そこから先の、ベイビートーク
■ベイビーキッス
高校生活も
一年目を終える頃、
私はある事情に
うんざりさせられていた。
「俺さ、ずっと早瀬さんのこと、好きだったんだよね」
色白で知的な顔つきで
眼鏡をかけている。
清潔感のある黒髪を
いつも程よく散髪してる
真面目くん。
この人は知ってる、
同じクラスの男子で
この間
進路相談の時間に
担任が何か言ってた。
名前は確か
米田くん…だっけ?
「俺と付き合ってくれない?」
はっきり言って
苦手。
よく考えて行動する人の
誘いを断るのは億劫。
誰かを傷付けるのは
嫌い。
それを思うと
心はキュウキュウと軋む。
私はもう
限界なの、
これ以上
自分を殺して生きれないの。
だから
自分に嘘はつかないし
誰も受け入れない。
「…興味ないし…」
私に近づかないで……!
進路相談は
二年に進級する際の
クラス分けに関係する
最終相談の個人面談。
なんでそんなとこで
私の進路に関係ない
クラスの一男子の名前が
担任の口から
わざわざ上がるのか
不思議だった。
別に
頭が良いわけじゃないけど
勉強しかすることない私は
学年トップの成績も
珍しくはなかった。
どうやら
いつも次点に
米田くんがいたらしい、
担任は
「米田は早瀬を抜くことを目標に頑張ってるからな」とか
笑ってた。
どうでもいい。
成績も順位も
私にはどうでもいい。
だから
米田くんの気持ちも
担任の期待も
何もかも
興味ないよ。
そういえば
泉谷。
泉谷が私の進路を聞いてた。
「琉依ちゃんと三年間同じクラスになれますように!」
「…バッカじゃないの?…」
泉谷は
バカにおおらかだから
安心して
ズバズバ言える。
何を言っても
ニコニコしてて
だから嫌いじゃない。
私たちは
普通科の生徒で
二年からは
就職コースと進学コースに
分かれていく。
進学コースは
さらに
文系と理系の
クラスに分かれる。
就職コースが
3クラスと
文系1クラスと
理系の1クラス。
「…私は進学…」
てっきり
泉谷は
就職コースな気がした。
でも
ニコニコと
お気楽な笑顔は
曇りもしない。
「琉依ちゃんは大学行くのかな?文系?」
「…どうでもいい…」
大学へ行くかと言われれば
たぶん行くような気がした。
行きたい大学が
あるわけじゃないし
そもそも大学に
行きたいわけでもない、
けど
なんとなく。
だって
他のビジョンも
なにもないから。
確かに
文系の方が
自分にあってるかもしれない
でも
理系であっても
別に構わない。
「…泉谷は?…」
ぼんやりとしてる
自分から視点をそらす、
私は私のことより
泉谷を見てるほうが
楽しいのかも。
「オレはもちろん、琉依ちゃんと同じコース!」
「…じゃなくて。卒業後の進路…」
就職するなら
進学コースに進むのは
やめた方がいい、よね?
「オレは専門学校行くからコースはどこでもいいの」
「…専門学校…?」
受験とか
就職とか
そういう戦争から
離脱した
安泰コースがあるのを
失念してた。
気楽な感じが
泉谷らしい。
「…何の専門学校?…」
泉谷には
保育士とか似合いそう、
だけど
だったら福祉系の短大とか。
「オレねー、ビジュアルバンドとか大好きでさぁ」
「……は?」
思わず間の抜けた声が出た。
馬鹿なの?
馬鹿でしょ。
「よくライヴとか行くんだよね」
ニコニコと
話を続ける泉谷に
私は頭が痛くなってきた。
「…ギターとかやってるの?」
泉谷ん家に
行ったことあるけど
それらしいものは
どこにもなかった。
CDや雑誌なら
半端ない量だったけど。
「楽器は無理ぽい。歌ならなんとか」
ただの
『チャラ男』かと思ってた、
でも違う、
相当なお花畑さんだ。
この時は
失礼ながら
率直にそう感じた。
私は
次第にちょっと
変な気持ちになって
なんか拗ねた。
「…なんかガッカリ…」
私にはよく
『結婚しよう』とか
やたら言うくせに
将来性なんか
まるでない。
きっと
何も考えてなんかないんだ。
別に
泉谷なんかに
何も期待しないけど
それにしても
安い求愛に
ガッカリした。
次にまた結婚しようなんて
口にしたなら
絶対言ってやろう。
「そうだ!今度一緒にカラオケ行こうよ」
「…行かない…」
イライラする。
あまりにもガキで
お気楽すぎる。
嫌なこと
思い出しちゃった。
かくいう今
目の前には
米田くんがいて
私の返事に
ガッカリとしていた。
そんなあからさまに
『傷付いてます』みたいな顔
わざわざしないで。
「早瀬さ、……泉谷と付き合ってるの?」
関係ないじゃない!
