誰もが唯我であるということ
今読んでる我孫子先生の「人形はこたつで推理する」に、ヒロインのセリフで、未来が視えるということは未来が決まってしまっているということ、というような一節があって、強く、それは違うと申し上げたくなったんです。(もちろん、それは後にフロイトの引用で作者自身の主張ではないと暗に書かれてある)
ま、啓示とか霊能ってのを信用しない人がよく言う理屈だけどね。それを私は完全に否定してしまうわけですが、啓示にしても霊能にしても占いでも、要するに「統計」を語っているに過ぎないので否定など出来ないって言いたいのです。
そんで、ついでに、啓示でも霊能でも、占いはもちろんのことで、100%の的中はないのです。統計だから。(論理というものもそれは同じと思ってるんで、ミステリ書くのが時たま苦手に感じるのは余談)
1+1が必ず2になるわけじゃないのが正確な論理。非常に稀な確率では2以外の答えが出てしまうのが数学の面白みと学者の先生方も言っとります。
しかるべきデータが揃っていれば、どういうケースの結末を迎えるかはだいたい予測が付くわけです。使う計算機の性能が良ければ無限に近い試算が行えるという理屈ね。その中の、現時点の流れで迎えるであろう結末の、確率的に一番高いのを出す、それが占い。その計算の元データをどっから取ってくるかでこの確率は飛躍的に高まりますが、一番正確かつ膨大なデータにアクセスできるのは? つまり、啓示や霊能というのはそういうことなんです。
今までの歴史や現状のあらゆる物事の流れをぜんぶ計算に組み込めば、恐ろしく正答に近い予測が可能ですが、それを可能とする者は限られている。そんな者が存在するかどうかも未知ですし、だけど無いと否定は出来ない。
証明の出来ない存在と意識を交わし、彼らの弾きだす試算にアクセスできると仮定した時に、初めて存在を露わにするのが「神」とか「霊」とかになります。啓示や心霊はだから、最初から「仮定」と前置きされていることは了承しといて欲しいわけでね。そこからかい、と言いたくなってしまうわけでして……(とほほ)
存在の証明が出来ないというだけですが、さっき書いたように統計なのでハズレることはあるわけで、100%はありえないわけですから、これを理由にぜんぶを否定されると鼻で笑うしかないわけですね。
彼らが何者かを、正確に把握できる「人間」というものもまた、証明出来ないわけなんで。自己申告で相手が誰かと言ってるだけで、それが事実かどうかは別問題。
話がタイトルからずいぶん外れてしまいました。
かように、人間は自分自身のことですら何も証明しうるものではない、という大原則をまず理解してもらって。
今年は、「弱い者」にスポットが当たるとかのリサーチがあったんです、どこで読んだか忘れたけど。そういや、死にゆく者とかそういうのが流行る兆しにあるなぁというのを思いつつ、聖お兄さんの一人がいっとった「唯我独尊」という言葉を思い出したりしたわけです。
これ、私の解釈だけども、唯我って、「我、ただ一人」という訳ですけど、字面通りに「自分しかないのだ」ですわな。今の自分がどういう状態に置かれていても、そうなったのは自分の責任においてでしかない、という。(ちなみ、独尊の方はあんま意味のない「とってつけたオマケ」と思うの…)
責任転嫁で、よく、親のせいで…みたいな理屈も聞くんだけど、厳密には、非常に冷酷な言い方をするならば、それは親のせいでなく、お前のせいだ、と。
どんなに過酷な環境で、酷いヒトタチが周囲に居て、となったとしても、厳密には、そこから逃げなかったお前のせいである、というコトになっちまうわけです。
親になって初めて解ったのは、親というだけで無条件に犠牲を強いられるということ。ただ血が繋がっているというだけで、子供に責任を持たせられる。子供の頃は、そういや、それを無条件に当たり前のことと受け入れていたなぁと。
親になったからといって、自分のことだけで精一杯という状況が好転するわけじゃないんですよ、それどころか、ますます責任は増え、アップアップな状況は悪化する。キャパオーバーしてしまう人が居たとして、どうして責められようか、と思って。(犬飼ってたけど、育てられない仔は、生まれたてだろうが死んでしまおうが、さっさと巣から放り出してたよ、それが本来の正常な判断なんだよね。それを認めたくないから、正常だとしないために、犬畜生と蔑んだのだよ。差別で糊塗した。)
あのお方のいった「唯我」とは、そういう意味なのだろう、と。親になってみないと解らないようなことだけど。自立してくれ、と親になると心底願うようになるのね。自身はまったく自立なんぞ出来てないくせに、おんぶされて沈みそうだから、引き剥がしてしまいたくなるのかと、そんなことを思います。
親になると、無条件に子供のために生きろとか理不尽なことを言われるのね。子供を産み育てることが幸せ、だなんてセリフ、もう誰も信用しないでしょ。
私も一人の人間でしかなく、親も一人の人間でしかない。私が苦しいのと同じ程度には相手だって別の何かで苦しくて、人のことなど構っていられない。
そういうものでしょう。人間は。
人だって、畜生でしかない。六道は、同時にすべてが重なっている。
無償の愛なんてのは、押しつけるべきじゃない理想ですわな。それを当たり前に存在するなんて思ってしまうと、いろいろを正しく把握できなくなります。正しいデータではなくなる。(当たり前でないからこそ、無償の愛を注いでもらえることが、尊いこととなり、当たり前でないから、それを注がれなかったことを、恨むな!と。)
この世こそが地獄。そうも仰ったけど、すごく深い言葉です。
どんなに嫌なこと、夢も情けもないことでも、そちらのが正しそうならデータの修正を厭わないことが、これからの時代では大事だと思う今日この頃。
2000年代は今まで大きな顔しとった理想論が事実を前に敗北する時代なのだ!
無償の愛を誰かに注ぐ、あるいは注いでもらえることは尊い。その尊さを当たり前という価値観に糊塗されるという今の時代こそが、歪んでいるんだ。
だから、女性に向かって「子供を産む機械」なんて価値観までが登場してしまうんだ。子供を産み育てることが幸せなんてセリフは滅べばいい。誰もが自分の幸せは自分で好きに決めていいはずでしょう。そうしたら、子供は親に無条件で育ててもらえるという安心は消えてしまうということになるのです。だけど、世界を見渡せば、どちらが真実かは嫌でも解る。生き抜いた者が勝つ世界。優しくはない世界。
愚にも付かない理想論など信じて、傷を深めるのはあなたなんだよ、と。そう言っていける作家に私はなりたい。今年の抱負。(マイクラで豆腐建築を進めながら)
古い時代の役立たずな理想など捨て、新しい時代に即した理想の構築だ!
(アップデート!アップデート!)
この、優しくない世界で、人間社会は構成員たちに洗脳をかけてでも、子供を産み育てるのが幸せと偽ってきたけど、そうすることが種族繁栄の戦略だったけど、これだけ科学技術も発達した時代に、そんな洗脳や犠牲はもう必要ないんじゃない?
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