絶望の向こう側

 この星の朝は綺麗だ。徐々に明るくなる地平線、紫から薔薇色に変わる空。赤く染まる朝焼けは、この星に大気が十分にある証拠。今はもう全員、この星の土塊となった、第0次開拓団の功績だ。

 日が昇ると、じんわりと照らされた箇所から、だんだん暖かくなってくる。僕はゆっくりと身体を起こした。大き過ぎるこの身体は、僕自体が生成する体熱だけでは、行動することが出来ない。こうして太陽熱を取り入れないと活動出来る体温に達しないのだ。

 ふう……ようやく動ける……。

 ペキペキと太い足で足下の低木を折りながら、移動を始める。時々、身体から六本生えた、触手を木々に絡めて、バランスを取る。突き出た鼻で、匂いを嗅ぐ。僕の目の視界は僕の身体に対して、余りに狭すぎる。だから嗅覚と触手の触覚は、僕にとってとても大切な外界の様子を知る手段だった。

 ふんふんと鼻を鳴らしていた僕は、ちょっと眉間を潜めた。嫌な匂いがする。僕はこの巨体のせいで、この星の生態系のほぼ頂点に立っている。だけど、無敵ってわけじゃない。この匂いは、僕を唯一襲ってくるもの、赤茶色の毛並みに鋭い爪と牙を持つ肉食獣達の匂いだ。 一匹や二匹なら、僕のこの触手で蹴散らすことが出来るが、彼等は集団で狩りをする。さすがに十匹近くで襲われると、僕も防ぎようがない。

 寝場所を変えるか……。

 僕は空を見上げた。綺麗に晴れた空には雲一つ無い。これなら、体温代わりの太陽熱を夕方近くまで補充出来る。移動にはもってこいの日だ。

 思い立ったが吉日。

 僕はまず食物を取ろうと、空に鼻をうごめかした。甘い果物の香りをキャッチする。

 よし、腹が減っては戦は出来ぬだ。

 昔、よく第5次開拓団民だったおじいちゃんの膝の上で、読んだ本の言葉を頭に浮かべながら、僕は匂いのする方へ、足を向けた。

 ごめんね……。

 僕を探しているだろう獣達の集団を浮かべて、苦笑いする。彼等だって、この星で生きる為、繁殖する為に必死だろう。

 でも、僕は、まだ死ぬわけにはいかないんだ……。

 この身体が衰えて、自然にその日が来るまでは、生き抜くって決めたんだ。

 ……あの、壁に付いていた赤黒い小さな手の跡に。

 ふうと息をつく。 僕は、大き過ぎる身体を揺らしながら、甘い匂いをたどって歩き出した。



 強くなった甘い匂いに、空を見上げるとオレンジ色の実がたわわになった木があった。これはご馳走だ。甘くてほどよく酸っぱくて、シャキシャキとした果肉が美味しい木の実。僕は早速、触手を木の枝に絡めると、ゆっくりと傷つけないように、枝を下げた。木の実を頬張る。

 うん、美味しい。

 他の動物の為に、少しずつ残しながら、周りの木になる実を腹一杯食べる。

 体熱が自分では十分に生成出来ないほど、僕の身体は新陳代謝が低い。それは、ひっくり返せば、他の動物ほど食物を必要としないことになる。 これだけ食べれば、一週間くらい絶食したって大丈夫。僕は首から下がった、四角い板のようなものを触手で目の前に持ってきた。 それはパッド型のモニターだ。すでに太陽光に当たり、十分充電出来ている。

 もう、覚えられないほど時が過ぎているのに、僕の国の技術者は本当に優秀だったんだな~。

 触手の先でモニターのスイッチを入れる。入れるとすぐ、地図が映る。 既に僕のIDは消されているから、更新はされないが、この地図がほとんど今と変わってないのは経験上知っている。それを見て、一週間おきには、水と食物が取れるように、森を巡りながら移動するルートを思案する。

 うん、これで行こう。

 僕は太い足を動かした。森を出て、赤茶けた石ころだらけの大地を、触手を時折地面に這わせて、バランスを取りながら歩く。 背中に太陽の光が当たる。ぽかぽかと気持ちが良い。もう言葉は紡げない喉を鳴らしながら、僕は歩いて行った。



 その人が僕の目の前に転がり出てきたのは、歩き続けて、日が傾き掛けた頃だった。金色の髪に、青い瞳。『地球人』という図鑑があったら、『西洋人』として見本に載りそうなくらい、完璧な顔立ちと肢体の女性は、僕を見て恐怖に瞳を震わせた。

 僕は、というと、僕もびっくりして小さな目を震わせていた。

 『地球人』なんて何年ぶりに見ただろう。

 彼女は豊満……としか形容出来ない肢体を、惑星開拓用の防護服に包んでいた。『地球人』には少し強すぎる日光を遮る、ヘルメットと一体化した防護服。勿論、摩擦や衝撃にも強い。僕も昔着ていたことがある。

 だが、彼女の防護服はあちらこちらが破れていた。ヘルメットも割れたのか、接着部と残り布を残して、取り外してある。破れ目には彼女のものだけではないだろう、血がこびりついていた。

