往日(2)
「白淳!」
鈴の転がるような声で、八重が呼んだ。
あれから白淳は、度々八重のところを訪れていた。封じた言霊の力が表出していないか確かめるためだった。
けれども、それだけではない。
「ねぇ。どうして八重は、ぼくに会ってくれるんだい」
「友だちと会うのに理由がいるの?」
きょとんとして彼女は聞き返した。
「だって、他の子たちはぼくのところにもう来なくなっただろう。ぼくが変だって。
ぼくが居たら、他の子たちと遊べないじゃないか」
「他の子たちがそう思うのは、勝手だけれど。私はそうは思わないもの。
私は白淳と一緒にいたいからここにいるのよ」
なんでもないように言ってのける彼女に、更に白淳は尋ねる。
「八重は、変だと思わないの。みんなが大きくなっているのに、ぼくがいつまでもこの姿なこと、いつもどこか知らない場所に消えてしまうこと」
「不思議だとは思うけど。それと白淳を避けることと、何か関係があるの?
私は好きでここにいるのに」
首を傾げた彼女の顔に、つい口元が緩み、なんでもない、と笑って誤魔化した。
白淳は、ヒトが嫌いではない。
けれども、ヒトの方はそうではなかった。
子どもらに混じって遊びに興じることもあった。けれども、長くは続かない。
本能的に異質な気配を感じて、彼らの方からいつも白淳の元を去っていくのだ。
相手が大人の場合とて変わらない。大人の場合は子どもより鈍感ではあるけれども、あまり長居をすれば、いつまでも風貌の変わらない彼は怪しまれる。
かといって、物の怪の領域に白淳の居場所はない。彼はかつて仲間から追放されていた。
違う種族に知人は居たが、別族の彼がいつも一緒にいるわけにはいかない。
だから白淳はいつも孤独だった。
しかし。八重と過ごすようになってから、いつのまにか数年が経過していた。
「ねえ。ずっとずっと、私と一緒に遊んでくれる?」
先ほどの彼の言葉で思いついたのか、にわかに八重が問いかけた。苦笑しながら、思わず白淳は素直に答える。
「それは無理だよ」
「どうして」
「ぼくは、ずっと同じだから。同じところに留まれない」
「同じなのに、同じが駄目なの」
「同じだから、駄目なんだ」
「ふうん」
釈然としない様子で、しかし説明する気のない彼の語調に追求を諦めて、八重はおざなりに返事をした。
「八重はいずれ大きくなって、いつかいい人のところへお嫁に行って、別の場所で幸せになるんだ。ぼくのことは忘れてしまうよ」
「それは嫌。別のところになんて行きたくない。それに絶対、忘れないもの」
「そういうものなんだよ。子どもの時の記憶は、いつか薄れていってしまう」
八重は膨れ面になるが、妙案を思いついたとばかりに手を打つ。
「私の言霊は、白淳が封じているのでしょう。だったら、すこうしだけ言霊を解放して、お願いすればいいのよ。
白淳が同じところにいられますように。ずっと一緒にいられますように、って」
瞬きして、白淳はあっけにとられる。思ってもみない提案だった。
けれども、すぐさま頭を振る。
「駄目だよ。言霊の力は解放したら、使ったらいけない」
「それが、良いことでも?」
「強すぎる力は、反動が怖いよ。むやみに使ってはいけないんだ」
白淳にたしなめられ、また頬を膨らませて八重は腕組みする。
しばらく考え込んでいたが、やがてぱっと顔を上げ、白淳の顔を覗き込んだ。
「だったら、せめて約束しよう」
屈託なく八重は笑んだ。
「白淳が同じところに居られないのだったら、私が行く。
大きくなったら、私が白淳のいるところに行って、一緒にいてあげるから」
今度こそ、白淳は言葉を失った。
彼女の言葉を噛みしめるように、じっと白淳は目を閉じる。
――ああ、駄目だ。
――これ以上は、一緒に居てはいけないのだ。
目を開けると、白淳は静かに八重へ問いかける。
「ねぇ、八重。ぼくと一緒に居て、楽しいかい」
「楽しいよ」
「ずっと一緒に居てもいいと思ってくれるかい」
「うん、いいよ」
「きみが大きくなってもそう思ってくれるかな」
「きっとそうよ。白淳のこと好きだもの」
「……そうか。ありがとう」
「どういたしましてっ」
やはり八重は屈託なくそう答え、朗らかな笑みを浮かべるのだった。
その日の別れ際、いつものように八重は言葉を交わす。
「お休み、白淳」
「お休み、八重」
彼のそう告げた刹那。
八重はふっと気を失い、静かに崩れ落ちた。彼女の小さな身体をそっと抱きとめて、白淳は静かに囁く。
「今は、全部を忘れて。ぼくのことも、言霊のことも。
このままでは、ぼくは、きみのことを手放せなくなってしまう。
ヒトとしての幸せが掴めない場所へ、連れて行ってしまう」
ヒトの身に宿った、分不相応な強すぎる言霊の力。
そんな宿命を背負う彼女へ抱いた素直な感情は、哀れみだった。
しかし共に時間を過ごすうち、同情に似たその感情は消え失せ、いつしか彼女の隣にいる日々を心から愛おしんでいた。
唯一、彼がそこに居ることを許してくれた八重は、どこまでも曇り無く伸びやかだった。異形の彼であろうと受け入れ、一緒に在ることを許してくれた彼女であるからこそ、言霊の力が宿ったのかもしれなかった。
哀れんだのは、これからも共に時間を過ごすことのできない自分自身だった。
かつて力を封じたときのように、白淳はすっと八重の額に手をかざす。至極穏やかな表情で、八重はすうすうと寝息を立てていた。
やがて手を離すと、白淳は家まで彼女を運んで寝所に横たえる。
「けれども。もしもきみがぼくのことを思い出してくれて、その時にまた、ぼくに微笑んでくれたのなら。
その時は、ぼくは、今度こそきみのことを神隠しするよ」
白淳は、そっと八重の額に口付けた。
それきり、白淳が会いに行くことはなく、彼女の姿を目にすることは無かった。
十年後、彼女が自ら白淳の棲む山に赴くまでは。
まだ白淳が千瞑と出会う前の話である。
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