剣王様の食卓

悠戯

一品目 殺りたてドラゴンステーキ 木苺のソース添え

 男は腹が減っていた。


 年の頃は三十後半。全身を分厚い筋肉に覆われ、背中の大剣グレートソードのよく使い込まれた様子からすると熟練の剣士のようではあるが、その眼には今ひとつ覇気がない。

 手持ちの食料は昨日で底を尽き、もう日が落ち始める頃だというのに、今日は朝から水しか飲んでいない。空腹のせいか、まるで獅子のたてがみのような自慢の金髪も、今はどことなく色あせているように見える。年齢の割に若く見えると評判のかんばせも台無しだ。

 いっそ盗賊でも出てくれば返り討ちにして食料を奪ってやることもできるのだが、近隣の領軍が定期的に巡回をしているおかげか、街道の周辺はすこぶる治安が良く望みは薄い。

 まあ、この調子なら今夜は野宿ではなく柔らかいベッドで眠れそうだ。前に来たのは二年ほど前だが、昔の傭兵仲間のジャックがやっている宿は料理も酒も美味かった。あいつは傭兵時代から剣は弱いがメシが美味いから仲間から重宝されてたんだ。大蒜にんにくの風味を強く効かせた山羊のステーキが名物で、払いにツケが利くのも重要だ。


 ぐう、という間の抜けた音が男の腹から鳴り響いた。


 ステーキの味を思い出したせいか、腹の虫が騒ぎ出したようだ。

 少し癖のある味だが、これまた癖の強い辛口の地酒と合わさると絶品なのだ。

 街に着いたらまず部屋に荷物を置いて……いや、まずは食事にしよう。熱々の山羊ステーキに豪快に齧り付き、肉の後味と脂を酒で洗い流す。そして空いた口の中に次の肉を……


 ごくり。


 今夜の夕食を想像したら口の中に唾が湧いてきた。歩く速度が自然と速くなり、背中の大剣もなんだか軽く感じられる。

 到着まであと少し、この丘を越えれば街はもう目と鼻の先だ。


 だが、駆け上がるような速さで丘を一気に登った男の目に飛び込んできたのは、現在進行形で竜の炎に焼かれている街の姿だった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 街外れの森まで友達と木苺摘みに行っていた私が、カゴいっぱいに取れた戦利品を手に家に帰った直後のことでした。

 カンカンカン、と見張り台の鐘の音が街中に響き渡ったのです。

 「なにかしら?」

 カゴを一旦テーブルに置いて、お父さんと一緒に家から飛び出した私が目にしたのは真っ赤な炎。だから、最初はただの火事だと思いました。

 でも、違ったんです。

 急に辺りが暗くなったことを不思議に思った私が空を見上げると、そこには真っ赤な鱗に全身を覆われた大きな竜が飛んでいたのです。


 竜がその大きな口から勢いよく火を吐くと、石造りの教会の屋根が建物の上半分ごと吹き飛んでしまいました。そのままの勢いで火の息が隣の民家に燃え移り、火勢がどんどんと強くなります。


 「矢を放て!」

 「駄目です! 刺さりません!」

 衛兵さん達がまだ無事な建物の屋根の上や街の外壁から竜に向けて弓矢を放ちますが、自由に宙を動き回る相手にはなかなか当たらず、たまに当たっても硬い鱗に弾かれてしまうようです。


 他の人たちもようやく事態を把握したようです。通りのあちこちから悲鳴や怒号が聞こえ、一斉に逃げようとする人たちでパニックが起こりました。

 「住人の避難を優先しろ!」

 「押すな! この野郎!」

 「俺の家が焼けちまう!?」

 「誰か、うちの子を見なかった!?」

 「落ち着け! 冷静に避難するんだ!」

 「助けてくれ!」

 衛兵さんが避難誘導をしていますが、混乱は収まるどころか酷くなるばかりです。

 

