幕間③:危うきこと虎の尾を踏むが如し?
鎌高、二年一組の7月21日、木曜日の朝。
今日はちょっとだけ早めに登校した忠は、
隣の席の川瀬さんが登校してくるのを待っていた、
別に彼女の登校が遅いわけでは無い、忠が早く来すぎただけだ。
「あ、今日は早いね、芹沢君おはよう!」
今日の川瀬さんは、あんまりにも暑いからか、
カーディガンも羽織らずの白が際立つ制服のブラウスに、
黒髪のショートボブ、化粧っ気がある女子もいるけど彼女はそんなことはなくても
長い睫に大きな瞳、アンダーリムの眼鏡。と何時もと同じように可愛く、
それまでどうやって切り出そうか頭でシュミレーションしてたのが、
挨拶された一瞬で飛んで行きそうになるが、なんとか捕まえて、
「川瀬さん、おはよう! こないだ頼まれてたうちのゴブリンさんとの写真!
撮ってきたよ! 見てみる?」
熟考したわりに最適解がシンプルなことこの上なかったのである。
「えっ、ほんとっ? みせて! みせて!」
とせがまれたのがちょっと嬉しい。
「はい、これがうちのステファニーさん。と、僕、と、妹も何故か写ってます」
と言ってケータイの画面を机に鞄を置いた川瀬さんに見せると、
彼女は一瞬ビックリした顔になって、それから笑って、
「すごいっ! 本当にステファニーさんって美人さんのゴブリンさんなのね!
だけどこの芹沢君の顔……あはははは」
失笑、ではなくて大笑いだ。彼女は大笑いするようなキャラじゃないのに。
まぁ僕の顔が変だったのは認めるけどさ。
「ごめん変な顔で」
「でも、これって、ステファニーさんは芹沢君のお膝の上でしょう?」
鋭い指摘。
「え、あ、うん」
「えー、仲良いなぁ! こんなに美人さんお膝に乗せちゃうなんてっ! ――緊張した?」
羨ましい、と単純に捉えて良いのだろうか。
「そ、それもあっての変顔です」
「ふふふ、そっか、と、お隣は妹さん? よね?
むむむ、芹沢君の妹さんも可愛い! こんな美人に囲まれているなんてぇー」
空怒気を孕んでいるかのような、ただ喜んで居るような、
不思議な声音で川瀬さんが言うもんだからどう言ったら良いのか考えてしまう。
「で、でも家族だし、ね……」
やましいとこなどありません!! と宣言したいところだけど、
正直ステファニーさんの柔らかい感触には負けましたし。
「そお? いーなーゴブリンさんのいる生活~」
と、もう一度画面に目を落としてにこにこ微笑んでいる。
あんまり普段しない笑い方をさっき川瀬さんがしたもんで、
川瀬さんの仲良しの、
「なーに、ルナちゃん朝から芹沢と仲良い~?」
「あ、ツキコちゃん! これ見せて貰ってたの、あ、芹沢君、見せても大丈夫だよね?」
瑠菜と月子で『
村田さんも図書委員でよく二人一緒に居る。
大親友の仲なのにいちいち僕の許可を取ってからってところが川瀬さんは気が利いてていい。
「うん、いいよ。大丈夫」
これなの、と川瀬さんが村田さんに僕のケータイの画面を向ける、
「おおお!? ……それにしても芹沢のひどい顔。
ルナちゃんが噴き出すのは解るからいいとして、このお膝の美少女は……?」
村田さんは川瀬さんと背格好も髪型までも同じ、
姉妹か双子かと見違えるんだけど、彼女は眼鏡をしてないし、
前髪の分け目が川瀬さんと逆だし、ちょっとだけ化粧っ気がある。
まぁ女子高生一般並なのでセーフゾーンだけど。
「うちに来たゴブリンさんのステファニーさんだよ」
「ほほー、モデルかアイドルでもやってた人?
