別れ

ソロモンの鍵

別れ

 剥き出しになった心が乾いて、命の水を欲している。

 優しい言葉なんかここ数年もかけてもらったことがない。あるのは罵倒語と誹謗中傷、そして命令だ。


 誰にも従いたくなんてない、しかしそれをけして許してはくれない厳しく、そして冷たい社会。

 何も言葉が出なくなった時に初めて、罪が許されるのだ。


 感情はすりつぶされて痛みも麻痺するほどだが、その痛みは必ず無視を受け流されてしまう。

ーーーーーーーーーーーここまでおいで、手のなる方へ。こちらにおいで、ここまでおいで。

 そうして、地獄まで呼び寄せるというのだろうか。

 飽き飽きしてうんざりした私だけを置き去りにして。


 人を憎む気持ちは愛情の裏返しだと誰かが言った。

 誰かに対する愛情なんてものはなかったが、信頼だけは世の中に置いていた。

ーーーーーーーーーーー戦争のない、争いごともないけれど人間らしい悩みのある平和な世の中に。


 従わなければ奴隷、従っていたとしても奴隷。

 そうしなければ酷い目に遭うし、遭わなくても拘束され消費されることに余地などはない。

 混濁してゆく意識が遠くに何かを感じ取る。

 とぎれとぎれの世界を手放す。




 そこにはあなたがいた。

 死んでしまったのだろうか。もう痛んでいた傷の痛みは和らいでいる。

ーーーーーーーーーーー蝶の飛び回る美しい夢の世界。


 その人にはもう会えないと分かっていたのに、会えたとたん嬉しさに幸福が胸に押し寄せる。

 けれどもう、信頼の握手を交わすことなどはできないのだった。

 遠慮がちに身を引く。

「変わってしまった」ーーー。

 美しい景色なのに、なぜだかうつろに寂しいと感じる。

 目の前のこの人のことも知らない人のように思える、いいや、もう知らない人だ。


 「さようなら」分けも分からないまま、きびすを返して去る。悲しい気持ちが押し寄せる。追いかけもしないその人は、昔と変わらないその姿で突き放すような目で見るだけ。

 「さよなら。もう戻れないんだね。」


 ふっと意識が戻ってくる、ぱっと目が覚めるが

 その人のことは忘れられなかった。あたたかいものが目を伝って流れた。

「寂しさはあなたがくれた最後の美しい贈り物だね。ーーー今まで、ありがとう。」



 わたしは現実の中で戦う術を、そのとき失った。

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別れ ソロモンの鍵 @Solomon

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