 「お父さん!」

 人波の中で、私は手を繋いでいたはずのお父さんとはぐれてしまいました。

 ですが、足を止めることはできません。

 自分がどちらに向かっているのかも分からないまま、どっちに逃げれば助かるのかも分からないまま、必死に走り続けました。


 どこをどう走ったのか、いつの間にか街の外壁近くにまで来ていた私は、少しでも竜から距離をかせげたか確認しようと空を見上げました。空を自在に飛ぶ相手に意味があるかは疑問ですが、そうせずにはいられなかったのです。


 ですが、それは失敗でした。

 眼下で逃げ惑う人々を物色していた竜とちょうど目が合い、どうやら竜は私を最初の獲物にしようと見定めてしまったようです。


 今まで空を飛んでいた竜が、轟音と共に私のすぐ目の前に降り立ちました。

 私は逃げ出そうとしますが、足はガクガクと震えるばかりでちっとも動いてはくれません。あまりの恐ろしさに歯がかちかちと音を立て、腰が抜けてその場にへたり込んでしまいました。

 「ひ……っ」

 まるで剣を束ねたような竜の牙が目前に迫り、生温い吐息が肌で感じられます。

 「神様……!」

 私は必死に祈りながら、ぎゅっと目を瞑りました。



 ですが次に聞こえたのは、竜が私を食い千切る音でも、はたまた神様の声でもなく、なんとも緊張感に欠ける声でした。

 「ん? 見覚えがあると思ったら、たしかジャックの娘か。よ、久しぶり」

 「……え? レオさん?」

 恐る恐る目を開けた私の前には、お父さんのお友達のレオナルドさんが、手にした大剣で竜の牙を受け止めている姿がありました。

 「二年ぶりか、えぇと……・リリちゃん?」

 「いえ、ララですけど……」

 「あぁ、そうだった、悪い。ずいぶん大きくなったなぁ、ララちゃん。今いくつ?」

 「先月で十三歳に……じゃなくて!」

 レオナルドさんは呑気に再会の挨拶をしながらも竜の牙を推し留め、それどころか徐々に押し返しています。食事の邪魔をされた苛立ちからか、竜は不機嫌そうにうなり声を立てていましたが、次第に困惑の方が大きくなってきたようです。

 フェイントのつもりなのか竜が急に首を後ろに引き、前脚の爪でレオナルドさんの隙を突こうとしましたが、

 「よっと」

 それを読んでいたレオナルドさんに簡単に避けられてしまいました。

 「さて、腹も減ってるしとっとと終わらせるか」

 「■■■■ッ!!」

 レオナルドさんの不遜な物言いを理解していたのか、竜が怒りの声を上げました。炎の吐息で眼前の男を焼き尽くそうと大きく息を吸い込み……しかし、その息が吐き出されることはありませんでした。


 「これで終わり、と」

 私の身長よりも大きな剣が一瞬消えるほどのスピードで振るわれ、次の瞬間には巨大な竜の全身がバラバラになって崩れ落ちたのです。

 竜の肉片や血が周囲に飛び散り、辺り一面に充満する濃密な血の臭気でむせ返りそうです。


 「立てるか?」

 「……あ、はい」 

 あまりに凄まじい光景を前に放心していた私も、レオナルドさんに手を差し出されてどうにか正気に戻りました。

 「よし、じゃあ君ん家(ち)の宿に行ってメシにしよう」

 「ふふ、たくさん食べてくださいね」

 レオナルドさんってば、よっぽどお腹が空いているみたいです。

 あんなに大変な目にあったばかりだというのに、なんだか可笑しくなってきて、私はくすくすと笑ってしまいました。


 ◆◆◆


 「ララっ!」

 「お父さん!」

 道中の建物が崩れていて戻るのが大変でしたが、どうにかうちの宿まで帰ることができました。竜が討たれたという報は早くも伝わっており、周囲の家にも住民たちがぽつぽつと戻り始めており、先程から降り始めた雨で火災が収まりつつあることも手伝って、混乱は次第に終息していくことでしょう。

