大江健三郎氏の小説論に触れて・続
「日常の言葉、僕のいいかたでは日常・実用の言葉は、われわれの現実生活のなかで自動化、反射化している、とシクロフスキーは観察する。<もしわれわれが知覚の一般的法則を解明しようとするならば、動作というものは、習慣化するにしたがって自動的なものになる、ということがわかるであろう。たとえば、われわれの習慣的反応というものはすべて、無意識的、反射的なものの領域へとさっていくものである。たとえば、どなたか、ペンをはじめて手にとりながら、あるいは外国語をはじめて話してみながら味わった感覚と言うものを、一万回目にそれを繰り返してみながら味わう感覚と比較してみれば、私の言うことに賛成していただけると思う。表現を完全に言いきらなかったり、単語を言いかけたままやめてしまったりする散文的ことばの法則は、こうした自動化、反射化の過程によって説明がつく。ものがシンボルで置き換えられた代数学はこの過程の理想的な表現である。……
こうした代数的思考法では、ものは計算と空間によって把握され、それらはわれわれの眼には見えず、最初の特徴によってその存在を知られるだけなのである。ものはあたかも包装されたようにしてわれわれのそばを通りすぎ、われわれは、それが占めている場所をてがかりにして、その存在を知るわけだが、じつは、その表面だけしか眼にはみえない。こうした知覚の影響を受けて、ものは最初、知覚として、ひからびてゆき、ついで、このことが逆にものの生成に影響をおよぼしてくるのである。日常語で単語がおしまいまで聞かれなかったり(レフ・ヤクビンスキーの論文参照)するのは、こうした散文的言葉の知覚法によって説明がつく。ここから、おしまいまで言い切らないしゃべり方も生じてくる(言い間違いもすべてここに起因する)。ものの代数化、反射化の過程で、知覚力の最大の節約が生ずる。ものは、ただ一つの特徴、たとえばナンバーだけで示されるか、意識にのぼりさえせず、あたかも公式にしたがって実現されるのである>(『ロシア・フォルマリズム論集』現代思潮社・刊)。
意識としてとらえられないまま過去に流された事物は、存在しなかったものと同じにされ、思い出そうとしても再現不可能である、と続く。
すごく遠回りをして、ここへ来てようやく、大江健三郎氏の論が理解できる、最低限の頭は出来上がったということだろうか。この本との出合いはそんな感じ。(笑
読み応え充分の予感。引用文、これでたったの5ページ分。まだまだサワリ、前提で含んでおくべき豆知識程度の内容だから、長文引用してもまるで問題ないと思う。
ほんの数ヶ月前の私には、きっとチンプンカンプンだった。
入り口がやっと開かれたわ。
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