「玲衣、早く~」
催促する声が聞こえる。
玄関に向かうと雪乃がいる。
「食べながら通学なんて行儀悪いよ」
雪乃が言う。
いつも見慣れているはずの雪乃だが今日は何かおかしな感覚があった、恐怖のような何かが……
茫然と雪乃を見ていると
「どうしたの?じっと私の顔見て。準備できたなら早く行こう?」
「お、おう」
微笑む雪乃を見ながら答える。
感じたことのない恐怖の理由を見つけられず、言いようのない不安を抱えたまま俺は玄関をくぐった。
外には全てを覆いつくすように落ち葉が落ちていた。
雪乃と小走りでバス停に到着するとちょうどバスがきた。
これに乗ればなんとか遅刻せずにすむだろう。
……などと思っていたが正門の前にある登り坂にさしかかったときにはもう遅刻寸前だった。
「おい、雪乃!急げ!遅刻するぞ!」
「ちょっ、ちょっと待って……」
さっきとは変わって今度は俺が雪乃を急かしている。
まあ、そもそも今ギリギリなのは俺のせいなのだが……
雪乃は俺の少し後ろをふらふらと走っている。
もう体力の限界なのだろう。
雪乃は体力があるほうではない。
足も遅いし、入っている部活も文化系だ。
だがそんなことは関係なく、今は走るしかない。
仕方なく雪乃の手を引っ張って走ろうとする。
「ほら、いくぞ」
「あ、ありがとう」
走ってきたからだろうか、雪乃の頬が少し赤い。
急いで正門をくぐって始業式のために生徒たちが集まっているであろう体育館に近づき、そっと中の様子を伺う。
「始業式から遅刻とはいい度胸だな、羽塚怜衣」
目の前に俺と雪乃の担任である天城冬香先生が立っていた。
間に合わなかったらしい……
俺の前を通る他の生徒たちがこっちを見てはクスクスと笑って歩き去っていく。
今日は始業式なので学校は昼までだ。
二学期の始業式なのでクラス替えなどはないが、だからといって三時間も立たせるのはやりすぎだと思う。
ついでに言っておくがうちの学校は二学期制だ。
そろそろ腹も減ってきたので雪乃に提案する。
「おい雪乃、冬姉にもう帰っていいか聞いてきてくれないか?」
「え~、嫌だよ~だって怖いもん……」
「大丈夫だって、お前の姉なんだからもう慣れてるだろ?」
「慣れることは一生ないと思うよ……それにそんなこと言ったら玲衣だって幼馴染でしょ?」
雪乃の痛い一言に聞こえていないふりをする。
天城雪乃は天城冬香の妹なのである。
そして雪乃の幼馴染である俺は必然的に冬姉の幼馴染でもある。
冬姉というのは昔からのあだ名だ。
だが、今そんなことはどうでもいい。
「はぁ、遅刻しただけでなんでこんな目に……」
「何を言っている。お前の場合今回が初めてじゃないだろう。この遅刻常習犯」
「うわぁ!」
「お姉ちゃん!」
いつの間にか冬姉が後ろに立っていた。
確かによく遅刻するが常習犯というほどではない。
とは思うが、もちろん口には出さない。
かわりにこの後の運命を左右する重大な質問をすることにする
「い、いつからそこに……?まさか今の話全部聞いて……」
「話?なんのことだ。まさか私の悪口でも言っていたのか?」
「そそそんなわけないじゃないですか!」
良かった。
聞いていたわけではないらしい。
逆らえるものはいないのではないかと思えるほどの高圧的な視線に足が震える。
と、その視線がふいにそらされた。
「まあいい。遅刻した罰にちょっとやって欲しいことがあってな」
「あの~もう三時間ほど廊下に立ったんですが……」
「もう足がくたくたで……」
雪乃が俺に同調する。
「は……?なんだって?もう一度言ってみろ」
「ひっ……」
隣から雪乃の小さな悲鳴が聞こえる。
だが俺は男だ、理不尽には立ち向かわなければならない。
「いえ、何でもないです。申し訳ありませんでした。」
……無理だった。
この世に自分の命に変えられるものはない。