 「よ、久しぶりだなジャック。ステーキ食わせろ」

 「レオ? どうしてお前達が一緒にいるんだ?」

 「レオさんに助けてもらったのよ」

 私が先程の出来事を説明すると、お父さんは大層驚いて、それから泣きながらレオナルドさんにお礼を言いました。

 「気にするな。それより早くメシにしてくれ」

 でも、レオナルドさんはお礼よりご飯の方が嬉しいみたいです。しかし、ここでちょっと困ったことになりました。

 「じつは、さっきの火事で食料庫が焼けてしまってな……」

 お父さんは申し訳なさそうに言いました。宿の本棟自体は石造りなのでそれほど被害はなかったのですが、食材を入れていた木造の保管庫が先程の火事で焼けてしまっていたのです。


 「じゃあ、俺の肉は……?」

 「全部残らず炭になっちまったよ。本当にすまん」

 レオナルドさんがガクリと膝をついてショックを受けています。

 「お父さん、私が市場まで行って買ってくるわ」

 「いや、今日の騒ぎの後じゃ、しばらく市は開かないだろう」

 たしかに、多少落ち着いてきたとはいえ、今日の事件の影響は当分残りそうです。こんな中でいつも通り営業しているお店なんてないでしょう。

 「あ、そうだ。レオさん、お腹が空いてるならコレを食べて」

 「ああ、ありがとう……」

 さっき私が摘んできた木苺だけは、食料庫にしまう前だったので無事でした。でも、これだけでは大柄なレオナルドさんのご飯には到底足りないでしょう。


 「……よし! ちょっと肉を調達してくる」

 やはり木苺だけでは物足りなかったのか、レオナルドさんがそう言って宿から飛び出していきました。

 「どこかお店のアテがあるのかしら?」

 でも、そんなお店なんてこの街の住人である私にも見当が付きません。

 「あいつ……いや、まさか」

 お父さんはレオナルドさんの行き先に心当たりがあるみたいですが、教えてはくれませんでした。



 「戻ったぞ、っと」

 レオナルドさんは五分ほどすると、大きな布包みを抱えて戻ってきました。包みの中には大きなお肉が入っています。

 「衛兵どもに邪魔されたけど、無理矢理かっぱらってきたぞ。後ろ脚のモモ肉のあたりだから多分食えるだろ」

 「……やれやれ、焼いてくるからちょっと待ってろ」

 「おう、待ってる」

 お肉を受け取ったお父さんは、何故かしばらく迷っていたようですが、諦めて厨房に向かいました。私には今のやり取りの意味がよく分かりませんでしたが、お肉が入っていた布包みから何か赤い物がポロっと床に落ちました。私の掌くらいの大きさで、床に落ちた時のカツンという音からするとやけに硬い物のようです。

 「これって、もしかして……」

 あまり思い出したくないのですが、つい最近、ごく間近で見た覚えがあります。

 「竜の鱗?」

 じゃあ、あの肉は竜の肉?

 その可能性が高そうです。竜の血を魔法薬の材料にしたり、骨や牙を武具の素材にしたりといった話は聞いたことがありますが(剣一本で立派なお屋敷が土地ごと買えるくらいの値段になるそうです)、本当に食べられるのでしょうか。

 ちょっと不安ですが、昔話で竜の血を浴びたり竜の肉を口にした英雄の話も聞いたことがあります。レオナルドさんのあの超人的な強さの源が竜の肉なのだとすれば、むしろ納得できるかもしれません。

 「まだか~……」

 とはいえ、木苺をつまみながらステーキの焼き上がりを待つ様子からは、さっきの英雄的な姿はまるで想像できません。


 「軽く味見してみたが、けっこう強い肉だな。ソースに使うからこの木苺貰うぞ」

 「あぁっ!?」

 調理途中でやってきたお父さんに木苺のカゴを奪われてションボリしている姿などは、まるで小さな子供のようです。若く見えますけど、一応お父さんと同じくらいの年代のはずなんですが。


 ◆◆◆


 「ほら、お待ちどう」

 「おおぉ!」

 しばらく煤で汚れた室内を片付けながら待っていると、お父さんが分厚いステーキの乗った鉄皿を持って戻ってきました。室内に漂う甘酸っぱい香りは木苺のソースによるものでしょう。

