「ヲタ女の願望丸出しで苦手だ」の意見
名前出しちゃっていいのかな。(ドキドキ
ピクシブ別冊(?)で連載中の「おたくに恋は難しい」を観たムスメの感想がコレだ。まぁ、彼女はかなりネガティブな精神性を持っているので、どっちかというとそういうのを自分に振ってしまって自己嫌悪的刺激が嫌だ、という意味なのだろうが。
でも、彼女が観たページは刊行版の冒頭部で、「俺にしとけよ!」とか、ヲタクの実態とはかけ離れたセリフを吐いているシーンである。ここに注目。
オリジナル版の、「採用!」のくだり、あれがヲタクらしい付き合いの始まりという気がするのだけどね。たぶん、それ(採用ではなく俺にしとけになった件)も含めての”苦手”だと思うのだ。なんとなーく、”薄ら寒い”というのは母も感じるぞ、ムスメよ! ムスメが苦手としたのは、果たして作品そのものなのか、作品の裏に感じざるをえないある種の欺瞞なのか、という点だ。
これ、前から気になってるシンゴジと君の名はの違いにも通じるのだろう。ナンチャッテにわかヲタク層とガチヲタ層の間に深くて冷たい大河が流れている気がするのである。ライトヲタク層とヘビーヲタク層、という方が蔑視感が隠されて良い。
ヘビーなヲタ層はライトなヲタ層を蔑視するが、それはライトなヲタ層が友好的な仮面を被った内面ではヘビーなヲタ層を蔑視しているからだ。
ヲタ女の願望、と言っているが、それは本当にはヲタの皮を被ったナニモノかであって、本当にはヲタ女たちではないのではないか? そう思うのだ。
これはまた、ちょくちょくヲタ男に関しても違和感を覚える事例があったりする。本当にソイツらはヲタであるのか?
ヲタはこういうものよね、という決め付けを許にヲタごっこをして、蔑視の悦び的な快感で楽しんでいるだけの、ヲタを騙る別の人種ではないのかと思う次第だ。
改定された刊行版は、広く世間に通用するようにとああなったのだろうが、もともとのあのエピソードが、そもそもはピクシブという場所のヲタ女には受けたはずだ。それがああなった意味を考えると、やっぱりヲタ女を騙るヲタ以外のなんちゃってが居るからだ、という結論に至らざるを得ない。改訂版はカノジョらがターゲットだ。
だからムスメよ、それは、お前が苦手と思うソレは、ヲタ女の願望などではない。
こう言っちゃなんだが、大衆向けというのは「ランクを一つ落としてやる」という意味でしかないと思っているのであるよ。ヲタというのもラノベというのも一部に特化した文化であって、万民に受けるものではない。万民にウケるとは中途半端になるということと同義だと思うのであるね。で、奴らもそれを恐らく知っている。だから、反発したバランス取りが隠された蔑視に繋がるのではないかと思っている。
深層心理のそのまた下にある蔑視というのはさ、どーしよーもねぇなと思うわけである。蔑視の下敷きにはコンプレックスだのがあったりして、人間って面白い。
皆で仲良くとか言うが、その深層には自身でも気付けない蔑視やコンプレックス、トラウマが隠れ、理想の裏返しに憎悪がある。面白く、愛おしい。
どうせ匿名ごた混ぜの場所がネットなのだから、なんでもアリでいいんでね?(笑
私のシュミに合わないエロ、趣味ドストレートなグロ、嫌いな人も同好の士も居るわけで、嫌いなモンをボロカスに言うのも好きなモンをべた褒めするのも、その意見に噛み付くのも等しく『個人の勝手』だと思うのだ。喧嘩すりゃぁいいじゃん。
モットヤレー(笑
「好き」は「嫌い」であり「憧れ」であり「嫉妬」であり「均衡を崩すもの」であり「バランスを取らねばならないもの」であって「恒常は変化」なのであるね。
心はひと時として同じところにはない。
喜怒哀楽ってのはセットでさー、感情ってのはいつでも全部が顕われていて単独になってなどいないよね。今気付いた!(発見!
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