命の危険を回避するためなら何だってやってやるさ。
断言しよう、冬姉にまさる危険は存在しない。
「じゃあ、今は帰って良し。また夕方に学校に来い。私は職員室にいるから。では、またあとで」
そう言って冬姉は去っていった。
その背中を見送ったあと
「帰るか……」
「そうだね……」
二人は同時にため息をついた。
そのとき廊下の隅からこちらを見ている人がいることに俺は気がつかなかった……。
なぜか自分の家に帰ろうとしない雪乃と俺の家でごろごろしていると気づいたら四時になっていた。
「雪乃、そろそろ学校いくぞー」
「う~」
今まで寝ていた雪乃は完全に寝ぼけ眼だ。
「ほらしっかりしろ。置いてくぞ?もし行かなかったら冬姉のことだ。何するか……」
「もう起きたよ。何してるの?早くいくよ玲衣」
……素晴らしい身の変わりようだ。
一瞬、呆気に取られた。
「はいはい」
適当に返事をして玄関に向かっている雪乃を追いかけた。
正門をくぐってから職員室まで誰ともすれ違うことはなかった。
今日は始業式だったのだから当然だろう。
こんな時間に学校にいる生徒は俺ぐらいだ。
ノックをして職員室に入る。
「失礼しまーす」
俺に続いて雪乃も入ってくる。
「し、失礼します」
さすがに職員室には数人の先生がいた。
冬姉は……いた。
職員室の冬姉が割り当てられた席に座っている。
「こっちだ」
俺は冬姉のところに歩いていった。
「早速だか、本題に入るぞ。最近うちの生徒が何人か行方不明になっていることは知っているか?」
「はい、一応知ってますけど……」
俺にして欲しいことと関係あるのだろうか?。
「では、旧校舎の噂については?」
「旧校舎の噂……ですか?旧校舎ってこの学校の?」
この学校には今の校舎が建つ前に使われていた木造の校舎がまだ残っている。
校舎裏から森の方へ少し歩いたところにあるので、誰も近づこうとはしないはずだが……
「その様子だと知らないようだな。では、そこから説明しよう。今生徒たちの間で“旧校舎のドッペルさん”などという噂が流れているらしくてな。これは旧校舎のどこかにある全身の写る大鏡に願い事をするとドッペルさんがかわりに叶えてくれる、というものらしい」
噂についてはわかったが行方不明と何の関係があるのだろう?
雪乃も同じ疑問を持っているのか首を傾げている。
「不思議そうな顔をしているな。まあ、当然だろう。私だってこんな噂ならよくあるものだと思う。」
「じゃあ、この噂には何かあるんですか?」
「ある、と私は思っている。よく考えてみろ。今回の生徒たちの失踪事件には目撃者が一人もいない。学校からの帰り道で誰も見ていないというのはおかしいだろう?そもそも学校からでたという証言もない、犯人の手掛かりすら何も残っていない。そして行方不明になったもの全てに共通するのは“旧校舎のドッペルさん”を知っていたということだ。」
……どうやら話が見えてきたようだ。
「だから俺に噂を確かめてこいと?」
「そうだ。」
この人は何を言っているんだ!?
俺に行方不明になれというのか!?
そこまで俺はこの人にとって目障りだったのか……
勇気を振り絞って反抗する。
「ドッペルさんって見たら近々死ぬとか言われているドッペルゲンガーのことですよね?嫌ですよ!まだ死にたくないです!」
「このドッペルさんは夢を叶えてくれるらしいぞ?」
「夢は自分で叶えるのでいいです!」
「それはいい心がけだが……断ってもいいのか?」
急に俺の全身に悪寒が走った。
あの視線だ。
全てを従わせる高圧的な視線が俺を襲っていた。
だが、俺はそう何度も屈しはしない!
今度こそ打ち勝ってみせる!
「ごめんなさい。喜んで行かせていただきます」
……やはり、無理だった。
こうなったらドッペルゲンガーだろうが何だろうがやってやるさ!
