私の知らない夫

笹崎 匠悟

第1話

快楽に罪悪感は付き物、罪悪感のない快楽なんて存在しない。


1. 「おはよう・・・」

「・・・早く食べちゃって。」

いつから、形式的な挨拶すらなくなったのだろう。

食卓には、固まって冷たくなった目玉焼きとウィンナー、トーストが並ぶ。

何年か前から私の毎朝のメニューは変わらない。いつからこのメニューを食べ始め、そしてあと何年食べ続けるのだろう。

家族三人が並んだ食卓に会話はなく、テレビから流れる声だけが聞こえる。

一か月前に不倫が発覚したタレントの話題を面白おかしく盛り立て、コメンテーターがいつものごとく当たり障りのないコメントをしている。

なぜ、朝から他人の情事の話を聞かなければならない。ほかにもっと伝えることはないのかと思いながら冷え切った目玉焼きに醤油をかける。

あるアンケートによると浮気をしたことはあるかという質問に対して、3人に1人が浮気をしたことがあると答えたそうだ。

ちょうど、3人並んだこのコメンテーターたちの中に不倫したタレントと同じ過ちを犯したことがある人間が混ざっているのかもしれない。

もしくは、全員が同じ穴の狢なのかもしれない。

イエス・キリストに関するこんな逸話がある。

ある日、イエスが弟子たちを連れて街を歩いていると一人の女性が民衆から石を投げつけられていた。

なぜこんなことをするのかと、イエスが弟子たちに問うと「この女は罪人だからだ」と答えた。

それを聞いたイエスは民衆に「ならば仕方ない。続けなさい。ただし、一度も罪を犯したことのないものだけが女性に石をぶつけなさい。」と告げた。民衆は戸惑い、散りじりにその場から離れた。

だが、恐らくこのコメンテーターやテレビを見ている視聴者はそれでも石を投げ続けるのだろう。


今朝起きて、私と顔を合わせてから一度もまだ声を発してない娘が、何かの呪文を唱えるような早口で「ごちそうさま・・・行ってきます。」と言い鞄を持ち玄関へと向かった。

娘は、中学二年の頃から急に私を避け始めた。きっと、明確な理由などないのだろう。

思春期の娘にとっては父親という存在自体が耐え難いものなのだろう。

わかってはいても、内心は辛いものだ。

無理やりその関係を修復しようと娘にむやみやたらとちょっかいを出し、関係をよりこじらせる父親が世の中には多いらしい。

私にはその勇気すらなく、ただ白旗を上げ早く終わることを祈るばかりだ。

戦時中、理由もなく迫害されたユダヤ人の気持ちが今ならよくわかる。

娘の反抗期が終わり、終戦を迎えるのはいつだろう・・・。

きっと、今「ライフ・イズ・ビューティフル」を見たら、前に見た時とは違う感情で涙を流すだろう。

そんなことを考えていたら、家を出なければならない時間となった。

ちらりとキッチンに視線を向けるとテレビを見ながら先ほど私と娘が食べ終えた食器を洗っている妻の姿が映った。

私も娘と同じ呪文を唱えた。


2.バスを待つ何気ない時間などは、ついつい余計なことを考えてしまうものだ。

例えば、自分の人生を振り返り、本当にこの人生を選んで良かったかなどと会社に着くまでに到底答えのでない大きすぎるどうしようもない疑問について考えてしまったりする。

多くの人は、思春期に自分は世の中の中心で、自分だけが自分の人生の主役であると思い、まだ成し遂げていない野望や夢や希望に溢れた未来について考える。

しかし、気が付くと社会の歯車となり、誰かしら、何かしらの役を与えられ、それを演じながら生きていくことになる。

私の役どころは、

冴えない中小企業の課長。高校生になる反抗期の娘を持つ父。妻との関係が冷え切った夫。

こんなところだろう。つまりどこにでもいるありふれた役柄だ。

上司に倍返しするわけでもなく、冷え切った夫婦関係や親子関係を改善するわけでもない、アドリブなどなく与えられたとおりに舞台に立ち続けているだけの役柄だ。

そして、私はそれに満足している。

週に何回か仕事帰り飲みに行ける、休日はゴルフや釣り、家でTVを見てゴロゴロできる。仕事は楽なわけではないし、理想の家庭というわけでもなかったがそれだけで私は十分幸せだった。

