創作論の前置き、どこまで書くか問題

 文香さんのヤツ、ストーリーに落とし込んでキチッと一冊にしたいのだけども、創作論から始まって実作提示まではやるとして、この創作論っての、どこまで書けば足りるかなぁと悩んでます。


「ガンダムはSFか?」とか、「ミステリの定義問題」とか、「定型発達同士の阿吽の空気」とか、そこから始めないと理屈自体が解らんと思うんだけども。


 えー、まず『集団心理』てのあるのよな、ガンダムの件がこれに絡んでいて、そこから始めたいよーなモンだけどヤバいだろな、という。

 小説カテゴリでいうサイエンスフィクションっていうのは、ごく単純な定義だけで規定されている分野なんだけども、「実相からシミュレートする結果予測の尊重」が守られていて、科学に類するものが主軸の小説って感じで。すごくシンプルなんよ。


 同じようなモノに「文学」がある、ての片隅に置いといてほしく…


 ところがだ、このシミュレートってのは科学要素が増えれば増えるほど煩雑になって、専門知識の解説部分も膨大になっていく、ての… 『わかるよな?』


 人間心理の捩れというか、SFのシンプル定義を守れないケースって沢山出てくると思うんよ、特に舞台が時間的にも空間的にも実相からかけ離れていけば。つまり、遠い未来だの、この大地から遠い場所、てヤツだけど。あるいはデータ報告のない架空の設定ね。超能力はセーフでも、異能力はアウトっぽくなるのはこれのせいで。魔法をマナとかいう架空の元素とその法則とかに準えて、科学考証を無理くりやったとかの話がよく聞かれるヤツ。

 そういった設定のアレコレを科学的に検証、総合でどう波及し合うかをシミュレーションするのがかなり大変だ、てのは想像がつくと思うのですね。(スマフォのない時代に、スマフォの登場で変化する社会や人間、てののシミュレーションだから)


 こいつを厳密に守るべき、に近付いていくほどに、SF原理主義となっていくわけです。シミュレートの正誤は問題にされないのね、答え合わせが出来る設問ばかりじゃないし。ただ、明らか理屈が合ってないとか矛盾してるとかの解るモンがあるじゃない、ガンダムならコロニーの形状とかの…(あれは単純ミスとは思うけど)


 あと、説明不足を通り越して説明なしだったら、巨大ロボで戦う理由は見栄えだけか、と誹られてしまうのは仕方ないと思うんよ。そこが後発のマクロスとの違い。これも理由はあったんだろうけど、説明が出来なかったんだろうと思ってるけど。尺とか、視聴者が聞きたがらないとか。SFは需要がないからね、SFの面倒くさい専門知識とかを面白がれる層なんて少ない。だから、端折るしかなかったんだろうと思ってる。そこをマクロスは巧く処理した。(原理主義者はマクロスにもやすやすと穴を見つけるだろうけど)

 そういう専門知識の解説が付いてんのが、SFなのだし、その気概で書かれたものの代表が、実は「指輪物語」だよね。ファンタジーだけど科学しようとした。どんだけ面倒臭いかは設定解説部分を開けば解るという逸品。


 別にSFに拘らなきゃいいだけなんだけど、これも本格ミステリという冠と同じに、ある種のブランド力ってのがあるから、ファンも売り手の出版社もその冠を出来れば付けたいんだよね。エンタメでは買わない読者も、SFとすると買うっていう層が一定数居るわけよ。これはランキングという箔が付いたら買うのと一緒。(だから悪いのはそういう連中だ)


 結果、どうなったかって言えば、「方便」を産み出したんだよ。


 それが、現在の各種「お約束」っていう内輪ルールね。人間心理のネジレ現象とでも言うのか。多数決の原理と、集団心理を利用して、ここに新しく都合のいいルールを制定して、それを浸透させたのね。数で理屈を押しつぶす作戦。(笑


 で、めでたく、「シミュレーションがおざなりでも科学っぽかったらSFを冠していい」っていう新ルールが誕生して、多くの作品がSFにカテゴライズされるに至ったわけっすわ。んで、厳密な意味でのSFを探したいって時に、ジャンル名としての「SF」てのが役立たずと化したってことです。んで、真のSF者に恨まれた、と。