詮索するのとか
やめてよ。
「…別に。…」
私は冷たく
米田くんを一睨みして
そのまま立ち去った。
次の日には
事態はさらにうんざり、
クラスの女子が
朝から飽きもせず
お喋りに花を咲かす、
その話のネタに
私を使わないで。
「聞いたよ~?米田くんのことフッちゃったんだって?琉依」
「私、米田くん応援してたんだけどな~」
「頭いいしね。お似合いだよね」
応援て、
なんで米田くんが
私を好きだって
知ってるの。
応援て、
私には迷惑、
米田くんの味方であって
私の敵なら
そんな話は
米田くんにすればいい。
ますます
イライラが募る。
「琉依はモテモテだよね」
「いいなぁ~、羨まし」
うんざりよ!
私には手の届かないもの
皆当たり前に持って
ないがしろにしてるくせに。
「でもさ?泉谷はないよね~」
「言えてる、アタシもパス」
泉谷の名前が出て
お喋りの空気が
ガラリと一転した。
「アイツ超ウザいよね~」
「小学生かってくらい何も考えてなさそ~」
ケタケタと笑う。
「琉依も災難だね。モテる相手は選べないし」
なんでこんなに
イライラするんだろ。
「うっさいつうの!おはよう琉依ちゃん♪」
教室に入ってきた
泉谷の姿に
一瞬ドキッとした。
私が悪口
言ってたわけじゃないのに。
なんかそこにいただけで
同罪な気がしてた。
「…ごめん…」
「なんでー!?琉依ちゃんはなんも悪くないよっ」
他の女子たちは
気まずい顔で
憎まれ口を
それでもまだ
口惜しみみたいにもらして
離れてく。
そんな中で
なんでニコニコ笑えるの。
なんで
簡単に許せちゃうの…?
最近ずっと
むしゃくしゃして
どうしていいか解らない。
でも
別に泉谷のせいじゃないし
皆がいうほど
泉谷は嫌じゃないよ。
憂鬱に一日をやり過ごしても
わだかまりは消えない。
「琉依ちゃーん。一緒に帰ろ♪」
学校の玄関で
大きな声が私を呼び止めた。
泉谷のことは
皆が知ってるのは
当たり前、
恥ずかしげもなく
オープンで
周りに気を使わない。
泉谷の声に
振り返った時
たまたまその後ろに
米田くんがいて
目があった。
「…………」
でも
関係ないよね。
ちゃんと断ったもの。
私が無言のまま歩き出すと
泉谷は
よくなついてる犬みたいに
私の横をぴったり歩く。
ある意味要領いい。
米田くんの視線がやだな。
悲しそうに
恨みがましいのが
すごくやだな。
「…ハンバーガー…」
私は
バーガーショップの前で
泉谷の袖を詰まんで引いた。
後ろをつけてくるような
進行方向が一緒の
米田くんから
離脱したいのもあった。
朝のことも
私の中では
すっきりしてなかった。
「寄り道!?オレと!?これってデート!」
「…ちがう…」
なんでか盛り上がって
小さくガッツポーズ。
そんなに喜ぶことだろうか。
とにかく私は
米田くんが行って
ほっとしていた。
「お腹すいたの?珍しいね琉依ちゃん」
ニっコニコな泉谷が
バーガーセットの他に
単品バーガーを注文してて
びっくりした。
私は
シェイクだけを注文した。
「……よく食べるね」
「ん、成長期!」
気持ちいいくらい
豪快に食べる様を
ぼんやり観察した。
男の子は皆こうなのかな。
私はあんまり
お腹すいたり
しないんだけどな。
「琉依ちゃん小食だね」
「…そうかも…」
でも
冷たいシェイクは好き。
泉谷は
米田くんのこと
知らないんだろうか。
朝の女子の話は
たぶん泉谷の悪口しか
聞いてないだろうけど。
わざわざ
米田くんの話を
してこないのも
なんか今は助かる。
知らないだけかも
しれないけど。
「…泉谷って、さぁ…」
「ん?」
ポテトをくわえて
キョトンとしてる。
本当にこどもみたい。
「…何言われても凹まない…」
普通
誰かに悪口言われたり
笑われたりしたら
誰だって
傷付いたり
怒ったり…
するものでしょう?
