アールス工房の計算機

哲翁霊思

第一章

 霧の都、倫敦ロンドン。その一角にある工房から息抜きの声が聞こえる。

 「ふぁ~、あぁ。こんなもんかな」

 少年は手元にある機械を確認すると、椅子から立ち上がりもう一度大きく伸びをする。

 手袋を机に置き、そのまま窓を開け外の空気を入れる。

 霧の都と言われるこの倫敦の街は、霧というよりも煙霧スモッグの街になっていた。

 というのも、つい数百年前に世界に衝撃を与え、生活水準を飛躍的に向上させた産業革命以来、倫敦は石炭を燃やし続けている。近年では石炭のみならず、石油や天然瓦斯てんねんガスというものも出てきていた。

 確かに、数十年前にはガソリンエンジンは開発され、空気もいくらかはきれいになっていくはずであった。しかしそのころ、小さな極東の島国である日本が鎖国をやめ第二次世界大戦に参戦してきた。それは、良くも悪くも蒸気機関の新たな時代の幕開けを意味した。

 当時のエンジンよりも、日本が使っていた蒸気機関のほうが圧倒的に性能がよかった。そのため、大国といわれていた亜米利加アメリカも敗北し、大英帝国イギリス独逸ドイツに負け賠償金を払っている真っ最中だった。

 しかし、この戦いは国同士の関係を変えただけでなく、技術までも変えてしまった。日本が外交をはじめ、蒸気機関が海外に出ると、利便さと燃費のよさに負けるエンジンは軒並み圧倒され、今では博物館か物好きなコレクターなどが自分で作る、若しくは手に入れるほどとなっていた。

 この工房、『アールス工房』も、蒸気機関の普及から軌道に乗ってきた小さな工房だ。

 主人の名はアールス、十六歳にして工房を一人で切り盛りしている。主な仕事は機械の修理と改造、たまに自作の機械を売っている程度だ。ちなみに、機械といってもほとんどが蒸気機関を動力としているため、電気ではなく歯車が基本だ。どれも値が張るが、技術は職人にも劣らないすばらしいものだった。値段の割りにしっかりとしてくれると常連も多い。

 この日も、時計の修理が完了したばかりだった。

 煙霧に覆われた工房前の街並みを眺めながら、飲みかけだった紅茶を啜る。仕事前に淹れたせいですでに冷たくなっていた。

 ボーっと遠くを見ていると、店の扉が鈴を鳴らして開いた。

 「アールス、いるー?」

 聞きなれた声に反応して工房から店のカウンターへと移る。机の前に硝子があるとはいえ、物で溢れている上に油が付いていて、お世辞にもはっきりと見えるものではなかった。

 「ああ、カレン」

 「『ああ』って何よ! 『ああ』って!」

 カレンというのは、工房の近所に住んでいる同い年の女の子で、よく工房に遊びに来ている。

 「また機械いじってたんでしょ」

 「何で分かるの」

 「だって、油付いてる」

 ふと指差された胸の部分を見てみると、茶色いオーバーオールの胸に少し大きく、黒い油がべっとりと付いていた。

 「あれ、いつの間に・・・・・・」

 「機械に対しては敏感なんだから」

 やれやれといった表情のカレンに対して、それほど気にしていない様子のアールスだった。

 他愛もない話をしていると、また扉の鈴が鳴った。

 「どうもどうも、頼んでたのは出来ましたかな?」

 「あ、いらっしゃい! ちょうどさっき出来ましたよ」

 そういうと、工房の作業机からさっきまでいじっていた時計を持ち出し、客に渡した。

 「さすがだねぇ、噂通りだよ」

 「そんなことはありませんよ」

 「じゃあ、これお代な」

 そういうと、客はお金を渡してきた。それこそ、新しい時計が買えるほどの金額だ。

 それを受け取ると、アールスは元気な声で送り出した。

 「ほんとすごいわよね、あんだけ払うなら新しいの買えばいいのに」

 「そういうわけにも行かないんだろうよ、思い入れがあったり、特別な用があったりなんだろう」

 カウンターの端によっていたカレンがそう呟くと、渡されたお金をキャッシュレジスターに入れながら答える。

 基本的に工場体制が整っているこの時代、買い換えたほうが早いのは当たり前だ。それでも、この工房には彼の手でしか直せないものが止め処なく持ち寄られている。

 手で直すのは、機械が作るよりも遥かに手間がかかり、それに比例して金額も多くなる。それでも、直したい人々が、ああして工房に集うのである。

 「ところで、アールス?」

 「どうしたの?」

 「女性への配慮は男にとって最優先事項だと思わない?」

 「あぁ、紅茶でも淹れるから工房の中に入ってて」

 「あら、私はあなたの人形(ロボット)じゃないわよ?」

 「・・・・・・そうだったね、そっちの応対室で待ってて」

 アールスがやれやれといった顔で紅茶を淹れに行くのに対し、カレンは上機嫌でカウンター横にある扉を開けて応接室へ入る。

 少しして、ティーポッドに二つのティーカップ、クッキーの入った皿を持ってアールスが入ってきた。

 「にしても、今日はいつものように注文が多いね」

 「お店としてはうれしいんじゃないの?」

 「機械なら大歓迎さ、女性と話すのは苦手でね」

 「あら? それにしては服に気をつけているのね。帽子は相変わらずおしゃれだけど」

 などと言い合いながらも、幼馴染としての会話をしながらひと時のティータイムを楽しんでいた。

 「ところで、やっぱり機械に対してしか敏感じゃないのね」

 呆れ顔で行ってくるカレンに対し疑問符を浮かべるアールス。

 「服! いつもと違うでしょ!」

 指摘されてふと気づく。いつもと違い、どことなく新品の感じが見て取れた。

 「あ、ああ、新しくしたの?」

 「やっと気づいたの・・・・・・。そう、きれいでしょ」

 「油で装飾すればもっときれいになるかも」

 「アールスとおそろいは赤面しちゃいますー」

 二人で笑っていると、店から鈴の音が聞こえてきた。

 「誰かいるかね?」

 アールスは急いでカウンターへ向かう。

 「はい、何でしょう」

 「修理を依頼したい」

 外套を着た男は、カウンターの上に大きめの箱を置く。

 「ほかのところにも頼んだが、何処も答えは一緒だった」

 「かしこまりました、数日いただいてよろしいですか? ご返却の目処が経ちましたらご連絡させていただきます」

 そういうと、アールスは書類を一枚取り出しペンとともに渡す。男は書類に目を通すと無言で記入した。

 「期待していますよ」

 そういうと、男はそそくさと店を出て行った。

 

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