超絶美人じゃん! 芹沢うっらやっましー!」
と肘で突かれる。
「そういえば、元のちゃんとした職業って聞いたこと無かったかな、
でも祠祭クラスの魔導師だっていってたから、魔法関連の事をしてたんだと思うけど」
「いやいや、こりゃーアイドルでしょ、それもかなりすごい人気の、
あー女優とかかもしんないわねーええのぅ! 芹沢くんっ!
ちなみにお隣は妹さんかなー、こっちもかわいいなー、朝から眼福だなー」
ケータイをにこにこと彼女も覗き込んでいる、
それ撮るのすごい恥ずかしかったんだからと言いたいがぐっと我慢。
ステファニーさんって確かにそれくらいの美人だよなぁと改めて思う。
そんな美人と家族とか幸せかも。
「ねぇ、ルナちゃん、今度芹沢ん家にステファニーさんに会いに行ってみようか?」
「え! 確かに私も見たいけど、それってかなり迷惑なんじゃ……」
ちら、と川瀬さんの目線が僕に来たので、
「ふ、二人で来るの? うちに!? じょ、女子なんてきたこと無いけどっ!」
大いに慌てる。
「芹沢、慌てるポイントそこかい」
村田さんの突っ込みは冷静だった。
「迷惑だよねぇ、突然伺っても~」
しょげぎみの川瀬さんを見ると、どうぞいらして下さい!
としか言えない雰囲気なので、
「そんなことないよ、いつでもいいからもしステファニーさんに会いたかったら、
うちにどうぞいらして――」
そこまで言ったとき、横から突然ぬっと手が生えてきて、
僕のケータイを取っていった奴が居た。
あさっぱらから僕なんぞが、女子二人と談笑してたのが気にくわなかったらしく、
その原因であろうケータイを持って行ったことは明らかだ。
「おい、俊介! なにすんだよ! まだこっちは話が終わってないの!」
言うも、
「はーん? なにやらゴブリンの話で盛り上がってたっぽいかー?
どれどれ、おまえん家のゴブリンはっと」
おふざけでケータイふんだくって覗き込んだ割に、
かなりの驚愕の表情を浮かべるもんだからこれはこれで面白かったけど。
「おい、まじかよ、これ忠ん家にきたゴブリン!?」
「ああ、大マジだよ」
「うっひょー!!! すげぇ! かわいい!
てかおまえなに変顔してんだよ、こんな美女膝に乗っけてたらバッキバキだろ普通、ぐぇ」
村田さんの掌底が俊介のみぞおちに決まった。村田さんは見た目の割に空手部である。
「なに言い出すんだこの馬鹿。
少なくともそういうのがないから芹沢はゴブリンさんにも人気なんだよ?」
少なくともですハイ。
「相馬君朝から元気だねぇ~、おはよ」
と今更遠慮がちに川瀬さんは挨拶する、
ちなみに川瀬さんは僕以外の男子一般とはなかなか喋らないし、
とあくまで忠は思っているのだが、実際は少し苦手な男子とはなかなか喋れない程度だ。
「川瀬おはよ! 村田もおはよ! ってぇなーツッコミ。それにしたってすげぇなぁ忠は」
「そんなことないよ、妹が連れてきてくれたんだけど、もう家族みたいなもんだし」
うんうん、と川瀬さんが頷いて、
「芹沢君はそういうとこ良いよね~」
とぽつりと言ったのを相方の村田さんは聞き逃さず、
「いやー気温がお暑うございますなー! だんなっ!」
といって、忠の肩を手のひらで張った。
とそこで、チャイムが鳴ってしまった。
「わーり、忠、これちょっと見せてくれよ!