私は言われたことないから
解らないけど
泉谷みたいには
笑えないと思う。
「…すごいよね…」
相手が泉谷じゃなきゃ
朝のアレはいじめだと思う。
でも
泉谷はなんでか
大丈夫なんだ。
口の中の物を
コーラで流し込んでから
泉谷は考え深けに
いつもより
声のトーンを落とした。
「昔ね、姉ちゃんが部活の先輩にいじめられてたみたいで」
急な話で
私はびっくりした。
「……あの紀子さんが?」
「うん。中学でテニス部だった時。オレは小二だったかな」
私は黙って
泉谷の話を聞いてた。
「学校から帰って来た姉ちゃんが部屋で泣いてた。オレはたまたまそれを見ちゃって。……その時姉ちゃんがオレに言ったんだ」
『人間なんてさ、相性あるじゃん。合わないやつもいるの。合わせようと努力しないやつもいるの。だから一方的に酷いこと言われることもあるの。気にしちゃ駄目だよ。そんなやつに合わせてることないよ。こっちも切ればいいよ。理解されなくても結構じゃん。大好きなひとにだけ解ってもらえたら別にあとのやつらはどうでもいいじゃん』
「たぶんスゲー強がり。姉ちゃん弱味見せんの嫌いだから」
それはなんか
解る気がした。
「オレにはその時意味はよく解らなかったけど、泣いてる姉ちゃんとか印象的で。だからなんかスゲー覚えてる」
泉谷は
ハンバーガーの包み紙を
クシャクシャに丸めた。
「誰かに何か言われても、オレのこと関心ないやつの戯言だから別にオレは気にしない。オレも別にそいつに関心ないし」
「…うん…」
頭からっぽに見えても
泉谷は泉谷。
バカにしてるほうが
よっぽどからっぽみたい。
「因みにこの話は誰にもしないことになってる…姉ちゃんに殺される」
「…ご愁傷様…」
「そんなっ。アレだよ?オレは琉依ちゃんにだから話す価値があると思って、今まで誰にもバラしてないし、けっこうオレの中では大事な思い出っていうかっ」
慌ててる泉谷に
なんか可笑しくなった。
それはいつか
紀子さんにバレた時
言い訳すればいいと思う。
「ところで琉依ちゃんはどっか、大学とか決めてるの?」
「…ぜんぜん…」
私は将来なんて
まだ何も考えてない。
想像、つかないな。
「オレは専門学校行くけどさ?アレだよ?裏方。音響さんとか照明さんとか、そういうのをやりたいな、って。さっきの話だとなんかオレがバンドしたいみたいに聞こえたかな~とか」
二個目のバーガーを
パクつきながら
肩を竦めて
泉谷は言った。
「…裏方…」
なんか急にリアルで
そこまでビジョンがある
泉谷に驚いた。
「どういうのが自分に向いてるかは実際にやりながら決めていけばいいかな、って。今はボンヤリ思ってる」
ボンヤリでも。
何もない私より
ずっと凄い。
私は
何をしたいだろ…?
何もない。
何も望まない。
「琉依ちゃん家はどんな感じ?」
不意に
泉谷が訊いた。
私は頭が一瞬
真っ白になる。
「進路について何か言われる?」
そんな話は
したことがない。
でも
きっと
最終的に
私は
「ど、どおしたの!?具合悪いの琉依ちゃんっ」
みるみると
顔色が変わるのが
自分でも解った。
今まで
考えたこともなくて
だけど
そんなこと
考えるまでもなくて。
きっと私は
父親の跡取りに選ばれた
どこかの若手の医者と
結婚とかさせられる、
祖母はきっと
そうして祖父の病院を
守っていくはず。
私には
自由なんかない。
大学に行こうが
どうしようが
きっと
好きにさせてもらえる。
お金には
困ることもない。
でも
跡取りの医者が
家には必要。
「…さいあく…」
「どうしたの?大丈夫だよっ」
オロオロと
こっちを伺う
泉谷を見た。
背負わされるものがなく
自由に道を行けたなら
私はどこへ行けるだろ。
行きたい場所なんか
見えもしないのに、
用意された道は
嫌だと逃げ出したい。
我が儘…なんだろうか。
逃げ出したい、
そうだ
私は逃げ出したい!