そんなことを考えていると会社の目の前に着いていた。

今日も変わらない一日が始まる。


3. 今日も変わらぬ一日だった。

しいてゆうなら、新入社員の斎藤君が取引先に渡した書類にミスが見つかり、その対応に午後から退社の時間まで追われたくらいだ。

明日は、休みで予定もないし、今日はどこかで一杯飲んで帰ろうと思った。

昔は、次の日が休みとなると同僚や部下と飲みに歩いたものだが、ここ数年は、忘年会や新年会以外会社の人間と飲む機会はなく、もっぱら通いなれた店に一人で行くことが増えた。

部下や後輩の飲み代を払わない分、財布の中身は潤ったが、心はなんだか寂しい気もする。

かといって、無理に部下を誘うわけにもいかないのが今の時代だ。

飲み屋を見ると早く家に帰りたくない私のような中年男性が一人で飲んでいる姿をちらほら見かける。

あの姿を見ると仲間意識が芽生えるとともに、自分がいかに寂しい存在かを再認識させられる。


やきとりにするか、刺身のうまい店にするか頭の中で悩んでいた帰り際の私の背中を呼び止める声が聞こえた。

「課長!今日これからご予定ありますか?」うちの課の加藤君だった。

「いや、特にはないよ。」急な呼び止めになんとなく飲みに行くことを隠して答えた。

「課長!良かったら、一緒に飲み行きませんか?」

普段めったにない部下からの誘いに内心喜びつつ、もしやなにか重大な相談事があるのではと訝る気持ちがあったが了承した。

妻に今日、遅くなることと夕飯がいらないことをメールで伝えた。


4. 加藤くんは、たしか今年で28歳。うちの部署には入社以来在籍している。仕事はそつなくこなし、温和な性格で課でも人気の男である。

二人で飲むのはこれが初めてだ。

場所は、私の良く行く刺身のうまい小料理屋にした。

仕事の何気ない話で盛り上がりつつ、お腹が満たされ、話のネタが尽きると

「課長!このあと、まだ時間ありますか?良かったもう一軒付き合ったくれませんか?」と加藤くんが急に切り出した。

まだ8時を少し過ぎたところであり、財布の中も今日は余裕がある。久々に部下と飲めたうれしさで私はすぐに了承した。

「じつは、うちの課にいた七瀬さんがこの近くで店やってるんですよ。良かった行ってみませんか?」

ななせ・・・七瀬・・・色白で整った顔立ちに眼鏡をかけた顔が浮かんだ。

七瀬くんは、3年前にうちの会社を辞めた私の元部下だ。加藤くんの一つ先輩にあたる。

真面目できっちりとした性格であったから、夜の仕事をしているというのは意外に感じた。

だが、整った顔立ちと見た目で、社内や取引先にファンがいるという話を耳にしたことがあったのを思い出し納得した。


5. パートから帰り、夕飯の支度を終え、TVを見ているとスマートフォンからメールを知らせる音が聞こえた。

「今日、飯いらない 部下と飲む」夫からの飾り気のない業務連絡のようなメールが届く。

おもわず、溜息が出た。

なんでもっと早く連絡をくれないのか。形だけでもいいから謝罪の言葉はないのか。

いろいろな感情が込み上げてきた。

いつからだろう。

夫の些細な言動や行動にイライラするようになったのは・・・。

私の話を聞いてるようで聞いていない。休日は家で動かないか、出かけていない。何度言ってもトイレの便座を下げない、飲んだビール缶をそのままゴミ箱に入れる。

だめだ・・・。思い出すとイライラしてくる・・・。

付き合いたてや新婚のときは、相手の良いところばかり見える。

悪いところは気にならなかったり、目をつむったりする。

アメリカの結婚式スピーチの決まり文句に「Keep your eyes wide open before marriage, and half shut afterwards」という言葉がある。

「結婚前は大きく目を開き相手のことをよく見て選び、結婚後は目を半分閉じて多少のことには目を瞑りましょう」といった意味合いの言葉だ。

日本でいうところの「三つの袋の話」のようなものらしい。

そんな風に思わなければ、男女が長く関係を保つことなどできないなのかしれない。

TVのチャンネルを変える。ここ一か月毎日のように流れる不倫報道のニュースが流れた。

不倫相手の女性タレントが涙を流しながら、会見をしている姿が映る。

もし、私が浮気されたら・・・私は「この泥棒猫!」などと相手を罵り、相手の女性を恨むのだろうか?それとこの冷え切った夫婦関係に終止符を打ってくれてありがとうと心の中で感謝するのだろうか?