このゴブリンは記憶しておかなきゃなんねぇ!!」
謎の大声を張り上げて、忠の机が教室の後方なのに対して、
ほぼ対角線上の教室の前の方で廊下寄りの席に、ケータイを持ったまま俊介は帰ってしまった。
「おい、しゅんっ――」
言ったところで担任の
ケータイを目の前で返せというわけに行かなくなってしまった。
間が悪い事にすぐ後の1時間目は数学だし。
そして数学の授業が始まって10分後位の事。
コンッ! と限りなくいい音が教室に響き渡る。
花山典子先生の持った教科書の背が、相馬俊介の頭を的確に捉えた音だった。
「なーににやにやしてんだ、相馬っ。あ、ケータイみてたのかっ! 没収!」
あ……。
この間数秒の出来事である。
それ僕の……。
という言い訳も出来ないまま。
授業の終わりに、
「はい、今日はここまでね。相馬、ケータイ返して欲しかったら放課後進路指導室までこいっ!」
「先生、それ、俺のじゃなくって芹沢のッス」
悪びれもなくケロリとしたもんで、
「なんだと?」
「授業前に借りたんす」
平然と答える、
「おまえ〝ら〟なぁ、あたしを馬鹿にしてるんかいっ!?」
花山典子28歳、激高である。
「とにかくっ! 芹沢のならせりざわっ! 授業終わったらあたしんとこ来ることっ!」
怒声を発するとピシャっと戸を閉じて出て行ってしまった。
なんてこったい。
「うわぁ、あの馬鹿なんてことを」
自分の机に忠が突っ伏すと。
「芹沢君、……あの、私のせいでもあるし、指導室、私も行こうか。一緒に」
ここで最悪、川瀬さんまでも巻き込んでしまっては男が廃る程度の思考は残ってたので、
机の上で首だけ川瀬さんの方に向けて、さらに首を横に振った。
「いや、川瀬さんはいいよ、僕のケータイだし。俊介と僕で行ってくる」
「ごめんね、忠君」
「ううん、大丈夫だよきっと」
忠君と言ってもらえたので上体を起こして踏ん張れた。
が、
放課後。
「わっりーな、忠、俺今日サッカー部の練習試合この後すぐなんだっ!
先輩にどやされるのが花山典子28歳よりも怖いからさ、俺先部活行くわ!」
と言ってさっさと俊介は逃げ出してしまったのだ。
こ、い、つ、め~! と流石の楽天家の忠も思わなくもないけれど、ぐっとこらえて。
「まて、俊介、ジャンプ三週分読ませろよな!」
と背中に叫ぶと、両手で○をつくって返した。
あんまり気が乗らないけど、とぼとぼと忠は放課後一人で進路指導室に向かった。
花山先生の雷は怖いだろうか。
ドアをノックして指導室に入る、
「失礼します」
独特な狭い空間と室内の応接セットの向かいに背筋を伸ばして座る花山先生。
紺のパンツスーツにショートカットに如何にも数学教師っぽい角張った眼鏡。
怒っている。
「遅い。芹沢、相馬は?」
「すみません、逃げられました……」
「あいつ、後でグランド百周の刑だな」
親指の意外にも綺麗な形の女性らしい爪の先端を噛む。
相当イラついてる様子に忠はドキドキしてきた。
「で、芹沢、この携帯、お前の?」
先生は座ったままで、忠は立ったまま。座れの指示もない。
応接セットの机の真ん中にケータイが置かれそれを指摘される。
「はい」
ここは正直に行くしかない!