 レオナルドさんはナイフとフォークを巧みに操ってステーキを切り分けます。竜のイメージからすると、てっきりその肉も硬いのかと思っていましたが、意外なほどに柔らかいようでほとんど力を込まなくてもスッとナイフが通るようです。

 レオナルドさんは大きな肉片をフォークで突き刺して木苺のソースを絡め、躊躇うことなく一気に口へと運びました。

 もぐもぐもぐ、と咀嚼音が聞こえます。

 「ごく」

 どんな味がするのか気になって、私は思わず生唾を飲み込みました。

 つい先程、この竜に食べられそうになったばかりだというのに、こうして料理になっている姿を見ると反対に食べてみたくなってきます。

 「お、美味しいですか?」

 レオナルドさんは、私の問いに対して言葉ではなく、すぐさま次のステーキを口に運ぶ姿で答えました。猛然と、まるで肉を飲むような勢いでガツガツと食べ進み、大きなステーキはあっという間に姿を消してしまいました。

 「ジャック、お替りだ! あと、酒も寄越せ!」

 「わかったわかった。でも酒は食料庫に置いてあったから、瓶が全部割れちまって……」

 「レオさん、お父さんの部屋の棚に晩酌用の高いお酒が隠してあるから持ってきますね。お父さん、恩人に出し惜しみはダメよ」

 「よし、ナイスだ、ララちゃん!」

 「くそぅ、娘が反抗期に! こうなったらヤケ酒だ、肉焼いてくるから俺も一緒に飲むぞ!」

 「おう、久々に飲み比べるか!」


 どうせ、今日は他にお客さんも来ないでしょうから仕事になりませんし、お父さんと私も一緒になって竜肉のステーキを頂くことにしました。

 「柔らかい……」

 さっき横でレオナルドさんが食べるのを見たとおり、私の力でもほとんど力を入れなくてもスルスルとナイフが通ります。柔らかいとはいっても崩れるように脆いわけではないので、フォークで刺しても落とす心配なく口まで運べます。

 「あ、美味しい」

 肝心の味はといいますと豚や山羊よりは軽く、しいて言うなら鳥肉系に近い味わいです。脂の部分はくどさがなく、筋肉の部分は鴨の美味しいところを集めて凝縮したかのようです。

 生肉をそのまま焼いたのに干し肉のような濃さがあるため、いくら一口目が美味しくてもそのままだったらすぐに飽きてしまいそうですが、ここで木苺のソースが活きてきます。

 濃厚な赤身の味を損なわないままで、甘酸っぱい木苺の風味が全体のバランスを整えているのです。木苺のソースを選択したお父さんの選択は正解だったようです。


 「美味いな、酒に合う。ジャックお替り」

 「早いな!」

 亡くなったお母さんに似てお酒が苦手な私には分かりませんが、お酒との相性も上々のようです。レオナルドさんは早くも二枚目のステーキを平らげていました。お父さんは自分の食事を中断して追加のステーキを焼きに行きます。


 食べて、飲んで、焼いて、また食べて、と幾度となく繰り返し、この後も夜中まで竜肉ステーキの宴は続くのでした。


 ◆◆◆


 それから五日間ほど後、レオナルドさんは「じゃ、また」とだけ言い残してフラッと街を出て行きました。

 「あいつは昔から、いつもそうなんだ」

 お父さんは、なんだか楽しそうにレオナルドさんのことを愚痴っています。


 今回の竜騒動では、残念ながら家を失ったり亡くなった方もいたようです。それでも早期に竜を討伐できたおかげで、竜の襲来にしては奇跡的なまでに被害が少ないのだとか。

 領主様が竜の素材を売却したお金で、今回被害を受けた方は補償を受けられる事も決まり、街はなんとか以前の賑わいを取り戻しつつあります。


 「よし、今日も頑張らなきゃ」

 九死に一生を拾ったおかげか、あるいは竜の肉なんて食べたせいか、あれ以来やけに身体にやる気がみなぎっています。

 そうそう、今度レオナルドさんが来た時に食べてもらおうと思って、お父さんから料理を教わり始めたんですよ。次に会えるのがいつになるか分かりませんが、それまでに上手にステーキを焼けるようになっておこうと思います。

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