 ……何があったか大体は想像つくけど。

 この星は『地球人』が『地球人』の姿でうろつくには少し危険過ぎるのだ。

 「……あなたは……」

 彼女は、襲ってこようとしない僕に少し警戒心を解いたのか、僕をまじまじと見て呟いた。

 久しぶりに聞く『公用語』として採用された英語。彼女は僕が首から下げたモニター、そして太い前右足と背中に大きく付けられた数値と記号から、僕が……僕がこの惑星開拓民団の一団、第6次開拓団の団民であることに気づいたようだ。

 ……そう、進まない開拓事業、次々と朽ち壊れていく、重作業機の代わりとして、だた、有色民族が多いというだけで、現地の巨大生物に脳移植され、奴隷生物とされた悲劇の団民……ということに。

 その多くが、前後の開拓団民に酷使され、死亡したが、僕はなんとか彼等から逃げ延びた。おじいちゃんの命掛けの愛情のお陰で。

 彼女は今度は顔を真っ青にして震え出した。それもそのはずだ。彼等が僕達にしたことを思えば。それに今は、僕達を拘束する拘束具も、一振りで昏倒出来る、電磁鞭も無い。僕がその気になれば、この触手の一振りで彼女の命を奪うことが出来る。

 勿論僕はそんなことするつもりもないけど、何故か、恐怖と同時に彼女の顔には、どこか安堵の表情が浮かんでいた。

 彼女は僕を見上げて、祈るように手を組んだ。

「どうか、私を殺して下さい」



 もう何百年前になるのだろう。『地球』は終わりを迎えていた。今までも、環境破壊や人口爆発で、何度も危機を迎えたがなんとか乗り越えてきた人類がどうしょうもない原因、太陽の急速な巨大化によって。

 しかし、もう何年、いや何百年も前にそれは予想が出来ていた。だから、人類は地球脱出計画を整え、秘密裏に宇宙船や、惑星開拓の機材、技術、行程、全ての手段を整えてきた。 最後にして、最大の難関、宇宙船に乗る数千人の人間の選出以外。

 それは、特に極秘に行われた。病気、事故事件を装い、集められた優秀な人間は、開拓団民として、順次惑星に送り出されるように、順番に冷凍睡眠コールドスリープについた。僕もおじいちゃんと共に、その一人に選ばれ、体調と精神状態を整えて、冷凍睡眠を処方する医療基地に送られるばかりになっていた。

 しかし、秘密というものは、どこからか漏れるものらしい。自分達は滅亡するしかない地球に残されるという恐怖、選ばれた者への羨望と嫉妬。僕とおじいちゃん、第5、第6次開拓団民はそんな群衆の中で、医療基地に向かったのだ。

 今でもはっきり覚えている。窓の無い移動車の中で聞こえた怒声と悲鳴。そして、暴動が鎮圧された後、辿り着いた、医療基地の壁に付いていた、赤黒い血で付けられた小さな手の跡を……。

 ……あの手の持ち主は、どうなったのだろう……。

 そう考えたとき、僕の頭からは、自ら『死』を選ぶという選択肢は無くなった。



 僕は黙って、またモニターを触手で顔の位置に持っていった。僕を逃がしたおじいちゃんが、同じ開拓団民の銃で撃ち抜かれて以来、起動したことの無かった会話モードをオンにする。 僕はそこに文字を打ち、音声で流した。

「自分でやって下さい」



 彼女が唖然と僕を見上げる。僕は更に文字を打った。

「僕は生きる。『地球人』は誰も殺さない。だから、死にたいのなら自分でやって下さい」

 彼女の様子、死を願う真剣な顔からして、今の開拓団の様子が解る。既にそこは、開拓団という言葉からかけ離れたものになっているだろう。

 僕はモニターを再び、首に下げると歩き出した。彼女を踏み潰さないように気を付けて、太い足を動かす。ズゥン……ズゥン……。ゆっくりと通り過ぎる。

 地面を揺らす、足音の間に

 パン!

 小さく弾ける銃の乾いた音がした。



 夕日が沈み始める。もう、動くのは無理だ。僕は足を止めると触手を周囲の岩に絡ませた。こんな大きな身体では、横になると内臓を圧迫してしまう。だから、立ったまま寝るのが基本だ。

 体温が下がっても、基礎体温で自由に動く触手だけを警戒の為に前後左右に置いて、僕は空を見上げた。

 闇色に堕ちる空に星が瞬く。

 久々に思い出した、あの小さな手を脳裏に描く。僕が地球から脱出する為に踏み台にした小さな命。そして、僕達が踏み台にした沢山の命、それらは今どうなっているのだろう。

 どうなっているにしても、僕には自ら『死』を選ぶことは許されない。僕に出来ることは、ただ生き抜くこと。この身体が弱り、朽ち果てるまで、最後まで、姿形は全く別のモノになってしまったけど、『地球人』として生きること。

 空を赤く赤く燃やして日が沈む。代わりに満天に広がる星空に、僕は小さく微笑むと目を閉じた。

 明日も晴れると良いな。

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