「進路先は地方がいいな。一人暮らしするの。自立出来るくらいには稼げる『手に職』をつけないと」
「うえぇ?急にどうしたの???」
なんて呑気に
ぼんやりしてたんだろう。
自分を救えるのは
自分しかいないのに。
大学なんて
すねかじりしたら
もう後には引けない。
何かの専門学校へ行こう。
「ねぇ、専門学校ってどうやって調べるの?」
「進路指導室に…冊子とかある。けど、専門学校?」
急に電気がつくみたいに
何かが弾けた。
私は
私の意思で
歩いていかないと
流されてしまうんだ。
いてもたっても
いられなくなった。
進路指導室には
大学や
専門学校などの資料も
置いてあるというので
私は泉谷を連れて
学校に戻った。
私の鬼気迫る勢いに
圧倒されたのか
泉谷の口数が減った。
進路指導室は
鍵もかかってなく
立ち入りが自由で
たくさんのファイルや
冊子が
ところ狭しと
棚に並んでいた。
「これが専門学校」
泉谷の取り出した
一冊の分厚い冊子は
全国の
専門学校が載っていた。
貸出しはしてないので
ここで見ていくしかない。
パラパラと頁をめくり
ザッと見る。
学校名や住所や
修得分野など
必要な情報が
簡単に書かれていた。
私は
何をやりたいか
何が出来るか
まるで解らない。
ゼロからの選択だ。
「ありがとう、泉谷。…時間かかるから、もう先に帰っていいよ」
資料をめくりながら
私は言ったけど
泉谷は無言で
そこにいた。
いつまでも
帰る気配がないから
私はふと
疑問に思って顔をあげると
泉谷は
こっちをじっと見ていた。
「…あ…え、と……付き合わせておいて、勝手なことばかり言ってごめん…」
もしかしたら
怒っているのだろうかと
ちょっと反省した。
でも泉谷は
ゆるく首を左右に振って
柔らかく笑う。
優しい目をしていた。
「邪魔しないから、いてもいい?」
すごく
優しい眼差しをするから
一瞬、
ドキリと胸が痛んだ。
何か電気が弾ける感じで
心臓のあたりを
走り抜けたんだ。
それで
私が言葉をなくして
呆然としてたら
泉谷は
沙希ちゃんたちに
いつも見せるみたいな
解りやすい笑顔で
にっこりと笑った。
「なんでか解らないけどさ。琉依ちゃんすごく真剣で。きっと今ってすごく大事でしょ。……オレ、何にも出来ないけどさ。見てたい」
訳が解らないけど
私は顔が
赤くなるような気がして
慌てて自分を誤魔化し
資料に視線を戻した。
「暇人」
本当は
そんなふうに
思ってはいないけど、
心臓がバクバクというから
口早について出た言葉。
「いいの!」
ふくれている
泉谷の顔は
見なくても声から解る。
またすぐに
優しい眼差しで
見てくれるのも。
「…………~~ちょ、恥ずい。気が散る」
耐えきれなくなって
手で視線を遮ると
泉谷は首をかしげて
「どうしたの?」と
不思議がっていた。
どうしたか、なんて
私が聞きたい。
なんだか変だ。
それより
専門学校探さないと。
「ねぇ、私には何が向いてると思う?」
とにかく
頭を切り替えて
ちゃんと集中しないと。
私は
内心焦りながら
泉谷の気も
逸らすことにした。
「琉依ちゃん、頭いいしね。なんでも出来そうだよね」
特にコレと
何かを特定出来ないのも
この場合キツい。
「でも、アレだな」
「? …なに?」
何かを言いたげな泉谷の
煮え切らない態度に
私は頁をめくる手を止める。
「例えばだけどさ」
泉谷は
斜め上に視線をそらし
ポリポリと頬を掻く。
私は
じっとそれを見ていた。
「卒業しても、一緒にいれたら嬉しいかな、……って」
「芸能界の裏方は無理」
そう咄嗟に答え、
芸能界の表舞台は
もっと無理!と
心の中で付け足す。
「あのね、オレの行こうと思ってる専門学校の周りにね、いくつか別の専門学校があってね」
「…………」
「資料請求してパンフレット送ってもらったんだけど、周辺地図に調理とか医療福祉とかデザインとか情報処理とか……色々あったから」
自然と
分厚い冊子を閉じてた。
だって多すぎる。
