書き方系の記事は、もう必要とされていないかも

 時々、考えるのですよ。沢山書いた「書き方」系の記事をぜんぶ下げようか、って。なんでかっていうと、ラノベ関係の書き手も読み手も、技術っていうのはどうでもいいと思ってるじゃないですか。で、文芸系の方では、こっちはまたそれは個人でやるもんだという感じがものすごく強いのですよ。


 文芸系の方は、まず公開状態での交流というのをしませんわな。個人の繋がりでひっそり、というのばかりで。作品の発表とか読み合い的な交流はしても、感想とか批評とかはしない。それは出すぎた真似って感じがヒシヒシとしますね。


 切磋琢磨してる方たちはもちろん居るんだけど、公開状態ではないんですよな。だから、本気で、コミュ障だと周辺情報はまったくない。それが嫌で、なんせ私自身がコミュ障だから、ネットで公開状態での切磋琢磨の場所が欲しいということで活動してきたわけだけども、対立煽りとかも年々酷く、しかもラノベ勢の「技術不要論」が優勢でしょ。時代の流れだったら、さっさと消してしまおうかと思うのですよ。


 途中から、「小説の」ではなく、「文芸の」と区切りを付けて創作論とか技術の研究報告を続けてきたけど、文芸は文芸で、本当に個人主義が強くて、反応がほぼないじゃないですか。孤独に試行錯誤と執筆を重ねるものだ、という感じで。


 文芸系の人々は表にも出てこないから、どのくらい居て、平均でどの程度で、今どんな潮流が来ているだとか、そういう周辺情報はまったく解からない。プロで活躍しているトップレベルの作家陣から、そういう潮流の断片が見え隠れしてるだけなんですよな。そのくらい、文学や文芸は個人主義。他人など関係ない、それが明確に現われているから、文学や文芸のコミュニティはネットに存在しないんです。そりゃもう、見事なくらい。(苦笑


 ラノベでは不要で、文芸では必要とされない、だったら発表するだけ無駄なのだなと、かつて読書家の方が、創作論の盛り上がりに違和感を感じると仰ってたのが、どういう違和感だったのかが今、想像が追いついた、というか。


 自分の整理の為に、と言ったら納得してたのも、なんか今だと意味が解かるなぁ、と思ってますわ。他人に何をさせたいの? 自分が思い定めた道を進むだけなのに、そこに他人に教えることって、何か意味があるの? そう言われたんでしたっけ。


 よかれ、ということは善意であっても、善であるかは解からないんだねぇ。



 と、まぁ、書き方系の記事全般に関して、全消ししようかどうか、時々思い出したようにグラグラと揺れます、という吐露。フォロー数からして、無駄ってことはなかったと思ってはいるんだけどね、何が正しいかは五里霧中、てことで。


 消さないけどね!(今のとこ)



 ラノベやWeb小説界隈のように、文学文芸系の書き手たちがオープンにわいわいのタイプが多かったなら、現状の衰退はなかったかもなぁ、と思うのですな。だから盛り上げたいと思って始めたグループ講評参加や講座だったけど、あんま意味なかったか。皆、教える時間あったら自作を書く、のタイプだもんなぁ。自分もまた遅まきながら、そうなりつつあるもんね、文芸に傾倒するにつれ。(苦笑


 教えようがないことを、どうやって教えるの? とも言われたわけで、文学文芸は奥へ踏み入っていくごとに、個人差が拡大していくから、まさに、ですわ。


 技法そのものが、例えば作家A氏パターン、B氏パターン、みたいな分裂。(笑

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