「原作改変問題」と「フェミ問題」と「トランス女性問題」は同根の『お気持ち問題』だが、だいぶ違う。

 原作改変問題では、メディアミックスでは改変が不可避であることと原作者の権利尊重ということがセットに語られる。二つは対立軸だ。


 フェミ問題、特にエンタメなど表現を問題視する時に性的搾取や女性の権利尊重でセットに語られる。対立軸は、表現の自由と女性像のイメージ侵害。


 トランス女性問題は、生物学的女性とトランス女性との「お気持ち」はどちらが優先するのかで語られる。対立軸というより、争点は両者の優先順位だ。


 ここまでシンプルにしてしまえば、自ずと、問題点も明快になるね。



 これ、三者とも問題の核心は「お気持ち」であり、「嫌だ」という拒否にまつわる権利の問題だったりする。



 原作改変問題だと本来はねじ曲げようがないくらい解りやすく、原作側が優先なのが解って良いはずなんだけど、二次創作の権利っていうのがコトを複雑にしている。


 自分の作品と勘違いしてしまうのもムリのないことで、二次創作は違法ではないと認められているから、二次創作者は己の心の持ち方が難しいと思うんだ。


 一般の人は原作者の立場になかなか立てないから、その嫌さ加減が想像しにくい部分もあるかも知れないけど、同人に関わって二次創作を触った人なら解っていいはずなんだよね。


 何が嫌かと言えば、キャラの関係性と性格と価値観を改変されるのが一番嫌で、ブチキレ案件じゃない? 同人界隈ですら。「○○はこんなんじゃねぇ!」問題だよ。

(二次から入ってきたファン? 部外者は引っ込んでろ、というだけだ)


 だけど、やっちゃう人は後を絶たないんだよ。一番、改変したがる部分ってのもこの関係性と性格と価値観だから。それは自分なりの解釈を付け加えたくなる欲でさ。好きなほど、気に入ってるからこそ、やっちゃうってことも多々ある。


「愛がないから改変する」とは言い切れないんだよね。


 で、解釈違いってのが、よろしい戦争だ、てコトになるくらいには拗れるってことだって同人界隈を知ってる人なら容易く想像がつくでしょうよ。これがメディアミックスの難しさでさ、同人だったら喧嘩別れで終わる話でも、ビジネスだと「強引にでも進める」というコトはようようにして起きるんだろうね。


 クリエイターだって考え方は千差万別で、改変絶拒な人もいればユルい人もいるし、条件次第って人もいるし、一枚噛ませろって人もいてさ。


 また、改変したい側だって、原作準拠がやりたい人もいれば、新たな解釈でやりたい人もいれば、舞台を変えてやってみたい人もいるし、オリキャラを突っ込みたい人もいるじゃん、て。二次創作同人もおんなじじゃん、て。


 制作側がドラマ化の候補作品に打診した時に、相手が絶拒の人だったらその時点で諦めれば済む話なんだわ。別の候補作に打診すれば済むんだよね。


 ところがだ、コレがダメなら次はコレ、と行けないのは何でかってと、ドラマ制作側もビジネス以外の動機で、その作品でやりたいって思っちゃってるからだよね。その心境ってのは同人界隈の人が、好きになった作品の二次創作したいってなった時と大して違わないと思うんだ。


 ただ、そこでゴリ押ししちゃうのが業界の悪しき部分なんだよねぇ。そこはさ、しょーもないマウント心なんか棄てて、素直に、この作品の二次創作やりたい!でいいのにねぇ。歪んだ選民思想が成功を阻んでるだけなのにさ。


 同人界隈だったらこれ、コソコソ隠れてやるか、オリジナルに落とし込んでインスパイアでやるか、すっぱり諦めるなりするじゃん。ビジネスだからコソコソはムリとしても、そこはどうしてもやりたいとなったら直接説得に動くんだけど、その説得の手法には問題が無かったか? てトコだよね。説得でなく恫喝で、というのはもう時代が許さないでしょ。


 て言うより、絶拒の原作者さんだったんなら素直に諦めろよ…とか思うけど。


 ドラマだけでなく、映画とか、コミカライズとか、ノベライズとか、そういう二次創作界隈の事情とかも鑑みて考えるべきだよなぁ、と思うんだよね。


 だから脚本家さんが、ああいう愚痴ツイートしちゃう気持ちはまぁ、解らなくはないよ。何度も何度も書き直しさせられてるわけだし、最後は全否定で脚本に関わらせてもらえなかった、てことだもん。悔しさは解る。


 これ、端的に言うとさ、原作の芦原先生は「大衆好みにするな、」で、局の要望は「大衆の好みに迎合」だったんだよね。だから脚本は相沢先生に来たし、彼女に伝えているかと言えば、伝えてないんじゃないの?という疑いの方が強いよ、私は。


 その辺りの事情も不明なんだけど、とにかくラスト二回のところで脚本家に「もういいです、」てプロデューサーだか監督だかが言ったことになるんだよ。


 それをまたどういう言い回しで言ったのかも問題点なんだよね。とにかく原作者と脚本家がまったく双方の事情を聞かされないで、間に挟まる人々の「都合のよい言い方で」状況を伝えられていたってトコが大問題なんだよね。


 でもさ、この都合良く伝えていく伝言ゲームってのも、なるべくしてそうなるしかないじゃん、こんなの。誰かに悪意があったかと言えば、誰も悪気なんかなかった、というのが正解に近いと私は思うけどね。現場の悪しき風潮ってので麻痺ってたんだよ、たぶん。ただ、上の方は制作中からもう自己保身に走ってたんだろな、というのは透けて見えるよね。



 そんで、フェミさんたちの場合はさ、「世間が抱く女性という存在へのイメージ像」ってトコを危惧しての文句なんだよね、ほぼ。


 「最近の若者は風紀が乱れてうんぬんかんぬん」てのとほぼ同質なんだわ。


 正体はその程度のモノなわけだから、しのごのと屁理屈で糊塗して世間を誑かそうっていう、そっちの方が大問題なんだわ。こんな手法は許しちゃいけないから、時々はこうして書いてたりするんだけども。解説を入れるのも大事な予防です。


 言うのは別にね、権利のうちだからそれは構わないよ? ただ、それに騙される人も多いから、隙あらば暴露はしていく所存、というだけね。


 最後にWoke運動ね。これもまったく同じだってことはもう解る人は解ってると思う。近頃の、というか2000年代に入ってから、「詭弁で煙に巻いて信じ込ませる」という手法がとにかく蔓延っていると思うんよ。この時代の特徴ですかねぇ。


 それで何を狙ってんのかって言えば、世論にしてさ、「数の暴力に訴えて」認めさせようっていうズボラ根性なんだわ。だから反対派とじっくり議論して説得するという手法は採らずに、「差別だ、」とかのレッテル貼りで黙らせる戦法を採るのな。弾圧する気満々なんだよ、この人ら。


 だからディズニー100周年アニメなんかがさ、善悪逆転現象なんて珍しいことが起きてしまうのよ。一見の価値ありだし、そういう見方で観れば非常に良質な映画だよ、あれ。「善魔の群れ」を描いてる。




 ペテン師の手法をさ、正義を掲げてるような連中までが恥ずかしげもなく使っている、ていうさ、なかなかパンチの効いた時代だなぁと思うんだわ。


 ま、騙されないようにしないとね。


 同じ「お気持ち」問題でも、その深刻さってのはそれぞれベクトルが違うんだよ。

 












 

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