ごはんのおかわり自由

 わたしの名前はチュウレンジバチ。薔薇につく害虫として知られる。

 チュウレンジバチは薔薇の枝に切り傷をつけて傷口に産卵する。孵化したあとは薔薇の枝に痛々しい産卵痕を残し、病原菌が入る原因となる。生まれた幼虫は薔薇の葉を食べて育つ。蜂の名は持つが成虫は毒針は持たない。わたしたちはもっぱら薔薇愛好家とのあくなき戦いにおいて名声を上げ続けている。わたしたちは薔薇を食べないではいられないのだが、薔薇愛好家はわたしたちを養うために薔薇を育てているわけではない。そのようにしてわたしたちは冬以外のあらゆる季節あらゆる手段で殺され続ける。

 ここには教訓的な側面がある。生きるということは罪だ。

 大学は高台にあり、高台を降りると四レーンあるただ広いばかりの道が広がっている。車道の車と立ち並ぶ車屋に挟まれて歩くのはあまりおもしろくない。そこで我々は一本道を入り、昔ながらの店と住宅が立ち並ぶエリアをだらだらと歩く。わたしが大学生だったころ、このあたりは既に再開発を受けたあとだったし、大学で世話になった先生は再開発の関係で引っ越しを強いられたそうだ。しかし再開発の影響を受けなかったエリアは残っている。再開発それ自体とは関係なく、新陳代謝は行われているし、たとえばそれはあの頃しょっちゅう行っては何杯もコーヒーを飲んで埒もない話を繰り返していたミスタードーナツは消滅していたけれど。

 ポアロ(いまわたしの隣を歩いている腐れ縁のことだ)はポケットに手を突っ込んで機嫌よく鼻歌を歌っている。なんの苦労もなさそうに見える。昔からそうで、十年前ふたりでだらだらとここを歩いたころから何も変わっていないように見える。ポアロは学校に行っているようないないような生活を子供の頃から続けていたし、学校教育というものが彼に何か与えたのかあやしいとわたしは思っている。そのくせわたしの大学にしょっちゅう紛れ込んで、まるで同窓生のような顔をしていた。わたしは咎めなかった。名探偵の事件への介入を阻止することは不可能だ。もちろんこれは皮肉だ。

 そうしてだらだら歩いた結果、わたしたちはとんかつを前にしている。

「揚げ物は何歳で食えるようになったの」

「二十四」

「あー、あれだ。病気になったからだ」

「そう」

 その言い方は正確ではない。わたしが、自分はチュウレンジバチだということに気づいたのが二十四の歳だ。わたしの人間としての生は痛苦に満ちたものだった。いまわたしは自分がチュウレンジバチだということを知っているので、胃腸の具合がたいへん良く、どんな薔薇でも食いつくすことができる。それはそれとしてわたしは人間として生を受けた肉体を運用しなくてはならないので、医者にかかっている。

「よかったね」

 こういう時わたしは、彼が「女」を切らしたことがない理由を理解する。

「よかったんだよ」

 十七時から飲んでいたというのにわたしたちは旺盛な食欲を失っていない。とんかつその他のカツにキャベツと味噌汁と漬物と麦飯がついてきて、カツ以外の全てがおかわり自由なのだった。わたしはキャベツを延々と食べている。災害の影響でいま野菜が高い。150円のキャベツだけを支えに生きてきたというのに。もちろんとんかつ屋で1500円も払ってとんかつのついでにキャベツを食べるより280円のキャベツを買った方が安いわけではあるが、外食というのは単に食事をすることが目的の行為ではないし、ついでにキャベツの補給もできる。三日くらい何も食べなくても生きていけるかもしれない。

 ポアロガチ勢の気持ちが、わたしは分からないでもない。

 ポアロはわたしがチュウレンジバチだと自覚する前、薔薇に対して全く無自覚に何を行ったか、知らない。

「君のね」

 わたしは言う。

「三杯目にはそっと出しみたいな姿勢は一切ないところは、美徳だと思うし、狡いと思うし、そんなことだからあの子も調子に乗るんだと思うよ」

 彼の麦飯は四杯目だ。どこにそんなに入るんだ。育ち盛りの少年のように無心に食べていたポアロはわたしを見て笑い、「なに、ようやくお小言言ってくれるの」と言った。「怒ってくださいよこの頭の悪いクソ虫をさあ! 罵って! もっと!」

「そういうところだよ」

「いや、何の話?」

「かわいいねって話」

「ウワッ気持ち悪ッ何の話!?」

 ひっかきまわすだけひっかきまわして去っていく名探偵を拒否することは不可能だし、引き留めることも不可能だ。ガチ勢はせめて彼のヘイスティングズとしてレギュラーキャラクターに採用されることを願うしかない。ヘイスティングズはわたしに振られていてどうしようもないならあるいはミス・レモンあたりを狙うしかない。要するに、抱かれたからなんだということを認識して単なる名探偵のための脇役としての自分を自覚するしかない。

「君は悪くない。欲しいものを欲しがって手に入れる能力があるだけだ」

「あのね、気持ち悪いんだけど」

「かわいそうになあ」

「まじ何の話?」

 わたしは無限に与えられるキャベツを食べている。

 わたしとポアロの間にはいくつかの取り決めがある。わたしはポアロを家に上げない。学生時代わたしが住んでいた安アパートの隣の家に小さな女の子がいた。彼女が自分の家よりわたしの部屋にいる時間の方が長くなっていた時期があった。わたしはあれきり何かを深く愛するということがない。わたしはあのころ自分がチュウレンジバチだということを知らなかったし、目の前にいる硬い蕾におかえりと言わせている罪のことも知らなかった。

 わたしは名探偵を扉のなかに招き入れたことがない。小さな子供だった頃から、一度も。

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