第五話 ベイビーベイビーエンド会いたくて



 膝まであるパールカラーのフレアスカートがヒラヒラして落ち着かない。肩にかけたショールもいつも使わないアイテムだから気になって仕方ない。高級ホテルのレストランで食事だなんて、和室でのお見合いとは勝手が違いすぎる。


 派手にならない程度にドレスアップはしてきたけれど、こんなことなら着物のほうが良かったかも、いや無理か。


 いくら着なれていて落ち着くとは言え、目立ちすぎる。こんな場所では。



 父と車で来たから、少し早く着きすぎたみたいでお母さんはまだいなかった。腕時計を見ると約束の時間まであと少し。



(……同窓会はもう始まってる頃かな)



「琉依は何を着ても綺麗だな。きっと母さんも喜ぶ」



 ろくにこっちも見ないで父は適当なことを適当に言いながら、煙草に火を付けた。館内禁煙ならいいのに何故かここは喫煙可能だった。



「お母さんとはどこで?」


「病院だよ、彼女今もナースだからね」



 今も?……昔もナースだったんだ。





 フロアを見渡してから、窓の外を見る。都会を見下ろす景色はあんまり好きじゃないんだけど。空が低くて汚いから。私が手を伸ばしたい空はこんなじゃないって思うから。



「……琉依……?」



 名前を呼ばれて振り返ると、すっかり歳をとったお母さんがそこにいた。面影はあるけど、すっかり別人。でもお母さんから見た私のほうがもっと別人なんだろうな。


 自然と顔が綻んだ。



「お母さん……」


「立派になって。もうすっかり大人ね」



 もうすっかり、私は大人だろうか。涙ぐんでるお母さん、記憶のお母さんの涙とは違う嬉し泣き。何だかホッとして肩の力が抜ける。



「お母さん今は幸せに暮らしているの?」


「仕事を続けてるわ、それより琉依の話を聞かせて」


「まあふたりとも掛けたらどうだ。今日はゆっくりと話せるんだから」



 父はボーイさんを呼んでワインを注文した。私とお母さんは席についてから簡単な近況を報告しあったけれど人生の大半を離れて過ごしたせいで上手くは言えなかった。





 そのうち料理が運ばれてきた。父はこのホテルの料理長と付き合いがあるらしく、オーダーは事前にお任せしたらしい。


 パンプキンシチューのパイ包みを食べながら、話し足りないのに何を話していいかわからなくなって、父とお母さんの会話を黙って聞いていた。時計を見るともう一時間も経っていた。


 ワインのせいでほろ酔い気分でいた時、お母さんが言った。



「琉依はお付き合いしている男性はいないの?」



 とっさに浮かんだのはやっぱり泉谷で、慌てて揉み消した。



「いないよ」


「そういえば今うちの病院に新しく来た医者がなかなか筋のあるやつなんだが」



 父がナプキンで口元を拭って私を見た。



「娘の婿に来ないかと誘ったら」


「お父さん、」


「まぁ最後まで聞け」



 ムッとした私を手で制して父は話を続けた。なるべくお母さんの前では祖母の話はしたくないし、だから見合いの話もしたくなかったのに。



「そうしたら、『とうの昔にフラレています』って言いやがった」


「……どういうこと?」



 意味がわからない。お医者様の知り合いなんかいないのに。祖母が連れてきた見合いの相手なら皆父は知ってるはずだし。



「琉依がもしいつか結婚するなら、その時はちゃんと私のことも招待してくれるか心配で」


「はは、その時は報せるさ」


「もう……私は結婚なんて」



 遠い昔に『結婚して』って言われたけど。きっともうそれも叶わない。だって。



「琉依……?」





 驚いたようにお母さんが私を見ていた。どうしたの?っていう前に私も気付いた。



「どうして泣いているの?琉依」


「……私、泣いてる?……ちょっと飲みすぎちゃったみたい」



 違う。本当はずっと一緒にいたかった。欠席に丸をつけたのは私、会えないことを自ら選択して逃げた。会いもしないうちから、私は何も確かめず自分だけを守って目を背けた。もう同窓会の一次会は終わっている。今さら悔やんだって遅い。どこにいるかもうわからない。二度と会うこともない。



「ちょっとお化粧直してくるね」



 お母さんたちの前から逃げ出すように席を立った。手遅れになってから気付くなんて最低、こんなに会いたいなんて知らなかった。ワインのせい、きっとそう。蓋をして閉じ込めていた心を解き放ってしまうなんて。


 あんなに私に好きって言ってたくせに。どうしていなくなったの。大好きにさせておいて、黙って消えちゃうなんてあんまりだよ。



 止まらない涙のせいで化粧も直せない。ほんとに最低。



 一人きりの私が佇むレストルームに、突然携帯の音が響いた。表示された懐かしい文字に息が止まる。


 ――泉谷 恭平、



 そんなわけないじゃない。どうしてこんなタイミングで急に?





 涙でボヤけてよく見えないからきっと見間違い。あぁそっか、これもワインのせいだ。きっとほんとは仕事の電話だ。



「もしもし」



 鼻声がバレちゃうかもしれない。でも仕方ないよ、何でもないふりは難しいよ。



 琉依ちゃん!



 鼓膜に響いた声がやっぱり泉谷の声に聞こえてしょうがない。重症だよこれは。



『今ベイクラシックに向かってる。そこにいるんだよね?』


「…………泉谷?」


『会いたいんだ!』



「     …っ」



 言葉がまるで出てこない。カタカタと歯の根が合わずに震えてしまって。こんな出来すぎた夢なんか見たら目覚めた時に憂鬱。



「そんなわけないよ……泉谷は……何で私の居場所知ってるの……だって、同窓会」


『米田に聞いた。今から会って話したいことがある。行ってもいい?』


「……っだめ。私、今すごく泣いてるし。ひどい顔してる」


『何で泣いてるの?大丈夫?』



 大丈夫なんかじゃない。


 会いたい。





 泣きすぎで頭がガンガンするのに、泉谷の幻はもうホテルに着いたっていうし。直してもどうせ涙で崩れるならメイクはいっそ全部落としてしまおう。


 お母さんに再会したってこんなふうに泣いたりしなかったのに。



 覚悟を決めてレストルームを出ると、エレベーターホールの前で息を切らした場違いな人がいた。ジーンズにスーツのジャケット。そんなラフなスタイルでこんなとこに乗り込んでくるなんて。


 泉谷らしい。



 呼吸を調えてるみたいだった。私の顔は戻らないのに自分だけ平常を装うなんてズルい。私は泉谷の息が落ち着く前に声をかけた。



「遅刻。大遅刻。どれだけ待たせるの」


「る、琉依ちゃ……っ」


「責任取ってよね」



 私を見て泉谷が目を見開く。何よ見ないで。こんな顔は見せたくない。


 私がまた泣き出しそうになって俯く瞬間。よくわからないまま泉谷に抱き締められていた。



「よくわかんないけど、オレで良ければ」



 息切れしたままの声が掠れて、バクバクと治まらない心拍数が伝わってきて、懐かしい泉谷という存在に私は笑った。



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