とても選べそうにない。
「それって地方?」
私は
家を出て
一人暮らしをしたいの。
さっきも言ったけど
泉谷は
聞いてなかったのか、
あるいは
『地方ならどこでもいい』
そんな私の考えが
ぶっ飛んでるのか、
「あ……うん、ごめん、地方」
勝手に決めれないよね、
とでも言うように
ションボリと
肩を落とす泉谷に
私は思わず
口許がゆるむ。
「ルームシェアとか」
冗談で言ったら
泉谷はものすごい顔で
真に受けて驚き、
「あ、冗談」
すぐさま訂正したんだけど
なんだか
めちゃめちゃ喜んで
目が輝いてたのは
気のせいじゃないはず。
帰り道
一人でデレデレと
気持ち悪い泉谷から
私は一歩離れて歩く。
あのあと何度も
「冗談だからね?」と
念をおしたんだけど
泉谷はずっと
ニコニコしていた。
たぶん何か
色んな妄想に
浸ってるんだろうなぁとか
それが
自分のことだと思うと
ちょっと気持ち悪い。
単純に
幸せそうで
うらやましいけど。
普通
妄想は本人の前で
あからさまに
しないものでしょ。
泉谷の家と
私の家に向かう
分かれ道で
泉谷が言った。
「今日はありがとね」
「え、…付き合わせたのは私だし…」
お礼を言うべきは
私の方だと思う。
「ううん。オレ、すげー幸せ!琉依ちゃんのおかげだし」
「えっと……」
リアクション
しずらいことを言われて
正直困る。
あぁでも
私はもともと
リアクションなんて
薄い人間だった。
「じゃあね!また明日」
相変わらず
泉谷のマイペースさに
私は笑うしかなかった。
珍しかったのは
私がリアクションに悩むほど
リアクションを返そうと
していたんだなって事。
私は
泉谷に
何て返したかったんだろ。
一人歩く道のりが
何だかいつもより温かい。
つかの間の幸せ、
きっと
こういうのを
幸せっていうんだろう。
「今日はずいぶんと遅かったのですね」
わざと硬い口調、
静かな威圧、
冷たい眼差しが
舐めるようにみてる。
あんなに暖かったはずの
心はすっかり
凍てついていた。
体や声が
震えてしまいそうで、
それすら必死に
隠さなくてはいけない。
「…進路指導室にある資料を見ていたら、遅くなって…」
嘘はついていない。
私は嘘はつかない。
生きた心地はしない。
いますぐ消えたい。
ゆっくりと
お茶を飲む音。
部屋の時計の秒針の音。
祖母の微かな動きで生じる
衣擦れの音。
私は微動だにしない。
「進路の心配なんて、貴女には必要ないじゃない」
大事な何かが
一瞬で
砕けちってしまいそうで。
気を失いそう。
「……興味をもってはいけませんか」
なぜ
そんな言葉が
口からこぼれたか
解らなかった。
「いいえ?やりたいことがあるなら、存分におやりなさい」
静かに
ただお茶を飲む祖母から
解放されたくて
自分の部屋に足を動かした。
石のように重く
普通に歩けているのか
ただ強ばる
背を向けた安堵から
走り出したかった
でも動かない
地面に
足がついてる気がしない
それでも歩く
歩く 歩く 歩く。
階段を転ばないで
よく上がりきれたものだ。
部屋に入り
鍵をかける指が
ワナワナと震えていた。
肩で荒い呼吸を繰り返す。
咄嗟に
口と鼻をつまんだ。
こんなときは
息をしてはいけない。
過呼吸の発作には
慣れていた。
ぐったりと
投げ出した身体は
気持ち悪い汗が
まとわりついていた。
いつの間にか
気を失っていたようだ。
いっそ
死んでしまっていれば
良かったのにな、と
体を起こし
泉谷の笑顔を思い出した。
制服を脱いで
着替えを済ます。
シワになってしまった
スカートは
後でアイロンをかけないと。
そう思いながら
一階へ降り
浴室へ向かう。
怖くない。
「あら、もうすぐ夕食ですよ」
「…急ぐから大丈夫…」
祖母と
何でもない顔で
すれ違う。
お手伝いさんが作る
夕食の香りに
今日は吐き気ももう
起こらない。
落ち着いている自分を
感じていた。
不思議な感覚だった。
さっき
あんなに怯えて
