「セクシー田中さん」騒動、TVドラマが凋落する理由を考えてみた。

 ここんとこ連日取りあげていて、自分の作品がストップしてしまうくらい頭の中がコレで一杯なんだけど、またひとつ気付いたことがあったよ。


 「推しの子」にこの件と酷似した回があるとかの話で、その構造が語られてさ、私は、それは作劇上の都合に合わせた改変があるヤツで、正しくはないだろとこのエッセイで書いた。


 そこから気付いたコトが幾つかあるんだよね。


 まずさ、自分に置き換えて考えてみた時にさ、私は、…あくまで私の場合は、だけどもさ。「ある懸念」を除いて、脚本家さんが改変したいというなら許す派だと思ったんだよ。元々二次同人から創作活動に入ってるから、原作と派生作品はベツモノって意識は強固だからね。(ただのアマチュアが言うことじゃないけどね、話としてね)


 ただ、その場合でも懸念はあってさ、もし出版社サイドが「ドラマの評判いいですよ、原作も追随しましょう!」とか言い出したら、その連載投げるな、と思ったのよ。命令に従わなきゃプロ生命終わりますよとかがあったとしても、打ち切りにしてもらうケースがありえるなぁって。


 …いや、これもドラマの出来次第かも知れないけど。私自身がそれに共感するくらい面白くなってたら、私は追随するだろうな。自分の性格だったらホイホイ乗る。作品が良くなるとなったら変更に躊躇ないから、私は。


 だけどさ、世間の評判がどれだけ良かろうが、出版社側が追随を勧めて来ようが、自分がそれを「クソ改変しやがって!」て思った時が困るんだわ。



 つまりさ、こう言っちゃなんだけど、読者って割と「エモい」とか思えたら満足しちゃうでしょ、特に恋愛系のお話しだと。凡作ど真ん中の出来であってもさ。誰それと誰それがエモかったら「A」評価付けるじゃん、恋愛モノ好きのユーザーって。そんで、これも申し訳ないけど消費材って感じですぐ忘れるじゃん。凡作だから。


 それ自体はまだいいんだよ、私は「原作と派生作品はベツモノ」派だから。


 そのユーザーさんたち丸ごと無視して既定路線を突っ走るだけだからさ。原作ファンがさ、既定路線を気に入ってくれて評価してくれたっていう、そっちのファンに向けてだけ書き続けるってことになるわけよ。


 で、たぶんこの芦原先生もさ、そうだった可能性が垣間見えるんだよね、文面に。


「特徴あるキャラ付けにしてある人物たちが、よくある凡作のあるあるキャラに改変されていたことが許せん!」て感じのことが書かれてたんだよね。


 こんなにハッキリとは書かれてないけどね、そりゃ遠慮したオトナの対応の文面だったけど、先に煽ってきた脚本家さんに対しての、アンサーとしての性質がそこんトコに滲んでるなと思ったのよ。フォローすんのどんだけ苦労したと思ってんだ!て。


 先生が本当に恐れていたことって、ドラマが大爆死したらいいけど、もし中途半端に評判良かったりした時が怖かったんじゃないかなと思って。


 漫画の編集部がさ、テコ入れで連載漫画を台無しに変更させるケースってのも多々あるじゃん。本当によく聞いた話なんだよね、これも。部数が売れればいい、て考えがあって、そこが出版社もTV局も同じなわけじゃないですか。


 だから先生が本当に恐れて、いちいち脚本に注文を付けなくちゃいけなかった理由って、「ヘタに凡作改変されたままで一部のファンにチヤホヤされたら路線変更させられる!」だったんじゃないかな、て。


 これ、出版社はさ、考え違いを起こさないで欲しいんだよね。特に今回の「セクシー田中さん」の場合だと、その大人気は既定路線で得た人気なんだよ。それで、ドラマの方でチョロっとウケたとか言っても、それは視聴者の数がそもそも違うんだよ、て。(ジャンプの編集部とかはこの辺ちゃんと心得てるっぽいけど…)


