フェミと映画と追記

「ターミネーター」の新作の話、一個言い忘れたんで書いとく。


 シリーズ通して、絵面の斬新さとか格好良さってのがあるんで、やっぱハリウッドはね、カネかけてるだけのモンは作ってるわけですよ、毎回。


 つべこべ言わずアクション観ろ! てな感じで。



 ただ、フェミ的な要求でジョンが取り替えられたと予測して、あの「ダークフェイト」というタイトルがね、フェミ運動自体に対しての皮肉でもあるだろなと思ってて、そういう意味ではあの映画は評価が難しくなっちゃうと思ってんのよ。


 アレだよ、キリストの位置にいるはずのジョンコナーを取り替えるという意味を暗にあのタイトルだけで仄めかしているし、突きつけていると思うんよ。(もちろん、映画関係者はそれ踏まえた上での、ガチの真剣さでストーリーを極めてるわけで、だから「IF」の物語ってすげぇなという複雑構造)


 そう考えると、うすっぺらいよね、フェミ運動。



「お天気お姉さん」の解説でも書いたけど、本当に女性を解放するってなったら、性をどう取り扱うのかって避けて通れないはずなのに、そこは完全に無視して、表面だけの平等で結局は溜飲下げてさ、満足しちゃってんのよ。(だからよーく考えると、性に無関心な妙チキリンな人間として描かれてる感じがしてくる)


 別に、主人公は女性でなければならない理由なんかないんだわ、多くの、女性と取り替えられただろうと思える配役って。だって、女性でなければならない理由に、性の部分をヌキには説得力なんか付くわけないもん、そこ無視して。それが「お天気お姉さん」解説しててふと気付いた点だわな。


 運動してる女性たち自身が、すごく中途半端な覚悟しかない、ての暴露したようなもんであり、映画作りですごく深いとこまで決めて(マシンガンの薬莢の出方一つでも拘る世界だ!)作ってるよーな業界の人々に見抜かれないわけがない、てことだよね。そんで、世界はまだ女性の性に寛容さなど持たないから、業界が取った方策は、「女性を描いていると見せかけて、姿は女だけど『人間』としてしか描かない」という妥協案だった、てことだよ。性の部分を抜いたら、それは男女差など関係ない、どっちでもいいモノ以外の何者でもない。


 それでもものの見事に騙されて納得してんだから、フェミと言ってもその程度、てことなんだよ。


 そんで、解らん解らん言うてる人が多いが、フェミが問題視する「女性の性を利用する」行為ってのはコレを逆にしてるってことだ。人間として描きつつ、特に視覚分野だけど、絵面だけは胸と尻をくっつけている、てことだよ。別に無くても構わんのに、あるべきな理由もないのに、「見栄えだけの必要性で胸と尻をつけたいがためだけに、女性にしてる」てことだ。


 ずーっとさ、「女性」ってものに本当には向き合ってこなかったんだよね、世界は。だから、いざフェミ運動が起きて「ちゃんと描いて!」と言われても、誤解だらけだし、誤用のがまかり通ってるしで、どうにもお手上げだった、てことだわ。



 せめて、小説界隈はさ、「本物の女性を書いてみよう」て機運が起きればいいね。

(最近、太宰を筆頭に昔の文豪が持て囃されてるし、彼らに倣って”本物志向”もいいんじゃないかと思ったりする。なんかの運命かもね)


 文学界でも、女性の中の「人間性」という逆方向アプローチは割とポピュラーだと思うんだけどさ、ちょいちょい挙げられるし。だけど、「女性の性」っての、そのものを真正面から、飾りも幻想もヌキで、てのは一つ二つしか思い出せないなぁ、て。


 昔からあるテーマだけど、盛り上がったコト無いの、なんでだろうねぇ。

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