書き写しておきたい言葉をメモる
棘で知ったコラムの内容を丸写し。
折々のことば 鷲田誠一著(2026)2020.12.18
「自己批判」を自らせぬ人は「寛容」にはなり切れないし、「寛容」の何たるかを知らぬ人は「自己批判」を他人に強要する。 渡辺一夫
寛容が自らを守るために不寛容に対して不寛容になるのは「寛容の自殺」でしかないと、仏文学者は言う。寛容は不寛容の暴走を前にして「涙をふるって”最低の暴力”を用いる」ことはありうるが、最悪の場合を除けば、不寛容を制止する武器としては「説得と自己反省」しかないと。
トーマス・マンの翻訳を含む随筆集『五つの証言』から
渡辺一夫のフランス・ルネサンスの研究は、世界大戦の間から、つまり日本の文化を軍部とファシズム体制が圧迫していた時期から始まりました。この時代に、狂信と不寛容と暴力に反対する思想を説くことは、――渡辺はこの思想をユマニスムと呼び、エラスミスムとも呼んでいます――、当然ながら危険な事業でした。
『日本の知識人』大江健三郎
『愚神礼讃』エラスムス、読んでみたいな。ポリコレやフェミの対岸に違いない。
ユマニスムの語源をググる…「ヒューマニズム」のフランス語読み。人文主義。西欧近代精神の根幹、だそうな。(「源泉へ」人文主義の原則。古典研究を通じて、権威主義的固定概念を打破し、より自由な思考を実践しようとする姿勢)
「涙をふるって”最低の暴力”をふるう」に関する許容範囲「最悪の場合」というのは、これは国家レベルとかの完全ファシズムを指すのは、文脈読めばアホでも解ろうもんだね。それ以外では「説得」と「自己反省」しかないと説く。
…ものすごく頷く内容。
ポリコレとかフェミさんとかで、たまに、敵対者たちを「アクティブ」だと称する者が現れるんだけどもさ、いや、行動を起こしているのはあんたらだけで、反対勢力は決してアクティブではないでしょ、と疑問に思うのな。
我々は、火を付けた覚えはないわけだ。あんたらが火を付けたのを、あんたらごとバケツの水をぶっかけて回っているだけで、これは「受け身」のはずだ。
ここに、彼らの「自らの立場の誤解」があるなと思うんよな。たぶん、フェミさんが上の言葉を読んだら自分らを棚上げに、反対勢力のことだと思うんだろう。けれど、大事なことだから二度言うけど、「我々はアクティブではないよ?」と。
「寛容が自らを守るために不寛容に対して不寛容に――」の下りは、寛容とはアクティブではない側になるんだ。文脈をちゃんと読め、てことだけども。運動し、行動している以上、彼女らは寛容側ではないんだよな。
寛容・不寛容で二分するなら、運動側は「不寛容」。
(注:だけどこれ、わざわざ出向いていって反撃ではない攻撃しかけた時点でそれも不寛容側になるんだろうけど、その線引きはビミョウな気がする…。どこまでが反撃か?)
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