講談社および芥川賞が「やらかした」

 これ、やんわりとノンフィクション作家の方から訴えられとるやん。


 やっぱり、剽窃はやったもん勝ちなのかなぁ…哀しいね。



 芥川賞選考委員は考えてほしいんだな、良心に賭けて、考えてほしい。


 この作品、例の先行作品を彷彿させると気付いていたら、取らせたの?


 選考委員さんたちも作家ならば、作家のプライドで答えてもらいたいし、その答えをどこかで明確に宣言してほしいと思ってしまう。どうなんだろう。純粋に、自身の審美眼を賭けたコメントではどうなのかを知りたい。



 無料公開したと言ってたが、両者を並べて公開するのでなければ無意味だ。


 なんかリケジョのあの事件を彷彿させるなぁ。芥川賞取り消しと謝罪で済ませりゃモメずに終わっただろうに。


 映画にもなったようなドキュメンタリー作品だ、その「下駄」の威力を証明しただけじゃないのか、本当に選考に携わった方々はじっくりとその時の自分の心の動きを思い返してみてほしいなと思う。「下駄」に感動しただけじゃないのか。



 ワールドカップで、ラフプレーが騒がれるようになった。近年では常態化して麻痺していたが、本音では誰もが腹に据えかねていた。だから、今年は細かいことまで注意される大会になった。


 小説におけるラフプレーが剽窃だ。常態化しているからと言って、読者が業を煮やしていないとは限らない。


 せっかく公開されているわけだし、講評してみたいと思う。「下駄」の先入観はあるので公平とはならないかもだけど。

http://book-sp.kodansha.co.jp/pdf/20180704_utsukushiikao.pdf


 最初の1ページ目で感じたのは、聞きかじりであろう「マスゴミ」と「フェミ連中の言い分」をテーマにしたいのかな?というトコロ。それから、作者さん自身の言葉じゃない。流行りの言動。あの極限の状態で、「金を払え」なんぞという陳腐な言葉が出るあたり、あの状況をまったく理解していない。取材不足ではないかと思う。

 取材不足だ、自分の体験といえるまで引き寄せていないから、何度も同じことを重ねて書いても迫ってこない。その代わりに、カメラ青年に対する憤りの描写だけはリアル。これは作者さんの心情が重なってるからだろうか。舞台が避難所だということさえ、うっかりすると忘れるほど心情は被災と乖離しているように感じる。

 途中でしんどくなって止めたくなってきたのだけど、この作者は、こうしてこれを書く自身をも、このカメラ青年に重ねるということが出来ているというのだと思う。読むの放棄するから確認しないけど、どこかからか、そういう描写になるのだろう。だから芥川賞に推されたとかそんなんなんだろうな、と思った。読んだところまでだと、まだ作者さんは自分は違うというスタンスでカメラ青年を攻撃してるから、どこかで逆転して、作者自身も読者もこの青年と同じだというような流れになるんじゃないかな、震災に対する描写は薄いから、そっちで受賞したんでしょ?といった感想。


 以上。

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