夫の顔が浮かぶ・・・若い女性と夜の街を歩く姿を想像してみた。

なんだか、不釣り合い過ぎて笑えてきた。

「まぁ!冴えないうちの夫に惚れる物好きな女はいないか!」

まだ、暖かい湯気の立つ料理にラップをかける。


6. 帰りのバスに乗る際に転びそうになった。

どうやらいつもよりも酔っているようだ。

それにしても、3年振りに見た七瀬くんの姿には、驚いた。

長く伸ばしたきれいな髪、元々顔が整ってはいたが、化粧というのはすごいものだと改めて思った。

そこ辺りを歩いている厚塗り化粧をしたおばさんを捕まえ、化粧を無理やり取ったら私のようなおじさんが出てくるのかもしれない。

いや、そんなのと比べるのは七瀬くんに失礼だな。

もう一度、再開した七瀬君の姿を思い浮かべる・・・大きな胸元が見える妖艶なドレス姿とはいえ、つい胸元ばかり見てしまった。

もう自分の男としての性は尽きたものだと思っていただけに思い出して気恥ずかしさを抱いた。

しかし、人は変わるものだなぁ・・・。

それにしても、今日はいろいろな収穫があった。

七瀬くんの発した一言一言を思い出す。


7. 最近、旦那の様子がおかしい・・・。

夫が仕事に出て朝食の洗い物しながらここ数か月の異変を思い返す。

あんなに家の事に無関心だったのに、食後は自分で皿を洗い、休みの日は私の家事を手伝い、トイレ掃除と風呂掃除をし始めた。

ある朝なんて起きたら自分で朝食を作っていた。

なんだか、気味が悪くなった。

誰かに相談して噂話になるのは嫌だったから「夫 急に変わった」で検索した。

どのページにも浮気という言葉が並んでいた。

そういえば、最近飲んで帰ってきたときに前とは違って香水の匂いがほんのり香るときがある気がする。

いやでも、浮気でなくただ女の子のいる店に行っているだけかもしれない。

その罪悪感からの変化なのだろうか?

それとも本当に浮気なのだろうか?

長年連れ添った夫と先ほどまで顔を合わせていた夫は同じ人間なのだろうか・・・。

ボコボコとシンクから嫌な音がした。


8. 選挙カーが前を通り過ぎる。

大音量でありきたりな文句。作り笑いを浮かべた顔。候補者らしき男が手を振る。

いつも思うが、一日中大音量で聞きたくもない自己紹介をされたら逆効果ではないのかと思う。

ワタシに投票権があった近所をしょっちゅう回るやつには絶対入れない。

特に日曜の朝に来るやつは許せない。

ワタシが、不機嫌な顔をしていると隣を歩いていたタカシが「お腹でも空いたの?」と心配そうに尋ねてきた。

タカシは、付き合って三か月のワタシの彼氏だ。

サッカー部で、ワタシと同じクラス。

今日は、両親がどちらも夜いないと言っていたからこれからデートをして、それからワタシ家に遊びに来る予定だ。

顔は、いいのに単純でちょっと子供っぽい。でも、そこに彼の魅力である。

きっと、ワタシがどんな真剣な顔で悩んでいても、お腹がいっぱいになれば解決すると思っていそうで怖い。

「大丈夫。選挙カーがうるさいなーと思って。」ワタシは笑顔で答えた。

「そっか。そっか。今のって、昔に不倫して話題になった作家の人でしょ。最近はコメンテーターとかでよく出てたよね。」

「あっ。あの人か。なんだか見たことある人だと思った。」

タカシは、スマートフォンを取り出しなにやら検索しだした。

「この人!ほらやっぱ不倫してた人だ。」タカシがスマートフォンの画面をこちらに向ける。

顔写真の下に名前と「快楽に罪悪感は付き物、罪悪感のない快楽なんて存在しない。」という言葉が映し出されていた。

「なんか、不倫がバレた時に報道陣に言ったセリフなんだって。開き直りじゃん!」タカシは茶化すようにキリッとした顔を作りながら「快楽に罪悪感は付き物、罪悪感のない快楽なんて存在しない。」と写真の男を真似た。

