Q8.この仕事のやりがいって? A.分かりません(笑)。でも、楽しいですよ。

 まさか仕事場で目覚める日がくるとは。しかもインターンシップの身で。

 少なくとも昨日と今日に限っては、世界で最も働いているインターンシップだったはずだ、多分。

 ……流石に研修医には負けるか?

 いやしかし、研修医は建物の窓から飛び出したりはしない。死ぬし。


 俺は深いため息を吐き出した。実行部の片隅に置いてあったソファーから身を起こし、自分のデスクに向かって、目をこすりながら歩く。

 なんでもう榊さんがいるんだよ。病院行ったんじゃなかったのか。

 日が明けてるのは事実だが、あんた足イワしたんじゃなかったのかよ。


「おはようございます、榊さん。早いっすね」


 一瞬ビクっと反応した榊さんが、ゆっくりと振り返る。

 あれ、なんかキメ顔してる?


「おはよう。近藤くん」


 口調まで微妙に違う。近藤くんて。

 なんだこれ。

 マジマジと顔を見ると、いつもより微妙に化粧が濃い。ナチュラルな雰囲気の方が似合っていると思っていたけれど、どういうことか。

 いやそんなことよりも。


「えーっと、足、大丈夫でした」

「えっ、うん。大丈夫、ですよ。ほら!」


 見せられた足には、前半分だけ取ったギプスのようなものが足に巻かれている。つか、んなことよりも、丁寧語の方がずっと気になる。

 なんで正社員がインターンに向かって丁寧語になってるんだよ。もう馴れ馴れしいとかそういう次元はとっくのとうに飛び越えてきただろが。

 飛んだだけに。

 飛んだだけに。


「全然大丈夫そうに見えないっすよ。それと、その喋り方、他人行儀で嫌っす」

「えっ!?」


 榊さんの肩が、がくーん、と、落ちた。なんでだよ。

 もしかして、俺に対するアピールだったり? 昨日のノータッチトペで? 

 ……できれば触れたくない。触れないことにしておこう。

 暗い声で榊さんが言った。


「折角残ってた仕事もやっておいたのに……」


 むくれている。

 くそ、グッっとくんじゃない、俺の感性。相手は倫理観が半壊したルチャドーラだ。ついでに今なら確実に、平野さんという肉体的魅力満載の、怒れる地雷物件までついてくるんだ。南さんだ、南さんを狙うんだ。あの人もおかしいけど、まだマトモな部類に該当するはず。

 よし。

 気を取り直して、通常業務の進行をしよう。


「ありがとうございます。それで、今日は何するんですか?」

「車を車両部まで持っていって、私の足はアレだから……」


 むむむと悩む榊さん。……ちょっとイイ。いやまて落ち着け。昨日の今日でおかしくなってるだけだ。冷静になるんだ。

 俺が使ったこともない新スキル自制心を発揮しようと躍起になっていると、榊さんは今思いつきましたってなノリで手を打った。


「そうだ、私たちが送った人達の、異世界側からの評価でも見る?」

「そんなの見れるんですか? それは是非、見てみたいですね」

「じゃ、今日の予定はそうしましょう。折角のインターンシップ最終日だしね」


 言われて思い出す。そうか、今日が最終日なのか。

 これ、俺はこの後、内定もらえたりするのだろうか。

 ……これだけ頑張ってきて、はい不採用ー、とか、どうしたら……


「そんな不安そうな顔しないの。元々取る予定で話を出してるんだろうから、大丈夫だって」立ち上がり、松葉杖をつく。「さ、行こっか。今日も頑張ろう!」

「……うす」


 沼に入りかけた思考はあっさり止まり、俺の足は歩き出していた。

 車を車両部に回し、車両部のおっちゃん達に心配されて、代車で戻る。

 そして今度はその足で営業部に行く。

 平野さんの鬼の形相にビビりつつ資料を受け取り、実行部に戻った。

 んで。

 

「これが異世界に送った人達の顛末ですか」

「そういうこと。見てみるといいわよ。想像を絶する人数を救ったりしてるから」


 言われた通り眺めてみると、これまで送った人達の活躍が簡潔に書かれていた。救った世界の多さと人口の多さにビビる。

 ……トンでもない大悪党になってる奴もいるんですけど?


