文学とラノベに話を戻そう。二者はまったくのベツモノだという話だ。

 ちょいちょい聞こえてくる「レーベルが違うだけで、差なんてない。」ていう民族浄化思想じみた言説がな、すんごい危機感を煽ってくんだよ、うん。焦るわぁ。


 そりゃあ、ラノベさんは天下取ってる覇権ジャンルだからさ、将来も安泰だろうけどもさ、こっちは弱小で衰退を常に心配してるよーな少数派民族なんだよ。呑み込もうとしないでくれ、てコトなのよ。


 国語の授業とかでさ、文学批評とか習ったでしょ? 一文レベルで「接続詞がコレであるなら、その意図するトコロはあーだこーだ……」て、アレ。


 て・に・を・は、の助詞ひとつでも文学では割と厳選してるから、一文レベルなんて言わずもがなでさ、一番しっくりくる表現を厳選してんだよ。ポケモンみたいに。


 そうか、ゲームのやり方の違いで説明すりゃ解りやすいかもだね。


 文学とその派生の文芸ってのは、ポケモンでいう「厳選派」なんよ。一文を推敲しまくって、一番ぴたっとくる文章を都度で「キミに決めたぁ!」してんのよ。(笑


 けど、そうじゃない人居るでしょ?


 話を進めるのが優先で読み返しさえしないとかいう話も聞くじゃないよ、そういう人は「厳選派」とは違う、別の派閥でしょ? そういう話をずーっとしてんのよ。


 で、上にあげたみたいな厳選派には、体系的なモンとか歴史的なモンとかまで組み込んでやってるような超コダワリ派も居て、そういうのをザッと一括りに「文学・文芸」つってんの。


 昔の文豪なんか軒並みそうだけど、お互い自前の文学論を持ち寄っては殴り合いとかしょっちゅうしてたでしょ。そういう「文学とは」な論理を作ったり殴り合いしたりも含んでの『娯楽』が「文学畑」なのよ。カスタマイズした自慢の文学論でどつき合いまでが「お作法」なんだわ。かなり好戦的なのよ、ホントは。


 で、喧々諤々と仲良く喧嘩してだな、実作はいわば実験とか試験で、はなから我がで作った論理を実地に組み上げてテストするためのモノだったりするのよ。その意図がテーマの他に含まれてんの。で、それを批評とかでズバリと当てられたりすると密かにニヤニヤと喜んだりすんのよ。


 だからどっちが本職だか解らんくらい批評ばっかやってるよーな作家先生だって居ると思うよ、探せば。


 文学派生の小説ってのはさ、一文、一文字、その背景に至るまで余すこと無く大いに利用して全力で遊ぼうってジャンルの娯楽なんよ。だから「文章なんて読めりゃいいんだ、」なんて価値観のラノベとは相容れないでしょ。


「厳選派」って本家のポケモンでさえ、ちょっと引かれる性癖なのは解ってんだよ。だけど、それが好きなんだからしょーがないし、こっちはこっちで勝手に遊んでんだから、一緒にしようとするなって苦情を申し立てているだけだよ。で、どこがどう違うかってのを丁寧に説明してるだけなのに、なにが「高尚ぶりやがって…」だ。


 んで、文学・文芸ってのはかように、批評とは切っても切れないし、セットだからさ、そこからしても既に「ラノベ」とは違うんだって。解ってる批評家さんになるほど、ラノベは畑違いで批評できないってはっきり言うじゃん、これがあるからだよ。


 私に言わせりゃ、文学・文芸やってるくせに批評を否定するよーなことを言ってるヤツは、文学・文芸はやってないと思うんだよ。これもカスタマイズな持論だけどさ。


 で、実作はやっぱ大変じゃん。才能云々は無くても書くだけなら出来るわけで、そういうハードルはないんだけど、面倒なことは面倒なんだわ、特に厳選派をやるなら。だけど、実作不要で厳選派に参加できる方法ってのがあって、それが「批評」なんだよ。


 何をするでも参加の敷居を下げて裾野を広げないことには始まらないわけだけど、その裾野で、敷居を下げるための有効打が「批評」なんだからさ、厳選派のくせにここを否定するって自滅を早めたい工作員か、コラ、てな感じなのな。


 実作できなくてもいい、批評でもって、あるいは感想文でもいい、どしどしご参加お待ちしております、てコトだよ! 要は!

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