第10話 面影を追いかけて

「お客様。終点しゅうてんの新宿ですよ」


 その声にハッとして目をました恋華れんかは、自分がバスの座席にすわったまますっかり寝入ねいってしまっていたことに気がついた。

 彼女に声をかけてきたバスの運転手は、恋華れんかが顔面蒼白そうはくになっているのを見て気遣きづかわしげな表情をかべている。


「顔色が悪いようですが大丈夫ですか?」


 空港から都内に向かう高速バスはすでに目的地である新宿のバスターミナルに到着とうちゃくしていた。

 とっさに腰を上げて恋華れんかが周囲を見回すと、すでに彼女以外の乗客はバスをりており、ガランとした車内に恋華れんかだけが取り残されていた。


「え、ええ。すみません。大丈夫です」


 恋華れんかはそう答えるとバッグを手にそそくさと席を立った。

 3年前に彼女の家族をおそった悲劇ひげきは、今も彼女の心に深い傷跡きずあととなってきざみ込まれている。

 それは悪夢あくむとなってこの3年の間、幾度いくど恋華れんかさいなみ続けてきたのだ。


(私、一生この夢を見続けるのかな……)


 最悪な目覚めざめの中、鈍痛どんつうのように頭に残る悪夢あくむ残滓ざんしを振りはらおうと恋華れんかは頭を振った。

 時計のはりは午前9時の少し前を差している。

 バスからり立つと恋華れんかは都心のビルぐんを見上げた。

 悪夢あくむのせいで青ざめた顔をしていた恋華れんかだったが、外の空気をっていくらか表情を明るくする。

 新宿が恋華れんかにとってよく知るまちであることもあり、彼女の顔にかぶのは郷愁きょうしゅうの思いだった。 

 このまちにはかつて恋華れんかかよった高校があり、目の前の横断歩道おうだんほどうをかつて恋華れんかも着ていた制服せいふくを着た女子生徒らが歩いていく。

 思わず恋華れんか懐古かいこねんほほゆるませた。

 3年前、恋華れんかは高校の卒業式を翌日よくじつひかえた夜に家族ともども事件に巻き込まれ、結局けっきょく卒業式に出ることはかなわなかった。

 その後すぐに恋華れんか渡米とべいしたため、仲の良かった級友らとも会わずじまいのまま月日だけが過ぎてしまった。

 今頃、同級生らはおそらく大学生活を送ったり、社会人として歩み始めているだろう。

 自分だけが道をたがえてしまった気持ちになり、一抹いちまつさびしさが恋華れんかの胸にき上がる。


「みんな元気にしてるかな……」


 ポツリとそうつぶやくと恋華れんか感傷的かんしょうてきな気持ちを振りはらうように空をあおぎ見た。


(今のこの道が私の歩く道。しっかりしなきゃ)


 雲ひとつない空の青さに気を取り直し、恋華れんか周囲しゅうい見渡みわたした。

 このターミナルに恋華れんかであるイクリシア・ミカエリスから紹介しょうかいされた異界医師いかいいし談合坂だんごうざか幸之助こうのすけのひとり娘である八重子やえこむかえにきているはずだった。

 あらかじめわたされていた写真で八重子やえこ人相にんそうおぼえているが、新宿駅前のバスターミナル付近ふきんは人が多すぎるため、そうそう見つかりそうもなかった。

 恋華れんかは仕方なくケータイを取り出し、八重子やえこの番号をコールしようとしたが、その前に突然ケータイが着信のバイブレーションをり返し始めた。

 ブッブブという一定のリズムできざまれるスタッカートの振動しんどうは特別の着信を意味する。


「……予言だわ」


 恋華れんかは顔に緊張きんちょうを走らせながらケータイの画面を凝視ぎょうしした。


【新宿中央公園。午前9時15分】


 恋華れんかはその顔にまよいの表情をかべてつぶやく。


「……仕方ない。少し待ち合わせの時間をおくらせてもらおうかしら」


 待ち合わせ場所であるバスターミナルと中央公園は徒歩10分程度の距離きょりであることは恋華れんかも知っていた。

 彼女はケータイで談合坂だんごうざか八重子やえこに連絡を取ろうとしてふいに手を止めた。

 背後から視線しせんを感じ、振り返る。

 恋華れんか視線しせんの先では、大通りを走行する自動車の列が止まり信号が赤に変わると、今度は信号待ちをしていた歩行者の集団が一斉いっせい横断歩道おうだんほどうわたり始めた。

 視覚障害者しかくしょうがいしゃのための誘導音ゆうどうおんメロディーが流れる中、恋華れんか横断歩道おうだんほどうわた人波ひとなみの中からこちらをじっと見つめている視線しせんに気がついて何気なにげなくその方向に視線しせんを送る。

 すると人が行き横断歩道おうだんほどうの真ん中に一人の少女がたたずんでおり、恋華れんかは自分に視線しせんを送っていたのがその少女であることを直観的ちょっかんてきに感じ取った。

 その途端とたん恋華れんか驚愕きょうがくに目を見開いて足を止めた。

 少女はまだ10歳にたないほどの年齢ねんれいに見え、横断歩道おうだんほどうわた人波ひとなみの中からじっと恋華れんかのことを見つめていた。


砂奈さな……?」


 恋華れんかの口からかわいた声がれた。

 それは恋華れんかの前にあらわれるはずのない少女の名だった。

 歩行者用の信号が青の明滅めいめつり返す。

 すると少女はすぐにきびすを返し、横断歩道おうだんほどう恋華れんかのいる方とは反対側にけていく。


「待って!」


 恋華れんかは思わずそうさけぶと、はじかれたように少女の後をって走り始めた。

 恋華れんかが交差点に飛び出すころには信号は赤になり、発車しかけた自動車の車列から苛立いらだまぎれのクラクションが鳴りひびく。

 それもかまわずに恋華れんか横断歩道おうだんほどうわたり切ると、少女の背中をった。

 亡き妹の面影おもかげを残すその少女をわずにはいられなかった。

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