死すら望んだ自分はいない。
私のおかげ、
そう言ってくれたけど。
私は貴方に救われている。
熱いシャワーを
頭から浴び
髪を洗っていたら
不意に涙が溢れてきた。
救われている。
それを理解して
きっと嬉しかったんだ。
それから
何日もたたない頃に
私は
ガラにもないのは
じゅんぶん承知で
生まれてはじめて
あるものを用意した。
日頃の感謝を
伝えられれば
それで良かった。
――んだけど、
「これはナニ?」
「花束!それとチョコ!」
泉谷に
突き出されたソレを
先に渡されてしまった。
「…バレンタインは女のコが告白するんじゃなかったっけ…」
興味なかったから
よく知らないけど。
「いいの!オレは自分のしたいようにするの!」
確かに
泉谷には
こうするのが似合うかも。
「どうせもらえないだろうし!」
「!」
何気に付け足されたのは
聞き捨てならない
言葉だった。
……渡しにくくなった。
そんな私の気持ちを
知るよしもなく
やっぱり泉谷は泉谷で。
勝手に深呼吸をして
勝手に心の準備をして
勝手に盛り上がって
「すきです!オレと付き合ってください!」
勝手に告白……
「……は?」
いつにも増して
リアクション薄い私に
泉谷はガックリと項垂れ
「気合いいれたのに…」と
泣きそうになっていた。
「…今さらじゃない?…」
ずっとずっと
毎日のように
「結婚して」と
言っていたくせに
今さら何だろう?と
思わさる。
「オレね、すごい考えたの」
ぐすんぐすんと
鼻をならしながら
拗ねた目でこっちを見てる
泉谷は可愛いと思う。
(こどもや動物みたいで)
「はじめて会った時は一目惚れで、なんでもいいから話したくて『結婚して!』とか言っちゃった」
あれはシラケるくらい
安い求婚だった。
呆れた。
昨日のことみたいに
覚えてる。
ていうか
昨日も言われたし。
「結婚なんて今出来るわけじゃないし、本気じゃなくて、ただの勢いだけの言葉だって解ってる」
一応解ってたんだ。
解ってて
言っちゃってたのか?
「軽いノリで言えて、挨拶みたいに使えて、いつも気持ちだけアピール出来て、重たく追い詰めることも、呆気なくフラれることも、……だから、その」
真面目に告白を
しなかったのだと、
泉谷は白状した。
「近付きたかった。離れたくなかった」
真面目に告白して
その場でフラれた
米田くんとは
その後口もきいていない。
泉谷は
でも
かわしてもかわしても
ずっと近くに近付いた。
「琉依ちゃんをたくさん知って、もっともっと好きになった」
泉谷は
いつものふざけた
「結婚して」とは
全然違って真剣だった。
真っ赤になりながら
それでも続けた。
「こんなに誰かを好きになるとか、今までなくて、こんなこと言っていいか、正直よく解らないけど。オレ、琉依ちゃんのこと、あいし「コレ」ぶ」
泉谷の言葉を遮って
顔面に押し付けてやった。
「なに……?」
微妙に涙目の
泉谷からそっぽを向く。
「どこからどうみてもバレンタインのチョコレート」
「え?なにこれ?琉依ちゃんがオレに???」
泉谷はせわしく
何度もチョコと私を
見比べていた。
理解がまるで
追いつかないらしい。
「ひごろのかんしゃ」
「え?え?……夢?」
私はむにっと
泉谷のほっぺを
つねりあげて
眠りから覚ましてあげた。
「何気に失礼」
「えー!?痛いよ琉依ちゃん!痛い痛い!」
花束をもらってなかったら
両手で
つねってるところだった。
「それ義理チョコ」
「オレ、ふびーんっ!?」
本気で泣きそうな泉谷の
赤くなったほっぺたが
あんまり痛そうだったから
思わずそこにキスしてた。
あんまり近くに
驚いてる泉谷の目があって
びっくりした。
違った。
泉谷の腕が
思いの外逞しくて
いつの間にか
抱きしめられてて
それが案外
居心地良くて
だから色々
意外だったんだよ。
―――― … Happy end .
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