花火大会当日の巻:2 花華はお忍びデートです

 夕闇の迫る八月一日の海岸。

 西に夕日が落ち、東からは夜空と星空が迫る。

 夏の雲は夕日を浴びて遙か高いところでオレンジに輝いている。

 たなびく雲の果てはテラリアの輪郭にまで達している。

 海も徐々に漆黒に近い青へ。

 時刻は夜六時半になろうとしていた。


 芹沢来るかな……。

 っあー! 勢いだけで誘わなきゃ良かった。

 俺って軽く見られるけど、ぜんっぜん女の子とかニガテなんだからさ!

 芹沢がもし来なかったら超絶凹むんだろうなー。

 うっへぇー。

 と頭を抱えて花火会場から少し離れた海岸の浜辺で花華と待ち合わせしていたのは、

 安達統くんである。

 短パンにTシャツにサンダル。

 ツンツン頭。

 どこにでも居そうな柄の悪い中学生っぽいが、

 彼は彼なりに人生の岐路に立っているに違いなかった。

 女性を誘ったのは実はこれが初めてだったのだ。

 普段の風貌とかとはおよそかけ離れているだろうし、

 敢えてそう見えるようにツンツンして見せていたところもある(頭以上に)。

「ああ。これで芹沢が来なかったらオレぇー」

 と周りのカップルがビビる位の声で海に向かって吠えたところで、

「ばかっ、声が大きいよ安達!

 折角みんなと離れたところで待ち合わせした意味ないじゃん!」

 と少し離れた後ろから声を掛けられる。

 声に驚いて振り向くと、次の瞬間もっとびっくりすることになった。

 そこに居たのは……。

 少し緊張した面持ちで、長い黒髪を降ろしていて、

 白地に赤い華やかな撫子柄の浴衣、

 赤い巾着をぶら下げていて、

 綺麗な足先には黄色い鼻緒の下駄。

 の、かくも美しい女性だった。

 しかも海風になびく髪を押さえる所作がやけに色っぽい。

「せ、芹沢だよな?」

 一瞬瞠目してしまい、花華かどうか解らなくて確認してしまう。

「お、お待たせ安達。ごめんね、少し遅れたかも。

 ど、どうかな浴衣。い、一応今日のために……」

(頑張って用意してきてみたんだけど――)

 までは声が小さすぎて波の音に消えてしまい、彼の耳には届かなかったようだ。

 安達はゴクリと唾を飲んでから。

「芹沢、すごい綺麗だ――」

 馬鹿なので包み隠さず白状致します。

「ちょ、ちょっと、安達、言い過ぎだよ」

 花華はその言葉だけで瞬間湯沸かし器にかかったかのごとく真っ赤。

 でも夕闇に紛れてしまい顔の色は捉えられない安達は、

「せ、芹沢ってそんなに可愛かったんだな。

 それと、来てくれてよかった。ありがとうな!」

 と言って花華に歩み寄り片手を差し出した。

「えっ……?」

 ただでさえ爆発寸前な花華を余所に、彼はいつもの調子で、

 これはどう考えても手を繋ごうということのようだ。

「砂場だし、暗いしその下駄じゃ危ないだろ? もうちょっとあっちに

 いい見物スポットあるんだ、そっから見ようぜ、花火」

 んっ、っと右手を開いて寄越す彼に、仕方なくそっと左手を出すと、

 ぴとっと中指の先が彼の手に触れたところで彼の大きなてのひらが、

 意外にも優しく花華の指先を掴んだ。

「ふふーん。やったぁ! 芹沢と手が繋げたぜぇー!」

 と彼はにっこり笑って子供のように喜んだ。

「あ、安達!」

 花華はたまらなくなって手を引っ込めようとする、

 優しく包まれた指先は引き抜こうと思えば引き抜けるだろう。

 でも、彼はデートだって最初から言っていたわけだし、これくらいは。

 と思いとどまる。でも、恥ずかしいし。

「よし、行こうよ」

「う、うん」

 あまりにどぎまぎしすぎて葛藤を見抜かれてしまい、

「芹沢、オレと手繋ぐの嫌か? だったら離すけど」

 と彼は繋いだ手を見て洩らした。

「……ううん、このままでいいよ」

 首を横に振りいっぱいいっぱいの返事を返すと、彼は花華に笑って返して。

 ゆっくり花華をエスコートするように手を繋いだまま、

 二人で浜辺を少し歩いた。

 こいつってこんなこと出来るんだ。

 思うと同時に、彼の手も花華の手も緊張で汗だくで、少し震えている事に気付く。

 ふふっ。無理しちゃってるのはお互い様か。

 少し笑みが漏れる。

 そんな様子をちらっと横目に彼が見て、

「芹沢、浴衣もだけど今日はなんていうか雰囲気が特別可愛いな!

