無知の国
きぬいと
この国
「やあ、頑張っているかい」
「ああ、部長。結果は少ししか出ていませんが、でも昨日から徹夜で頑張っています」
仕事をしていると、部長が話しかけてきた。僕は自分が努力をしていることを報告した。
「それならいい。『過程』が大事だからな、結果なんかどうでもいい。君が頑張っているならそれで十分。私も、君くらいの年頃に寝る暇を惜しんで働いたからこそ今の地位があるわけだからな」
努力をしていることを伝えると、部長は非常に機嫌が良くなる。部下の努力の度合いが、部長の評価に繋がる。
……今なら『確認』できるかもしれない。
「ありがとうございます。それと、一つ『確認』があるのですが」
「『知りたいこと』ではないんだな?」
部長が表情を曇らせる。
「はい、『確認』です」
「……言ってみなさい」
「昨日から隣のデスクで働く同期と連絡が取れないのですが、部長はなにか知りませんか?」
「……彼なら捕まったよ。昨日『結果が大事だ』と社長に直談判したらしくてな。その場で行政が介入してきた。『再教育』だそうだ。もうここには戻ってこれんだろうな。初犯じゃないらしい」
「そうでしたか。それじゃあもう会えませんね。馬鹿なことをしたのですね」
「『確認』は以上か?それなら仕事に戻れ」
「はい、すみません」
せっかく機嫌をとったのに、『確認』をとったら部長の機嫌を損ねてしまったらしい。仕事を頑張って、埋め合わせないと。
知より徳。
効率より団結。
結果より過程。
そう言われて育ってきた。知識があることが、その人がいい人であることに繋がるわけではない。効率の良いやり方が他にあるとしても、他のみんなと協力しあわないで成し遂げるものに価値はない。良い結果よりも、今自分が努力をしているかのほうが何倍も大事だ。それが当たり前だ。
「この国、おかしいと思わないか?」
昨日社長に直談判して捕まった同僚は以前そう僕に言ったことがあった。
「何が?どこもおかしいとは思わない」
「会社ってのは、普通利益を上げるための組織だろ。本来団結だとか過程だとかそんなものよりも効率よく結果を出すことのほうが大事なはずなんだよ」
彼は変わっていた。ちょっと常識から外れているというか。はじめ僕は常識とのズレがよい努力を生むのかもしれないと思った。そういう意味で彼はすごい人なのだと、少し尊敬していた。
でも失望した。彼はこの素晴らしい会社を、この素晴らしい国を、疑った。そんなことをしても頑張っていることを評価などしてもらえないというのに。
……犯罪者だったってことを知っていたら、僕が通報したのに。
「団結や努力を阻害するほどの知識を持つと、警察に捕まる。一度でも警察に捕まると、二度と人間らしい生活は送れない」
高校の時、先生にそう教わった。この国は、僕が生まれる前に、大学という無駄な知識を増やすための場所が消えたらしい。
そこで無駄な知識を得ていた人たちは、捕まったり、海外に逃げたりした。高校までの勉強内容も、その頃は数学という、数についてしか考えない学問や、古典という、今は使われないような言葉を扱う学問について教えられていたらしい。無駄な知識だと思った。
これは僕が生まれる前のことだけど、先生が言っていることだから絶対に正しい。
「先生が教えること以外に知ろうとしてはいけない」とも教わった。そもそも先生の言っていること以上に知る必要のあることなんてあるわけがない。
僕はパソコンでの資料作成技術やメールのマナー、TPOに合わせた礼儀作法などを高校までの教育で学んだ。それらの知識は、今の仕事で努力するために活かされている。
仕事に活かせないことを学ぶなんて、昔の人は本当におかしいと思う。でも外国ではそのおかしいことが「当たり前」らしい。この前のニュースで、この国の外国での評価が下がり続けていると言っていた。
「国民の努力がたりないから評価されない」
そう偉い人は言っていた。偉い人が言っていることだから、それは正しい。
外国の企業に努力を評価してもらうために、政府は会社に積極的に共同プロジェクトを立ち上げる努力をするように命令された。もっと頑張れば、外国の人達も分かってくれるはずだ。
