ロンサム・ジョージ

 この小さな惑星に一つしか無い、人が生活を営む目的で建てられた家の窓から外を見る。

 柔らかくなった日差しが、畝を作り始めた畑に落ち、影を伸ばし始めている。時計を見ると、昼と呼ぶには少し遅い時間だ。

 身を起こす。ベッドに仕掛けられたセンサーがポロンと軽い音を立て、数分して

「ジョージさん、起きられましたか?」

 全身を覆うスーツをまとい、豊かな髪をカバーに押し込んだ青い肌の若い女性が、ドアを開けて入ってきた。

 てきぱきとベッドの脇にスクリーンを広げ、私が寝ていた間のデータを見る。

「お熱、下がられたようですね」

 彼女はサイドテーブルのボタンを押し、無針注射器を出すと、私のパジャマの袖をめくって、皺が寄り始めた皮膚に、その先を押し当てた。

「良かった……。急にお熱を出されたときは、どうしょうかと思いました」

 紫に輝く星のような光をのせた、大きな瞳に私の姿が映る。

「あら? 少し脈が……」

「起きたばかりだからでしょう。それに私も、もう歳ですし」

 穏やかに微笑んで答える。彼女は瞳に映った心配げな光を解いて、同じように微笑んだ。

「しかし……この星の土中にジョージさんの体に悪さをする病原菌がいたなんて……」

 私の指先のテープを見て、顔をしかめる。

「いえ、作業に夢中になって、すぐに怪我に気付かず、気付いた後も消毒を十分にしなかった、私が悪いのです。……それにお陰で良いデータが取れたでしょう?」

 最後の言葉には少し皮肉を混ぜると、彼女は申し訳なさそうな、困った顔をした。

「……すみません」

「いいえ、ですが、教授達がこれからは土を触る作業には手袋を欠かさずするように、とおっしゃってます」

「はい」

 素直に頷く。彼女が注射器を外す。そっと労るように腕を撫でられ、私はまた脈があがるのを感じた。



 ロンサム・ジョージ。

 それが私の彼等の間でのあだ名だ。私の所属する知的生命体は、この銀河から、更に二百数十万光年先の渦巻銀河の隅で生まれた生命体だったらしい。

 らしい、というのは既にその母星にも、惑星系にも銀河にも、文明らしき痕跡が残ってはいるが、知的生命と呼べるものは一人も残っていないからだ。

 私と彼等が残したのであろう、この銀河連盟の保険機構の管理下にある、数万の凍結受精卵を除いては。

 彼等は自分達が滅びるにあたって、自分達、知的生命と有酸素運動をする多細胞生物のいくつかをピックアップして、その受精卵をコールドスリープ状態で、外宇宙に向けて送り出したのだ。

 それは幸運なことに、それほど時間を置かず、この銀河の探査団の船に発見され、保管された。

 そして、銀河連盟での長い議論の末、脱出させた知的生命体への敬意を払って、受精卵を復活させるプロジェクトが組まれたのだ。

「寝ていた間のことが知りたいので、ニュースを見せてくれませんか?」

 私の声に彼女がモニターを一つ呼び出してくれる。

「今朝の星系ニュースを」

 呼び掛けると、モニターに動画が映る。やがて子供達の微笑ましい笑顔を共に、長い鼻を持つ巨大な動物が映った。

 あれも私達と一緒に乗っていた受精卵から甦らせた動物だ。『象』と呼ばれるモノらしい。既に知的生命以外の受精卵は、ほとんどが復活させられ、今では繁殖と研究目的に様々な星系の動物園に譲渡されている。

 モニターに映る、自分とは肌の色も骨格も違い過ぎる、人々に小さく苦笑する。

 私はその復活計画の最初の一人として、サンプルデータを取る為に無作為の選ばれ、解凍、養育された、私達の言葉でいうと『地球人』なのだ。

 幼い頃は、鏡に映る、周りと余りに違う自分に怯え、泣き叫んだこともある。声帯の違いから、彼等の言葉を上手くしゃべれない自分を嫌悪したことも。それは彼等が開発した補助器具をつけることで、解決したが。

 自分がサンプルだと知り、若い時分には自暴自棄に走ったこともあった。

 だが、それもこの銀河連盟の高度な医療技術の前には、むしろ貴重なデータが多く得られただけだ。

 そして、今、年老いた私は最終試験として、彼等が私達の住処として提供しようとしている惑星で、研究者の一人である彼女と暮らしている。



 モニターの電源を切り

「ちょっと風に当たりたいのですが?」

 彼女に頼む。

「すみません。バイタルが正常値に戻るまでは、無菌状態を保つように言われています」

「そうでしたね」

 すまなそうに謝る彼女に、私は首を横に振った。

「では、正常値に戻ったら、一緒に出掛けて頂けますか?」

「はい! どこが良いですか?」

「あの湖畔が良いです」

 この先の丘の向こうにある、森に囲まれた湖を指定すると、彼女は嬉しそうに笑った。

「あそこなら、一日掛かってしまいますね。では、私、お弁当を作ります」

「お願いします」

 データを全部取り終えて、彼女はドアに向かった。

「報告が終わったら、食事の支度をしますね。何かご希望はありますか?」

「貴女の作るものならなんでも。あ、でも以前頂いたゼリーが食べたいです」

「はい!」

 彼女の姿がドアの向こうに消える。パタパタと聞こえる楽しげな足音に、私は小さく笑った。

 ロンサム・ジョージ。

 あのたった一匹の生き残りのゾウガメとは違い、私には一度だけ見せて貰った眠る沢山の同胞がいる。まあ、あれを仲間とは今でも思えないが。

 多分、私を、大多数のこれから甦る地球人は、自分達の幸福の為の、最初の不幸な犠牲者だと呼ぶだろう。

 だが、私は今、このうえなく幸せだ。

 様々な条件が書かれた幸福論。その条件を一つ一つ消して、削ぎ落とされた幸福論の、多分最後の一ページに書かれているであろう、最も単純で、最も確実な幸福によって。

 窓の外が夕焼けに変わる。

 私は彼女が触れた腕に、そっと唇を落とした。

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