『前世療法』読んでる。
いきなり思い立って、押入れに押し込んであった千冊近い単行本を整理した。
そしたら、読み忘れの一冊が出てきた。
いつものヤツである、導きだ。
『前世療法』という本だった。輪廻転生を信じていなかった精神科医が書いた本。
《引用》
旧約聖書にも新約聖書にも、実は輪廻転生のことが書かれていたのだそうだ。紀元三二五年、時のローマ皇帝、コンスタンチン大帝はその母へレナとともに、新約聖書の輪廻転生に関する記述を削除した。紀元五五三年にコンスタンチノープルで開催された第二回宗教会議において、この削除が正式に認められ、輪廻転生の概念は異端であると宣言されたのであった。
やっぱりなー! 絶対そうだと思ってたんよ。正しい経典でこれを書いてないわけがない、と思ってて、だから全ての経典は捻じ曲げられている、と思ってたもん。
けど、この本に書かれてある事のすべてに賛同するわけではないのだ。「ん?」と思うような記述も多い。やっぱ、長らくキリスト教で染まってる人らばかりが相手なので、いきなり高次元の話はしないよな、という感じなのだ。
だから、この本に書かれているのは初心者向け。
話は変わる。日本人の基本は『恥』であるね。これは、「なあなあの精神」と「お互いさまの相互扶助」との二本柱で成っている。
なあなあで済ませる、という時、それを要求している側は「相手の好意に甘える側」なのである。これは借りを作るということだから、どこかで返さねばならない。
これを借りた本人に返す以外にも、赤の他人に返してもよいとされているのが日本式で、なあなあを持ちかけられた時に引き受けるのは、自身もまたどこかでなあなあを持ち掛けねばならないかもと考えるからである。また、借りを返す機会でもある。
ところで、「お金」というものがある。これは、約束手形に過ぎない。なあなあで借りる際に、きっと返すから、という保証書だ。ここを勘違いしている者が多い。
この謝礼金を相手が使って、「助かったー、」と言ってくれる、これで初めて借りが返せたことになる。そして相手がまた、どこかの誰かになあなあで借りを作ったことになるわけである。借りっぱなしで返さない、これは恥ずかしい。これが、『恥』である。
家政婦を雇う。雇ってあげた、とかぬかす。その仕事は本来、誰の仕事だ? これは手伝って貰っている、が正しい言語だ。だからどんどん神の御許から遠ざかる。
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