「返して欲しいか?」
「はい」
「じゃあ何で授業中に相馬が芹沢の携帯持って画面見てニヤニヤしてたのか説明」
「はい」
とは言った物のこの空気感の中での説明は困難を極める。
「――そ、それが、相馬に携帯を始業前の時間に盗られてしまって、返して貰えなくて……」
と、変化があったのはそこまで忠が告げたときだった。
「え? 芹沢のケータイ盗られたの?」
先生が疑問符を浮かべるのは尤もだ。
「はい? はい」
言うと、先生は何故か座ったままで今まで怒り絶頂な顔をしてたのにも関わらず、
ふと顔の怒りを解いて、何故か忠に心配そうな目つきを向けてきた。
「芹沢、くん、もしかして、相馬にいじめられてたり……?」
先生は急にひどくデリケートな事を聞くように上目遣いで忠に尋ねた。
なるほど勘違いだ。
「え? そ、そんなことないですよ! あいつとは僕仲良いですし!」
怪しい! と思われてしまったようだ。
先生の目つきがそれまでの虎の目から
「ほんとに?」
確かに僕はクラスではひ弱だし、川瀬さん目当てで図書室ばかり通ってるし、
俊介はサッカー部の次期エースで、身体もでかいしジャイアン気質だけど。
「先生なにか勘違いされてますよ?」
「いじめられてる子は大抵そうやって隠そうとするのよね、
芹沢くんっ、悩みがあるなら、あたしで良ければ聴くよ?」
さっきまでの高圧的な態度と打って変わって、そこに居るのは普通のお姉さんだった。
三角眼鏡の奥の瞳は優しくて、ホントに忠を心配してくれている事が解る。
展開について行けず逆に忠は逆に慌てたが、
冷静になれば解決の糸口があるはずだった。
そうだ、あった。
「あ、その携帯お借りしても?」
自分のケータイなのにお借りする。
「え、もういいよ、返すよ、それよりほんとに大丈夫?」
ケータイの電源を入れ、ロックを解除して、その写真を呼び出して、
「先生、さっき俊介……いや、相馬君が見てたのはこれですよ」
と自分とステファニーさんと花華が写った写真を見せた。
「これは……」
「この写真見せたら、相馬君がステファニーさん、あ、
うちのゴブリンさんに入れ込んじゃって、そんでケータイもってっちゃったんですよね」
先生はこくりと頷き、数瞬のあと、自分の過ちに気付いた様で、
「あ、あたし勘違いしてた?」
生徒を心配してくれる熱血教師なのも解ったけど、
この瞬間にぼっと真っ赤になった先生の姿はまるでウサギさん。
やっちゃった、と言うような恥ずかしさがこみ上げてるんだろう、
「こ、このゴブリンさんすごい美人ね! そうか、相馬はこの子に一目惚れを」
などと早口で言って、
「こっちは妹さん? 妹さんもなかなか可愛いじゃない!」
と早口で言って、
「芹沢くんはなんなのこの顔、おもしろーい」
ろーいのところが妙に可愛く聞こえた……。
かくかくしかじかで誤解を解く事が出来、
ケータイも返ってきて、怒られることも無かったし
良かったと思って忠は引き上げようと思ったが、
「芹沢くんっ!」
先生に呼び止められてしまった、しかしいつの間にかくん付けだ。
「はい」
「あ、あの、私が変な勘違いしちゃったことは、その、皆には言わないでほしいんだけど……」
応接セットの椅子からやんわり立ち上がって、部屋を辞そうとする僕に本気でお願いしている。
「言いませんよ。
でも、先生、いじめとかって心配してくれたのは、ありがとうございます、
携帯盗られたくらいでそこまで心配してくれる教師もなかなか居ませんよ」
「そ、そ、そ、そんなことないよ!」
花山先生は美人なので、こんなこと言って照れてるところを
誰か他の人に見られたら僕が色々ヤバい。
「あ、相馬君にはちゃんとグランド百周の刑を科して下さいよね!
僕の携帯持ってって授業中見てたのは確かなんですから」
「もちろんっ!」
なんかみょーな接点を花山先生との間に作り上げてしまった忠だったが、
それを取り持ってくれたのもよく考えるとステファニーさんのような気がしていた。
「じゃ。失礼します」
指導室を忠が辞そうとする。
「じゃ、またね芹沢くん」
とにっこり笑顔で送り出されてしまった。なかなか可愛い笑顔だった。意外な側面だ。
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