「では頼むぞ」
「は、はい」
空元気もむなしく、そろそろ泣きたくなってきた。
職員室をでたあと雪乃と一緒に旧校舎に向かった。
俺と冬姉が話している間ずっと黙っていた雪乃がやっと口を開いた。
「大丈夫なのかな……」
「何とかなるだろ、たぶん……とりあえず旧校舎に行って大鏡とやらを探してみよう」
「そうだね……」
それきり何も話すことはなく旧校舎にたどり着いた。
旧校舎は予想以上に古びていて、なぜ残っているのか不思議なほどだ。
薄暗くなってきたせいで非常に何か出そうな雰囲気だ。
旧校舎を見て俺が立ち竦んでいると雪乃が俺の制服の裾を掴んだ。
「どうした?」
「いや、その、ちょっと怖くて……」
雪乃が俺から目をそらしながら答えた。
「そ、そうか……」
雪乃の様子を見ていると俺も少し安心できたような気がした。
「よし、じゃあ行ってみるか。」
そうして旧校舎へと足を踏み入れた。
旧校舎は長方形の形をしており、短い方の側面に入り口があった。
入ってみるとまっすぐ反対側の壁が見える。
まず一階を調べてみた。
一階には他に比べて少し大きな部屋――恐らく職員室だろう――そして五つほど四十人ぐらいなら入れそうな教室があった。
あと男女のトイレが一組あった。
それぞれの教室には机と椅子が残っていた。
痛んでいる部分を避けつつ一階を探したが特に何もなかった。
気づいたことといえばスライド式の扉が全て開いていたことぐらいだ。
「何もなかったね。実は大鏡なんてないんじゃないかな?」
雪乃が声をかけてくる。
「どうだろうな……二階に行ってみよう」
この旧校舎は二階建てで一階と同じ構造なら六つの教室とトイレがあるはずだ。
階段は入り口側にしかないらしく、先ほど通った教室の前をまた通ることになる。
戻ろうと振り返ったとき奥から三番目の教室に誰かが入っていくのが見えた。
「雪乃!今のみたか?」
「え?何のこと?」
どうやら雪乃は見ていないらしい。
「どうしたの?」
「静かに。奥から三番目の教室に誰か入っていった」
「っ……」
雪乃が息を飲んだ。
「ゆっくり行ってみよう」
雪乃が顔を真っ青にして首を降っているが構わず進む。
正直言うと、今も膝がガクガクいっているが、俺には幽霊やドッペルゲンガーより怖いものがある。
言うまでもなく、冬姉だ。
冬姉の言うことは絶対だ。
これだけは月が地球にぶつかろうが、太陽が爆発しようが変わることはない。
雪乃も覚悟を決めたのか裾を引っ張られる感覚が無くなった。
そっと中を覗くが誰もいない。
「誰もいないね……」
雪乃が呟いた。
中をくまなく探したが結局誰も見つからなかった。
「誰もいなかったな……」
「きっと、気のせいだったんだよ」
「そう……だったのかな?じゃあ、二階に行くか」
納得できないまま入り口に戻り、二階に上がる。
予想通り六つの教室と男女一組のトイレがあった。
一階と違っているのは一番奥の教室だけ扉がしまっていることだけだ。
他の五つの教室とトイレにはやはり、何もなかった。
「次で最後だね」
「そうだな。このまま何もなければいいんだけど」
そう言って俺は最後の教室の扉に手をかけた。
「行くぞ?」
雪乃が頷くのを確認して一気に扉を開く。
あった。
他の教室より少し広めで机や椅子は残っていない。
この教室だけ窓ガラスが割れて破片が床に散らばっている。
右手の壁にそれはあった。
周りの壁や床は薄汚れているのにその大鏡だけは不気味なほどに綺麗だ。
自らの存在を主張するように輝いている。
急に既視感に襲われて吐き気がした。
立っていられなくなり、思わず膝をつく。
「どうしたの!?」
雪乃が心配そうにこちらを見ているが、それにすら恐怖を感じる。
俺は意味のわからない恐怖を押し殺して答えた。
「大丈夫だ……」
立ち上がりゆっくりと大鏡に近づく。
そして、手をのばせば届きそうなほどに近づいたとき苦しげな俺の表情がニヤリと歪んだ。
「やっと戻ってきたな」
大鏡の中の俺が話しかけてきた。
「……え?」
そのとき、目の前が真っ暗になった。
目が覚めると俺は大鏡に背を向けて立っていた。
さっきと同じ教室のようだが少し違う。
壁には切り傷のようなものが無数についている。
床に散らばっているたくさんの骨。
その中に立っている幼馴染みと瓜二つの少女。
異様な光景だが、俺はなぜか冷静だった。
……思い出した。
これは今朝見た夢と同じだ。
そう気づいたとき目の前の少女――雪乃が振り返った。
「やっと戻ってきてくれたんだね」
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