 漫画は100人のうちの10人が既定路線を「これ凄い、」で支持してくれている状態で、ドラマは10000人のうちの20人が凡作路線を「エモ~い」で支持してるに過ぎないんだ。それも一過性の、素通りするインスタにイイネする程度の支持なんだよ。


 それを端的に表した言葉なんだよ、「特徴あるキャラがよくある――」て一文は。


 これをちゃんと見抜けるかどうかってトコの信頼が、小学館の、その掲載雑誌の編集者になかったっていう可能性あるんだよね。だから連載で忙しいのに無理して脚本の手直しして、最後は絶望までしなきゃいけなかったのかも知れない。


 編集部を信頼してて、ドラマがどうだろうが既定路線の変更などあり得ないという安心感があったら、芦原先生はドラマなんか「見なきゃ済む」で片付けていたかも知れない。


 ドラマを入り口に入ってきたドラマファンがさ、ドラマとは違うストーリーだけどぜんぜん凄い内容だった原作に触れて、一気に原作信者になる、なんての、これもアルアルな話だったりするじゃん。


 出版不況で編集者が増やせなくて、新人教育もままならなくて、て話も聞く。色んな疲弊がさ、巡り巡ってシワ寄せがこう、先生に行っちゃったのかなとかも思うん。



 それともう一つある。


「推しの子」のあの構図はさ、たぶん違うと思うよて書いたけども、あれで気付いた点があるんだよ。すごく巧妙な隠蔽。


 あの図、思い出してよ。両端に原作者と脚本家を置いて、間に人が挟まりすぎてたでしょ。だけどそもそもであの構図が「無駄の極致」なんだよ。


 原作者と脚本家を右側に一纏めに置いて、反対側に出版社とTV局とスポンサーと芸能事務所を置けば、ずいぶん無駄が省けるんだ。少なくとも脚本家のリテイクは減る。リテイクって、発注側がボンヤリイメージを是正すんのが近道なんだよね。


 まずTV局とスポンサーと芸能事務所で大枠を作って、というカタチだよ。たぶん現在言われる「制作委員会」はコレに近いと思う。先に要望を纏めて、それをプロデューサーが原作者に通して、そこから脚本家とすり合わせして、都度で制作委員会に確認を取って貰って、て、この連絡役がプロデューサーだよね?


 社と局の利害は一致してるはずなんだよね、ヒットさせたい、だけだ。


 人気アイドルとかを頼ってたのは、俳優界隈が振るわなかったからだけど、今は俳優界隈のがヘタするとアイドルより人気ある。俳優は役に合わせてくれるから役を改変しなくていい。芸能事務所もアイドル売るのに演技力をPRするようになってきたよね。


 後はさ、時代の変化を敏感に感じ取れない人がいつまでも昔の常識を信じてるのをどうするか、てトコじゃないかと思うんだわ。



 で、旧態のあの「構図」ってのはさ、原作者vs脚本家に見せかけて、労働者vs権力・資本、ていう構造を覆い隠すために作り出された旧時代の遺物だよね。そこ気付いたら「!!!!」て、なった。(笑


 んで、「労働者」側に無理強いしてんのは、実は「権力・資本」じゃないんだよね。その間を取り持つ「ネゴシエーター」の能力不足を覆い隠してんの、これ。


 とはいえ、「外注」も難しいもんねぇ…




追記:

 私は「改変OK派」だけども、黙っていてあげるほど優しくないのはある。このブログ読んで貰えば解るけど、出来が悪けりゃボロクソに叩く。時間空けてとかもしないで感想文とか言って即上げると思う。それ覚悟の上でお願いね、てスタンスの改変OKかなぁ。うん。


 芸人さんとかそうじゃない? ネタがアカンかったら容赦ない。あれがいい。

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