「擬似家族」が人々の心を打つのはなぜだろう
てのを考えています。(いや、公募作を書けという話ですが)
気になったら止まらんのだよね。
最近のヒトタチはすごく敏感なのかもしれないと書きましたけども、鈍感な人ももちろん居ます。………………、喧嘩が売りたいけど我慢我慢。(笑
三代目JSBさんは、動画配信のほかに、ちょっと内輪のわちゃわちゃしたトコなんかをファンに覗かせてくれてるわけですが、本当に仲良しなんだなと感じさせてくれます。動画で表に出されている映像は、そのまんまで、裏に回れば実は、てのを感じさせないってことね。
昔はほら、スタァなんてのは秘密のベールに包まれててナンボって感じだったらしいのですけども、今は逆なんですな。どんどん見せてくれるわけです。それだけ昔は娯楽が少なく、もったいぶった方が価値が上がったという事情もあったんだと思います。
今はそんな、もったいぶった手法は逆効果で、ユーザーはさっさと別のものに乗り換えますんで、もったいぶり商法は通用しなくなった、てことでしょう。これが、引いては文学の、文章形態の問題にも直結するもんだと思ってますがいかがざんしょ。
視聴者を侮ってはいけないよ。すっごく洞察してるから。
蓮實先生の、漱石の評論本読んでてさ、ゾッとしたのよ。読者ってのは、作者の心の内をこんなにも見抜くのか、て。たぶん漱石先生が読んでも、そういやそうだったかなぁみたいな事を言われるんじゃないかって、自分でもうっかり失念してたようなトコまで洞察されてたら恐いじゃん、そういう「ゾッ」ていうのがあったんよ。
舐めて書いたらダメだなぁ、て思って。
それで、文章技巧ってのをこだわるようになったら、そこに「奢り」とか「見下し」みたいなものがあった、てのを思って。
小説は、孤独に書かねばならないものなんだね、どっかで小説家は孤独だとかの名言を見た覚えがあるけど、その意味を、誤解してたね。
誰かと比較をすれば、そこに奢りや見下しが生まれてしまうから、だから誰とも何とも比べることなしに書くという姿勢が必要なんだわ。その姿勢はまた、妥協をしたらダメでもある。小説家は自分を切り売りするって言葉も、嘘や誤魔化しを廃さなければ、読者には見抜かれるってことなんだ。
「時間ないしこのくらいでいいだろ、」とか「これは自分を抉るからこっちにすり替えちゃえ、」とかは、バレる。読者を侮り、バカにした態度に映る。そして、実際にそれは舐めた態度だよね。
今までの作品には、そう、特に文章技巧ってこだわり出してからの作品にはそういう侮りが滲んでいるんじゃないかって、恐くなった。無意識に、奢りがあったかも知れない、それを消し去るには、ただひたすら作品に全身全霊を傾けて、なにより、その作中人物たちに心を沿わせるしかないと思った。
誰のために作品を書くのか、その答えは、キャラたちのためで、その世界に作者も生きていなければならないんだ。モブも含めて、登場する全員がその世界で生きている、全員に寄り添う、作品において作者は神だからね。慈悲深くあれ。
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