ワタシは思わず吹き出しながら「もし、タカシが浮気したらそんなセリフじゃ許さないからね。」とわざと怒った風に言った。

「安心しろ!俺は、オマエ一筋だよ!」さっきとは違う真面目な顔でタカシが言ったのでワタシはなんだかドキッとしてしまった。

ワタシは、浮気する男と痴漢する男はみんな死んじゃえ!と思っている。

もし、自分の彼氏や父親が浮気したら絶対に一生許すことができないと思う。

これはきっとワタシが人生経験も恋愛経験も浅いからなのかもしれない。

でも、タカシならきっと大丈夫。それと父親の顔を思い出し、あの父親なら大丈夫だろうと勝手に安心した。


そういえば、いつからお父さんとまともに喋っていないのだろうと思った。

たしか中学の途中くらいからだった気がする。

別に大した理由はなかった。ただ、友達がみんな父親の悪口を言っていたり、うまくいっていないと言っていたから、ワタシだけ父親と普通の関係であるのが恥ずかしく思えた。

それで、徐々に話さなくなったり、避けるようになった。

そしたら、いつの間にかお父さんがワタシに気を使ってか距離を置き始めて、もう後戻りできなくなっていた。

そんなことを考えているとタカシが小声でワタシを呼び止めた。

「あれさ。不倫じゃないかな。」タカシが少し離れた先の宝石店の入り口を見ながら言った。

「えっ。」不意を突かれたワタシはタカシの目線の先を追いかけた。

モデルのような身長の高い女性と冴えないサラリーマン風の男が宝石店から出てくるところだった。

女性のほうがヒールを履いていることもあり、男よりも10センチ近く大きかった。

男は嬉しそうに小さな紙袋を持っていた。女性のほうも同じ紙袋を持っている。

その男が、ワタシの記憶にまったくない男であればタカシと同じように下世話な想像で盛り上がることができたが、その男は先ほどワタシが思いを巡らせていた本人であったため一瞬で言葉を失った。

ワタシの色をなくした顔を見てタカシが心配そうにワタシに声を掛ける。

今度はさすがに「お腹空いたの?」とは言わなかった。

(今帰れば、まだ、お母さんは家にいるはず・・・。)

