【哲学】私は私に何をさせたいのか?~根源的生存戦略~

 生物は、その種ごとで「生存戦略」っつーもんでパターンの変化があり、現在これだけ多様な生物相が出来ているとか何とかのね。その中の、「人間という種の生存戦略」は何かってのを考えると、私は「思考」だという説を採ります。


 人間の生存戦略は「思考」。それも、できるだけ高度なほうがヨロシイ、すなわち「頭の良さ」で生き残っていけるようにしよう、という努力で突き進んでいると考えてます。だから他の生物に比べて異様に脳みそがデカい。


  しかしだね、生き残り戦略の為の進化に「思考」てのを選択したせいで、色々と困ることになったよね。まず、競争があることに気付いてしまった。他者の存在に気が付き、社会性が構築されるってのは、多少思考性の高い生物ならイケるわけだけども、例えば狼とか犬とか猿とかね。人間はそこで止まれなかった。


 生き残るにも優先順位があることに気付いてしまった。


 生存戦略上の、この順位で確実に残れるのはおそらく上位何十パーセント。こういう計算が無意識に回る程度には人間は賢くなりすぎていて、賢さゆえに自身の優位性を確保しようとしだす、という感じ。


 かくして、優先順位を決定する「思考」の優劣ってのを巡って色んな工作が始まるわけで、まず「腕力」的なことを付加しようとする者が出るでしょ、そしたら発展系で「女は男より弱いから纏めて下にしよう」て考えるヤツが出るわけよ、全人類の半分が無条件に自分より下に出来るわけだよ、これ。


 世の中がわりと雑で、力任せだった時代はこれが使えたんだけど、だんだん高度になってくよね、そしたら「腕力強いだけのアホたれになんで思考で勝るヤツが負ける」と正気に戻る勢が増えてってさ、力優遇が終わるわけよね。血筋優遇とかもね。


 生存戦略で選ばれたのはあくまで「思考」の優劣だから。力は補助。だからスポーツでも戦略がわざと混ぜてあるものばっかが栄えてる。てか、ただのケンカでも戦略を入れ込んで勝敗を左右してしまう、これが「生存戦略」で本物の「力」だから。


 さてさて、そうなると頭の良さで優劣決まっちゃうようなモンで、文明というか、道具が発達するにつれて、この「優劣」も明確に解るようにされてっちゃうんだよね、種としての戦略であり、曖昧にしたって意味ないから。個ではないのがミソ。


 しかし、「思考」だかんね、唯々諾々と従うわけないよね、悪知恵働かせるのも「思考」なんだから、勝てば官軍ってなもんでな。


 とにかく生存戦略の「思考の優秀さ」をベースにあらゆる手法で、他者の足を引っぱり、自分にゲタを履かせ、社会を騙くらかして、「優遇される上位何パーセント」に食い込もうと、人間は日夜頑張って思考を巡らせている、という感じだろと。


 平等だの平和だの権利だのも、まったくここから出ないよなぁ、て。国家とか法律とかあるいは家族とか愛なんてモンまで、ただの「策略」。


 そう考えるとさ、哲学とか科学とかはてはモラルとか規則までが、優先順位で誰かが誰かより優遇されるようにっていう小ズルい考えが根底にあるよな、とね。




 ま、そういうワケなんで、根源にまで立ち戻ってみると人権だのフェミだの言っても目くそ鼻くそだな、と思ったりするわけっすよ。ニヒリズム寄り発言。

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