悲葬ハートリッパー
伊月ジュイ
プロローグ
深夜。鉄骨が剥き出しになった解体中の廃工場。
がらんどうの巨大なフロアの真ん中に、その場にはとても似つかわしくない少女が一人膝を抱えて座っていた。
少女の横には大きなジュラルミンケースが半開きになっていて、中からは薄気味の悪い緑の電色が漏れていた。
わずかな光源があるとはいえ、普通の女の子であれば泣いて逃げ出してもおかしくはないほどの、たっぷりとした闇と静寂。
それでも彼女は我慢強く、じっと何かを待っていた。
やがて、一つの足音がして、少女はハッと顔を上げた。
コツコツと規則正しく近づいてくる革靴の音。
飼い主を見つけた忠犬のように、少女の表情がパッと明るくなる。
「お疲れ様です、先生! お怪我はありませんか?」
向けられた先の闇から姿を現したのは、線の細い青年だった。
生真面目な黒いスーツにその身を押し込んでいる。が、そのスーツはボロボロに綻びていた。
「ええ、まぁなんとか、掠り傷程度で済みましたけど。
全く、割に合いませんよ。どうして傷だらけになってまで縁もゆかりもないご老人を守らなければならないのか。
まぁ、それが仕事だと言ってしまえばそれまでなんですけどね」
青年は、くああ、とあくびをして、ジャケットの胸ポケットに刺さっていた眼鏡に手を伸ばした。
彼が纏う漆黒のスーツにそぐわない、深紅のフレームを持つ眼鏡。
その鈍く光る紅だけが、周囲の闇に溶け込めず異彩を放っていた。
ジュラルミンケースの中身を片しながら、少女は青年を奮い立たせる。
「先生、ご安心を。次のターゲットは女性です!」
「いやいや、性別の問題ではないよ」青年は眉間に皺を寄せて唸った。「それに、どうせまた三倍以上も歳の離れた熟女だとかいうオチでしょう?」
「女子高生です!」
「じょしこぉせぃですとぉ!?」
驚愕の声を上げた青年は、堪えきれない笑みをくつくつと漏らす。
「
「でしたら」少女がおずおずと青年の袖口を掴む。
「若い女性のおもてなしには、可愛くて美味しいスイーツが必要かと」
「またスイーツですかぁ? 君はそればっかりですねぇ」
青年は少々うんざりとした顔で眉を寄せる。
「いつも言っているじゃありませんか、財政難だと。地道な節約が大いなる成果に繋がるのですよ?」
「ですが、先生」少女が深刻な面持ちで青年の瞳を見上げる。「女性の心を掴むためには、必要経費なのではありませんか?」
青年が深い思慮を以って目を細める。視線を遠い彼方へ向け、呟いた。
「掴めますかねぇ」
少女が静かに頷く。
「確実です」
「……」
「……」
「わかりました。君に任せます」そう言い放って、青年はジャケットの裾を翻した。「帰りましょう」
「はい!」少し遅れて少女が彼の背を追いかける。
少女の長い髪が宵闇にふわりふわりと名残惜しく揺れる。
やがて誰もいなくなった廃工場は、再び闇へ落ち静寂に包まれた。
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