ワタシはタカシに適当ないいわけを告げ、自宅に急いだ。


9. 夫の昨日の言葉には驚かされた。

数年振りに夫の口から結婚記念日というワードを聞いた。

「絵美子、明日はパートあるのか?」

「えっ!ないわよ。」数年振りに夫に名前を呼ばれたわたしは上擦ったような返事を返した。

「そうか。明日は、20年目の結婚記念日だし、夜はどこかに食事に行かないか?」

「えっ!いいわよ。」この時の私はかなり訝った顔をしていたと思う。

「予定があったらどうしようかと思っていたよ。実はもうレストラン予約していたんだ。」夫が夫になる前の付き合いたてのあの頃のような照れた笑顔をわたしに向け言った。

「いってきます。」照れながら彼は玄関へと向かった。

数年振りに夫を玄関まで見送った。

ここ数か月の夫の変化に浮気を疑っていたがこのときばかりは素直に夫の変化を受け入れていた。

彼が予約したと言っていたレストランにも驚いた。

夫が出てすぐ、急いで、美容室に明日の予約を入れた。


美容室に行く前に、駅前のブティックでグレーのツィードジャケットと落ち着いた刺繍の黒いレースワンピース、ワインレッドのパンプスを購入した。

久しぶりに独身時代に戻ったような気分がした。

美容室から帰り、夫との約束の時間まで時間があった。

一度荷物を置きに家に帰った。

玄関の鍵が開いていた。

玄関を開け「ただいま」と言いながら荷物を置き、リビングに入る。

娘が真剣な顔でソファーに座っていた。

「お母さん!大変!大変なの!お母さんどうしたのその恰好?」

いつもとは、違うわたしの姿に驚きながらもそれどころではないという様子だ。

「そんなに慌ててどうしたの?タカシくんと何かあった?」

「タカシどころじゃない!」娘が鼻息を荒くしながら言う。

「お母さん、これからお父さんと約束してあんまり時間ないんだけど・・・。」

「お父さん!?それワタシも行っちゃダメかな。」

「えっ・・・!ちょっと聞いてみるわね。」

「あとじつはさ・・・。さっき・・・・。」


10. 人はいつでも変われる。でも、変わろうと思っても行動しなければ一生変われない。

ありきたりだが核心を突いたその言葉を受けて私は少しずつではあるが変われた気がした。

いや変わろうと決意できた。

七瀬くんには感謝している。

それにしても、再会した時には驚いた。

あんなに生真面目だった七瀬くんがまさか女性になってるとは思わなかった。

そして、私は家族や夫婦の関係が上手くいってないことを彼女のような人たちに溢れる母性のせいだろうかそれとも、お酒の力を借りてなのか赤裸々に打ち明けた。

彼女の指摘は的確だった。

まるで、私の私生活が彼女にすべて覗かれているかのようにすべて図星だった。

まさかトイレの便座や缶の捨て方まで指摘されるとは思わなかった。

それから、私は度々彼女の店を訪れ、近況報告と夫婦間の関係修復のご指導を頂いた。

七瀬くんが会社にいた頃とは真逆の立場となっていた。

劇的に私の家庭環境は変わることはなかったが、それでも少しずつ妻と娘の気持ちが理解できてきた。

同時に今までの私は本当に父親と夫と呼べるのだろうかと考えさせられた。

今までの反省を込めて、これからはいい父親にいい夫になりたいと思った。

七瀬くんに頼るのは今回で最後だ。

今年で結婚20周年であると二回目に店を訪れた際に話したら、結婚記念日に照準を合わせて私の夫婦関係改善計画を立ててくれた。

そして、夫婦関係が修復できれば、自然と娘との関係も改善できると言っていた。

今日は、私の数か月の集大成となる。

七瀬くんには先ほど妻に渡す記念日のプレゼントを選んでもらった。

普段から付けれるように一粒ダイヤの華奢なネックレスにした。

いろいろ迷惑を掛けたお礼にその店で七瀬くんにピアスをプレゼントした。

七瀬くんと別れ、花屋で花束を受け取った。

花屋を出たら、妻から連絡があり娘も来ることになったそうだ。

急いで、レストランに予約の変更をしたら快く承諾してくれた。

ついでに、娘にもプレゼントを買っていこうかなと、とっさににそう思えるようになったのは私が変われた証拠かもしれない。

スマートフォンを開く。

バッテリーが残り少ないことに気づいた。

七瀬くんにメールをした。すぐにプレゼントの候補とお店を教えてくれた。ここから一番近いブランドショップで目的のものを購入した。

しばらく見ていない娘の笑顔が浮かんだ。


11. 予約の15分前に店に到着した。

きっちりと髪を後ろに流したホールスタッフの男性と目が合う。

「七時に予約した佐藤です。先ほどは急な変更をして申し訳ありません。」

「いえ。お持ちしておりました。三名様でお席ご準備しております。お連れ様はまだいらしていませんので、どうぞお席のほうでお待ちください。」

「すみませんが、この花束を後ほど出していただきたいのですが・・・。」

淡いピンク、白、オレンジの鮮やかな花束を渡す。

サプライズなど独身時代ですらしたことがない。

「お預かりいたします。ご指示いただければその時にお出しいたします。」

「すみません。よろしくお願いいたします。」

「いえ。記念日か誕生日でしょうか?」

「実は・・・ここでプロポーズをして20年目の結婚記念日なんです。」

「さようですか。ありがとうございます。素敵ですね。良いお時間をお楽しみください。失礼いたします。」

レストランの店員は気持ちのいい笑顔を向け、一礼しその場を離れた。

私は二人の喜ぶ顔を思い浮かべた。

腕時計を見る。

時計の分針が真上を指した。

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