「あの、これ、悪者になってる人もいるんですけど……」

「そりゃ、依頼人は世界側の人ってだけで、善人かどうかって縛りはないもの」

 パソコンで昨晩の報告書を作っていた榊さんは、笑って言った。


「えぇぇ……」


 いいのかよ、それ。インターンシップ最終日にして、一気に心折られる情報が入ってきたんだけど。

 俺、異世界に人材押しつけても、無効の人は喜んでると思ってたんだけど……。


「まぁまぁ、ほら、そこ、見てみなよ。異世界の魔王様だよ、感謝の言葉」


 榊さんが指さす箇所に、目を向ける。

『お客様の声 “グランオードの排斥の魔王フォースクロース様より 余は大変満足しておる。彼の者、残虐にして非道、なれど臆病ゆえ、使役に適す。更なる召喚に応ずる事を望む”』


 その後はつらつらと戦歴が書かれている。ひでぇ。悪逆非道とはこのことか。

 これじゃまるで悪の人材派遣じゃ……。

 そういうことか。だから秘密結社だったのか。

 死の商人もかくやというところ。要するに、他の世界にとって悪であれ、善であれ、関係なく人材を派遣する。


 そりゃまぁ、人道的に問題が、とか言われたらたまらないから、最初は秘密結社で作るわけだ。なんだか納得。同時に、ドっと疲れた。

 隣で見ていた榊さんが、困ったような顔でこっちを見た。


「最初はちょっと、やるせないかもね。そうだ、今日でインターンシップ終わりだし、ちょっと待っててね」


 榊さんはそう言って、どこかに行ってしまった。

 やる気が急激に減衰していく中、他のファイルも見ていく。確かに世界を救った人もいれば、単にちょっとした事件を解決したってだけの人もいる。


 いくつか眺めていると、不思議なことに、数字が大きいものよりも、ちょっとした事の方がリアリティが感じられた。中には千万、億の単位で人を救ったり虐殺したりという記録もあるのだが、まるでピンとこないのだ。それに比べて、どう見ても過疎地域としか思えない、ほんわかした村の村娘さんの感謝の言葉。その重さよ。


『ゆうしゃさまのおかげでたすかりました。ありがとうございます(ママ)』

 

 あったけぇ。

 もちろんそれだけではなく、まとめられていた報告書には、異世界に送って、帰ってきて、ターゲットが社会復帰した例も記録されている。

 たとえば不登校気味だった対象者が異世界から返ってきてから学校に行くようになったとか。結局のところ、学校に行きたくないと思うほど辛くても、異世界での経験よりは遥かにヌルい、ということなんだろうか。


 そんなことを考えていたら、肩をポムポムと叩かれた。

 振り返ると、戻ってきた榊さんは、なにやらニコニコしていた。


「コンくん、明日、暇ある?」

「明日……休みですよね? まぁ、卒論ほぼ終わってますから、大丈夫ですけど?」


 ぱわゎっと花が開いたような、平野さんよりも温かみのある雰囲気を醸しだす。


「じゃあさ! 明日、これ一緒に行こう!」


 ズバっと差し出されたのは、何かのチケット二枚。なんぞ。

 一枚受け取り、まじまじと見る。場所は○楽園ホール。

 ……プロレスだ。

 ギギギと顔を上げると、まさに大輪の花のような笑顔があった。南さんの造花のようでもなく、平野さんのディティールの雑い花でもない。

 まさに大輪の、夏の日差しを一身に受けて育った、太陽を眺める向日葵の花。


「社会人の楽しみは、お給料だけじゃあないのよ! 休日こそが、私たち悲しき組織人の最後の砦よ!」


 ぐわっと上を向いていた榊さんが、ビシっとこちらを指さしてくる。


「ってわけで、私、足がアレだからさ、悪いんだけど、明日付き合って?」


 グっときた自分が悲しい。これはあれだ、IPV三段論法の最終段階に入っているんだろう。

 辛い思いの後に、良い思いをさせて、さぁこれで俺から離れられねぇぞ? って。

 悔しい。でも――。


「是非、ご一緒させてください!」


 ついつい答えてしまうのだった。

 俺のバカ。

 榊さんはニコニコしながら席につき、ガサゴソと紙袋を漁りだした。


「それと、これ。お祝いね」


 差し出されたのは紙に包まれた謎の塊だ。

 受け取ると、包み紙の中は柔らかい。


「えっと、開けてもいいですか?」

「もちろん! 多分、似合うと思うんだよねー」


 似合うって何だと思いながら、包み紙を開いていく。真っ先に目に入ってきたのは赤と黒のブロックチェックだ。広げて見ると、普通のネルシャツ……?


