チュウレンジバチと薔薇

哉村哉子

角のお好み焼き屋

 あーそびーましょ、と言ってやってくる、アニメのキャラクターみたいな声だ。

 わたしは家で仕事をしているし、彼は何の仕事をしているのかわたしはほとんど知らない。長い付き合いになるので、彼が一人遊びがうまいことは知っているし、そこに金銭収入が絡むことは容易に想像がついたから、たのしくやっているのだろうと思う。彼は(つまらなそうにしているときですら)いつも楽しそうに振る舞うのが極めてうまく、そしてそれはおそらく、常に本音であるということの証左なのだった。

 何の話をしているかというと、わたしはいつも家にいるし、彼は決まった休みというものがない(というかいわゆる毎日がエブリデイという種類の生活なのではないかという感じだ、わたしも全く人のことは言えない)ので、まるで子供のように、チャイムを鳴らしてのんきな声を出す、という話だ。わたしの家のチャイムを鳴らすのは宅配便の荷物(わたしは仕事柄宅配便を週に平均して二度ほど受け取る)か彼の二択に他の選択肢が塩少々程度の頻度で混ざるというもので、宅配便を受け取るほどの胸のときめきを彼に感じることはない。どうして宅配便を受け取るという行為はこれほどまでに胸が高鳴るのだろう。

「べつにおれは高鳴らない」

 家を出て神社の脇を抜けた角にお好み焼き屋がある。土地柄お好み焼き屋は時系列の確認のように点在しており、都市部に行くに従ってその密度は上がる。角のお好み焼き屋には「SNS等への投稿はご遠慮ください」とある。ごく普通のお好み焼き屋なのだが、インターネットからの望まぬ客を迎えたことがあるのかもしれない。

「お好み焼きが食べたいなら先に入ってLINEでも送ればいい」

「おれは遊びに来たんだよ。それに別に角を曲がるだけじゃん」

「階段を上がってチャイムを鳴らしてきた道を帰って店に一緒に入るのが遊ぶこと?」

「無駄ってことだね」

 とても上手に面白いことを言ったような顔をしている。

 わたしは彼が嫌いではない。嫌いだったら一緒に飯は食わない。お好み焼き屋が夜の営業を始めるぎりぎりの時間に几帳面に合わせてやってきて、わざわざ階段を上がってチャイムを鳴らしてわたしを呼び出して、店の前で二分待つところまで、おそらく彼のゲームのうちに含まれている。彼は一人遊びがとてもうまく、それは隣に人間がいても全く変わりがない。ふたりでいるから二人遊びだということにはならない。彼のゲームに巻き込まれているというだけだ。そしてわたしは彼のゲームが嫌いではない。

「豚玉そばチーズ」

「豚玉うどんキムチと餅」

 痩せた、いつも不愛想な中年女性が注文を受ける。不愛想だけれど不快ではなく、母に似ている、とわたしは思う。育てた人間は千差万別のはずなのだから、母というイメージが、ひどく痩せた不愛想な女であっても何も間違っていない。母性という概念が想起させるもの。わたしは彼女が嫌いではない。

 わたしはお好み焼きが嫌いではない。

「ねえ」

「なに」

 注文したきり頬杖をついて、やけに高い位置から落ちてくるテレビの声を胡乱な目で見上げていた彼は、わたしの声に声だけ返す。舌先だけで転がすような、ひどく適当な声が、わたしは彼の部位のなかで最も好きだ。

「今更のことだけどここはおかしい。角にお好み焼き屋がある、ここのことだけど。少し歩いたらもう一軒あるし、一本通りを超えると二軒並んでる。バスに二十分も乗れば何軒もまとまってるところもある。でもろくに差分がない、ないわけじゃないけど、正直どうでもいい」

「ん」

「そしてこのへんにはコンビニが五軒あるけど全部の店にお好み焼きがあって、スーパーは四軒あってもちろんお好み焼きがある、八百屋にすらお好み焼きがある。ちょっと異常じゃないか」

「誰かが食べるんだろうね、毎日、このへん一帯で、お好み焼きを誰も食べていない日は存在しないんだよ」

 これ以上は他ならぬお好み焼き屋では踏み込んではいけない部分だろう。わたしは顔をしかめてそのままにする。気持ち悪いというほどのことではない。この国でその日一日米を食べていない人間がひとりもいない日は存在しないだろう。お好み焼きを食べている人間が毎日確実にいる、しかも複数いるという事実に怯む必要は何もないのだが、少し気持ちが悪い。

 彼は笑って言った。

「セックスみたい」

 わたしはさらに顔をしかめた。彼は上機嫌だ。小さな声で言うのはふざけているからだ。

「なあ、このへんの、こっち側一帯は貧乏人の一人暮らしと爺さん婆さんばっかりだからろくなラッキースケベもないだろうけどさ、あっち側行くと小奇麗な格好の子連れの奥さんいっぱいるじゃん、大通り一本挟んでとんだ格差社会だよな」

 人妻はめんどくせえかなあ、と彼は楽しそうに続け、「めんどくさいだろうね」とわたしは返す。お好み焼きを毎日食べる人間は限られているが、一軒の店に執着する人間も限られている、なにしろあまりにもたくさんあって、ささやかな区別はあるにしろ(キャベツを炒めて時短を図る店もあるし、同様に生地を先に焼いてしまって時短を図りほとんど炒めキャベツを挟んだクレープのようになっているものもあり、微妙に違うとは思うがお好み焼きではないというほどの違和感はない)全部生地とキャベツを最低構成要素として麵と豚バラと潰して焼いた卵とそのほかのトッピングを交えてソースをかけた食べ物でしかない。彼は女を抱くが、その差分はほとんど認識していない。女がいるから抱くだけだ。

「この町で面倒をおこすと、わたしと遊びづらくなるよ」

 まさかおれが面倒なんか起こすわけないじゃん、という景気の良い返事を期待していたら、彼はそのときようやく振り向いて言った。

「嫉妬してるみたい」

 このあたりではお好み焼きと呼ばれる食べ物はミルフィーユ状に積み重ねられ全てが別個の存在として自立しながら一つの概念を成すものであり、先日別の街に住む友人が語って聞かせてくれた、すべての要素がぴったりとくっついて一体化しているそれとは全く違う食べ物であり、わたしはそれを食べたことがない。セックスをしたことがないのと同様に。

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