第12話 耳をふさぐ

囲碁のことわざに「岡目八目」というものがあります。


傍目で見ている人間には、囲碁の試合の先の展開が八手先まで容易に読むことができる、という意味です。


逆にいえば試合の当事者が冷静に盤面を見ることがいかに困難かを示した言葉といえます。


このサイトでなら、他人の小説なら冷静に読めるが、自分の作品はなかなか冷静になって評価ができない、ということになるでしょう。


それでなにが困るのでしょうか?


困らない、といえばなにも困りません。プロになるわけじゃなし。下手なままでもなんら問題はないでしょう。


自己満で充分といえます。


しかし、向上心があるタイプの方には大問題です。


なにせ自作を改良したり、次作への肥やしにしたいのに冷静な分析ができないのでは、レベルアップにつなげにくいからです。


その場合、もし批評などを受けた場合、それがどのようなものであれ、”全面的に正しい”という前提で読むことをお勧めしましょう。


なぜ”全面的に正しい”という仮定をするのか?


それは占いに似ています。なぜこのような結果が出たのか? というその理由を探すことによって、これまでにない視点から物事を考えることが出来るからです。


それに人間というものは基本的に”善意”の生き物ですから、一種の親切心も働いているわけです。いうなればその評価が書かれた動機に至るまで考えを掘り下げることで作品への考察を深めることが可能になります。


もし、批評などもない場合は、ありふれた方法ですが、一定期間以上(半年から一年以上)作品を寝かしておいて、読み返すことで客観的な目で自作を評価できるようになるでしょう。


さて……。


世の中には、虫のいいことに、他人からの評価は欲しいが、自分好みの評価以外はいらないという書き手がいます。


こういうのは、イケメンで金持ちなら誰でもいいから結婚したいといってる女性みたいなものです。


作品を世に問うというのはどうしたって良い評価もあれば悪い評価も出てくる、というのは当たり前です。世界一のアーティストだって嫌いなひとが一定数いるのですから。


作品を表に出すということは、悪い評価をもらうという覚悟も必要です。


それに耳をふさいでいるような根性じゃやってらんないよ?

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創作論アラカルト ぐうたらのケンジ @lazykenz

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