 オレだけのためだと思うとすごい嬉しくなってくるなっ!!」

 と舞い上がっている。

「もう、あんただけのためじゃないよう。

 ――でも浴衣はね、ちょっとだけ見せたかったのもあるけどねっ」

 しぶしぶ苦笑いを浮かべたが。

「うおっ! 今の表情、オレのハートにぐさっときたぜえー! やばいな。

 オレ帰るまで生きてられんのかな?」

 優しく繋ぎ合った指先はそのままだ。

「あはは、なにいってんのよばーか」

 開いてる方の手で彼の大きい肩を叩く。

 筋肉質の、いかにも運動部っぽい肩。

「すまねっ。ほらあそこのテトラポッドのとこだ、浴衣の裾とか気をつけろよな」

 少し段差になってるところは彼が両手で支えてくれて、

 飛び移って、ヒミツの花火見物スポットにたどり着く。

 学校の皆には会いたくないからといったら、

 こんなとこに連れ込まれてしまった訳だが、

 ここってどうやら公然の秘密のスポットらしくって、

 どう周りを見渡してもカップル率が高い。

 うっかりじっとみつめらていられない様なコトをしている人達ばかりだ。

 私もいつの間にかその一員としてカウントされているわけだけど……、

 安達は花火の闇に紛れて何かしてきたりはするんだろうか。

 風に乗って会場のアナウンスはここまで流れてくる。

「お、今アナウンス聞こえたよなっ。そろそろだぜ、ここで見ようか」

 彼にはそんな気微塵も感じさせない空気感がある。

「そうね、ここで見よ。

 安達、言っとくけど暗いからって変なことしないでよねっ」

 一応おっかなびっくり口に出してみたわけだけど。

「しないしない、いくら芹沢が可愛くたって襲ったりしねーよ。

 オレ馬鹿に見られてっけどこういうとこはちゃんとすっからさ!」

 ちゃんとすっから、のところに妙に気合いが入っていた。

 ぷぷ、と笑いが漏れてしまうけれど、彼らしい。

 安心は出来るかなーと彼の手をちょっとだけ強く握り返したら、

 彼はものすごいびっくりしていた。

「せ、芹沢っ!?」

「なによ、だらしないわね」

「か、からかうなよな。は、花火見ようぜ」

 きっと彼の心臓はものすごいバクバクしてるんだろうなと花華は微笑んだ。

 すると少しだけ残った夕日の残りの赤色がどんどん闇に飲まれていく暗くなってきた空に、

 ピュー

 という音と共に一筋の光が入る。

「あ、上がった」

 花華が呟いた。

 ドパーン

 遙か海で共鳴してその音がこだまのように繰り返される中、

 上空に黄色い大輪が咲く。

「きれい……」

 二人はしだれ柳になって舞い降りてくる空の花を手を繋いだまま呆然と見つめた。

「うーん、この場合の正解は――」

 安達が出し抜けに声を出した。繋ぐ手が急に熱い。

「なに?」

 花華が振り返り彼の顔を見上げる。

「――え? うん、お前の方が綺麗だけどなっていえば良いんだろ?」

 いつものふざけた調子じゃなくて、割と真剣に数十センチ高みから、

 花華の瞳を覗き彼がそう言った。

「ば、ばっかじゃないの」

 ぷいと真っ赤になった顔を見られないように花華が顔を下に逸らす。

「ははは、お前らしい返事」

「なによっ」

「なんか今日はすごい楽しめそうだなー」

 顔は合わせないようにしたけれど、繋いだ手には少し互いに力を入れた。

 花華は少し背伸びして、少しだけ大人の女性になる夏を迎えられるかな。

 と人知れず思っていた。

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