「国が我が企業を、率先してかいがいの企業との共同のプロジェクト立ち上げ努力を勧める企業に指定してくださった。これまでの努力を評価されてのことだ。諸君には国の期待を裏切らないよう、より一層の努力を求める」
ある日社長は朝礼で興奮しながらそう言った。すごい。国に認められた。それだけで嬉しかった。みんなが喜んでいた。あの同期以外は。
「先輩、さっき届いたメールを翻訳しましょう」
「わかった、じゃあお前はこのメール、俺はこのメールを翻訳する」
僕は今、先輩と一緒に外国の企業から来るメールを翻訳して、部長に報告する仕事をしている。翻訳サイトや電子辞書は使わない。簡単にできてしまって、努力しているように見えないから、僕は嫌いだ。紙の辞書で調べるほうが頑張っているに決まっている。頁の端が何故か茶色くなった辞書の細かい字とにらみ合いながら、必死にメールを翻訳した。
「なぜ、返信がこんなに遅いのか。なぜいつまで経ってもプロジェクトが進まないのか分かっているのか。あなたが具体的な結果を出さないからだ。何を我々と達成したいのか、ちゃんと教えてほしい『我々は結果を求めている』」
メールにはそう書いてあった。外国には努力より結果を大事にする企業ばかりでイライラする。
「どうして時間をいっぱいかけて努力することの素晴らしさを外国人は知らないんでしょうか」
僕は思わず先輩に愚痴をこぼしてしまった。
「俺が高校の時、英語の特別授業があってな。その時の先生がこう言ってた。『外国では何よりも結果が大事』と教わるのだそうだ。今も古い教育のままだから仕方がない。俺たち新しい教育を受けたやつらが、そういう古い価値観を変えるように頑張るんだよ」
先輩は僕より年上だ。年上だからなんでも知っているし、尊敬する。
「さすが、先輩ですね」
「だろ?そういえば、今の話で思い出したんだけどさ。お前、友達に外国に行ったやついたよな」
僕の友達に、この国にはない大学という無駄知識を詰め込む場所に行った馬鹿なやつがいた。今思えば、あの同期に似て、学校や先生、この国のことを疑っていたのかもしれない。
でも努力の素晴らしさ、みんなと協力することの喜びを疑うようなやつのことを、僕は友達と呼びたくなかった。
「今はもう友達でもなんでもないですけど、たしかにいました。ちょうど今僕達が連絡を取り合ってる企業と同じ国に行ったはずです」
僕は苛立ち混じりにそう答えた。すると先輩は
「人とのつながりは大切だ。もう友達じゃないとか簡単に言うもんじゃない」
そう言った。確かにそうだ。人とのつながりはとても大事だ。団結の基本だ。
「自分の国のことを思わないやつなんかいるもんか。きっと、外国の古い教育を身をもって受けることで、この国の素晴らしさを再認識するために外国に行ったんだろう」
「……そうなのかもしれません」
「だったら、久々に手紙でも書いてみたらどうだ。手書きなら気持ちも伝わるし、きっと喜ぶぞ」
先輩は笑いながら、そう言った。先輩が言うのだから間違いない。よし。
「そうですね。この仕事を頑張ったら、手紙を書こうと思います」
「たしか、国のホームページに、外国の大学に行ったやつらの名前と大学の名前があるはずだ。調べてそこに宛てて書くといい」
先輩はそう言って、そのホームページを見せてくれた。一覧の中に、見覚えのある名前と、全く知らない名前の大学があった。
「ありがとうございます」
「よし、じゃあもう一仕事がんばるか。今日は金曜日だから、少し早く帰ってもいいはずだしな」
先輩はそういうと、ボロボロの紙の辞書とにらめっこを始めた。
反省文を書けば、外国の大学という場所を卒業していても、この国で生きることができる。そう高校の先生は言っていた。でも国から与えられる仕事しかできないし、その仕事も掃除の職員さんくらいらしい。でもそういう人の努力と団結のおかげで僕達が仕事ができる。彼が努力の素晴らしさと団結の価値を再認識して帰ってくるなら、あんな仕事でも喜んでやるだろう。
僕は手紙で友達だった彼をどう説得するか考えながら、もう一度小さな文字を睨みつけた。
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