 SFにしても文学にしても、エンタメとかラノベとかと何の格差もない、ただのカテゴリ名ってだけなのに、分類上の利便性を越えて、なんかステイタスで有り難がる空気があるからそうなるわけでしょお! たぶんね。バカバカしい限りデス。


 ミステリの方はもひとつ混乱してて、まず大元に「文学」があったんよな。


 文学もシンプルな定義があるでしょ、「人間を書く」ていう。しかも、歴史的に、文学にあらずんば小説にあらず!な空気があったから、ミステリが生まれた時に、なんとか、これも文学だよ、とするための方便が作られてさ。それが「お約束」であり、ミステリの書式になったんよな? たぶん。推理だけど。


 だからさ、厳密な書式のルールだの定義だのは、最初からなかったんだよね?


 ただ、「こんなの小説じゃない=人間が書けていない」のカウンターとしての、ミステリのお作法とかルールが必要だったから、これは法律の条文と同じに、解釈の幅を極力大きく取る必要があって、だから、逆算で定義に辿り着こうとしても無駄だったんだわ…(すごーくアヤフヤで、全部含むことも、全部弾くことも可能な定義だからね!)核心に、「正解がある謎解き」てのだけ明確になってて。(実相の多くは正解がない、てのも一因)


 文学の定義の一つは「人間を書く」だけど、もう一つに「学問である」があったから、そこにねじ込もうとしたってことだと思っている。文学は、テーマもさることながら、文章技巧なんかも論じられたから、そこを付いたんだよね。

 文学の両輪である「人間」と「技巧」の、「技巧」だけを引っぱるとミステリになるというか、叙述系のああいう感じの尖ったのが産み出されるってのも、考えてみれば面白いよね。


 まず理屈で全体を把握せんことにはそのジャンルの作品が書けないタイプの作者なもんで、ほとほと困り果ててたんよ。SFは解りよいのになんで?て。ようやく解ったわ。理屈だけは。


 けど、じゃあ、逆にさ、(フリダシにもどる)




 創作論の前置きにしても同じ。こんな具合にイチから十までは、さすがになぁ…て。だけど、こういうの説明しなくて、小説の背景って解るんかいな???

(そこら辺りの定型同士のフィーリングの、「解った空気」感が、定型ではない私にはものすごく疎外感だよ。ホントは解ってないよね? 解った気でいるだけで。)



 ここからここまで、という範囲を決めて切り取ってしまうのが、小説の書き方という実行に対しては、あまりに広い範囲の気がして、どこから手をつければいいのかが判断つかない、という感じ。テーマとか構造を決めるのにここまで手こずってんのも初めてですわ。端折りすぎれば漠然としすぎて役に立たんし、詰め込みすぎたらハウツー本でカテエラだし。うーん。



 読者層の問題もあるのです。どこの層に合わせるか。


 例えば、70代80代は戦後を生きた世代なので「独立独歩」、一番手強い。その下の60代は安保闘争世代なので、実は老害とか言われる口うるさいトコはここ。で、50代より下との間に隔世ってので、大きな隔たりありますわな。


 ところが、最近の10代20代から、またなんか隔世を感じさせる個というのがどんどん出てるじゃないですか。真のグローバルな思考を持つような感じがする個人っていうのが。


 この三つの隔世の塊に対してだけでも、その戦略とか対応は変わるわけです。

 これがもう、どこにどう合わせるべきかとかが解らない。


 普通にストーリーを作って、という、自分の作ったものをそれを好む人々に向けて発信するという形でない場合の、逆算での範囲の絞り込みっていうのの難しさっていうのを感じまして。構成を考えるくらい、早い時は一瞬なのに、読者に合わせるっていうことの難しさを痛感しますね。


 きっと、手が止まったまま書けないでいる人って、こんな風に考え込んじゃってるんだろうなぁと思うから、これの打破はきっと誰かの役に立つと思うんだけどね。

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