走者に二種類あるように、小説書きにも二種類がいる

 走る能力とひとくちに言っても、短距離向けのランナーと長距離向けのランナーがいるという事実は割と知られた話と思う。確かそういうのは何にでも付いてくる話で、たいがいの物事には数種のタイプがあるはずだ。


 なのにどういうわけか小説書きだけは一種しかないように思いたがる人が多い。


 先日紹介した記事を最後まで読んでいてちょっと違和感を覚えたのもソレで、面白いという評価ひとつでも何種類もの面白みの違いがあってしかるべきと思うのだが、どうも、得にラノベ書きの人に限ってなのか、他種の面白みを認めようとしない。


 文章の妙味という面白みもあるので、ふつうに芥川賞は期待されるしそこそこ売れるのであるよ。ノーベル文学賞ともなればフィーバーだ。


 ただそれは非常に敷居が高いし、求めのレベルも高い。


 しかし、あるのは事実だ。だから、そこを目指すのは極めて厳しい道のりだという書き方をするなら解るのだが、どうも読んでいると、そういう道など無いかのように思っているのではないかと……そんな気がしてしまう。


 まぁ、そういう道を目指す者の中には「あなたたちとは違うのよ、あなたたちとは。」という感じに思っている人も少なからず居るから、その反発なのかも知れないが、例えるなら遠泳と25mクロールのタイムを競うほど馬鹿げた話ではないだろうかと思うのだよ。うん。


 それに、ほとんどの文章コダワリの書き手は「ラノベとは違う」と言うけれど、それは驕っているわけではなく、事実を述べているまでだからね。だって、そもそも先にラノベが言ってるんじゃん、「文章はどうでもいい」って。だから、文章コダワリの方ではそれを受けて「ラノベとは違う」と言ってるまでなんよ。だってこっちは文章にコダワリ持ってるんだもん、違うんでしょ?て。


 これはたぶん、読み手にも言えることで、文章にコダワリない読者もいれば、文章にコダワリあるから、Web小説自体を読まないという層まで様々だからさ。


 そういう背景がありながら、あくまで面白みに文章は関係ないとか言うのは、それはそう思いたいなら思えばいいけど、そうじゃない人が居るのも確かだからね、ちょっとモニョるというか、何というか。(笑

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