「えーっと、ネルシャツ、ですよね?」


 榊さんは目から少女のような光を放ち、首を横に振った。


「違うよ? それは、伝説のバンプ職人のシャツとお揃いのシャツよ!」


 バンプ職人ってなんだ。このシャツがそのなんとか職人の手作りとか、そういうことでもあるまい。意味が分からない。


「えっと、それってどういう……」

「だから、伝説のハードコアレスラー、ミック・フォー○ーとお揃いなんだってば」


 ……またレスラーかよ。なんでこの人はこんなときでもプロレスから離れてくれないんだよ。

 でもまぁ、お祝いって言うなら、もらっておくけどさ。


「ありがとうございます……」

「今、着ちゃえば? ほら、その変な格好より、ずっといいって」

「……うす」


 俺の格好、そこまで言われるほどだったのか。

 もう思考停止だ。

 今日から、榊さん達の指導に従っていくしかないのである。つまりは彼女ら彼らの言う言葉が正しいものとなり、俺の感性は常に歪んでいるということに……。

 涙がでそうだよ。チクショー。

 心の涙をこらえて腕を通したネルシャツは、どこか懐かしく、妙に躰になじんだ。

 両手を広げて、榊さんに問いかける。


「えっと……どうすかね?」

「似合う! 似合ってるよコンくん! やっぱり高所ダイブにはそれよね!」

「高所ダイブ?」

「そうよ。高所ダイブ。私の専門とは違うけどね」


 そう言って榊さんは、ふっふっふ、とばかりに肩を揺らした。

 どうせプロレスにまつわる話なのだろう、と予想はつくが――。

 折角だから、こっちから聞いてみようか。


「えっと、このシャツ、どんなレスラーが来てたんですか?」

「えっ?」


 榊さんは目を見開いて顔をあげた。よほど驚いたのだろう。小刻みに震えていたりもしている。ちょっと優越感。

 っていうか自分で話し始めたというのに、なんだって震えるほどに驚くんだよ


「……コンくん、やっとプロレスに興味を持ってくれたのね!?」

「えっ――」


 そういうわけではないですよ、という時間的余裕はなかった。

 ガバチョと抱き着いてきた榊さんは、背骨が折れそうなほどに力を入れてくる。

 痛い。というかマジで折れそう。


「コンくん、ずっと生返事だったから、プロレス興味ないかと思ってた!」

「えっ」


 間抜けなことに、榊さんにそう言われ、俺は初めて気づいた。

 

 榊さんは額をぐりぐりと俺の胸に押し付けて、涙声で言った。


「そのシャツはね、アメプロで最も有名なバンプ職人のコスチュームなの!」

「えっと、その人がミッ〇・フォーリー? さん? ですか?」

「そう! そうなのよ!」

 

 なんとなく心苦しく真面目に聞き返したのが仇になる。

 勢いよく顔を振り上げた榊さんは、口角泡を飛ばす勢いで言葉を継いだ。


「〇ックは〇・アンダー・テイカーっていうレジェンドクラスのレスラーに、六メートルの金網から実況席に投げ落とされたの!」

「うわ。マジすか」


 素直な感想だった。六メートルって。

 いやまぁ、俺は昨日、それ以上の高さからジャンプしてんだけどさ。

 でも俺が落ちたのは柔らかい人の上で、実況席なる固そうな場所じゃない。しかも落とされたってことは自分の意思ではないわけで、投げ落とした側だって相当な覚悟を要したはずだ。

 ただ、素直な感想を口にしたのは、明らかに失敗だった。


「マジよ! 大マジよ!」

 

 榊さんにスイッチが入ってしまったのだ。

 キラッキラの笑顔を浮かべた榊さんは、なおも続ける。


「それだけじゃないのよ! ミック・フ〇ーリーの別名義、〇ン・カインドはザ・〇ックっていう、スーパースターとタッグを組んでいたこともあって……」

「へ、へぇ……」


 生返事を差し込むのがやっとの、怒涛の勢いだった。

 正直に言って、出てくる個人名の大半は理解の外だった。しかし、いちいち質問などを返してしまえば、倍以上の言葉が返ってくるのは、想像に難くない。

 俺にできることといえば、精々が相槌を返すか、聞き流すか、だけのはずだった。


 しかし。

 俺は既に榊さんに認定されてしまっていた。

 元々榊さんは相手がどういう人間なのかは無遠慮にプロレスを語るのだと思っていた。しかし実態は違った。


 じゃあ翌日のデート、というかプロレス観戦は楽しみじゃなかったのか、というと、答えはノーだ。楽しみになってしまった事実は変わらない。

 もっとも、それはプロレス外で楽しめばいいや、という儚い作戦があったから。


 実態としては、翌日のデートは、ほぼすべてがプロレス絡みだったのである。

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