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「――ああくっそ、また〈夢オチ〉かよ!」


 そんなことを叫びながら、SRHMDを投げ出す。


〈キャラクターが死亡しました。

 確認ボタンを押すとタイトル画面に戻ります〉


 装着したままのヘッドフォンから、いつもどおりの無機質な合成音声が響く。

 僕は自分の手を眼前にかざし、これが現実であることを確認してから、思い切り部屋の壁をパンチした。安アパートの壁とはいえ、非力な僕では小揺るぎもしない。むしろ手が痛い。


「そっちもやられた? ほんと、ひっどいよね!

 マジムカツク! ゲームオタク、チョーキモイ!!」


 ヘッドセットの向こうから、姉の憤慨した声が聞こえる。いつもどおりのそのガチで怒った声を聞いて、僕は逆に冷静さを取り戻した。好奇心旺盛で超行動的な2歳年上の姉を持つ身としては、なんというか、わりと「いつものこと」ではある。


「姉さん、一般的に言えば僕らもゲームオタクって呼ばれると思うんだけど、そのあたりはどうなの」


 床に転がったままのSRHMD(黒いプラスチックでできた、チープなヘルメットのようなシロモノ)を足先でつつきながら、僕はタオルで顔やら首筋やらを拭う。


「あたしはオタクじゃありませーん!

 つうかナギサこそどうなのよ!

 あんたちっちゃい頃はあんなにガチなゲームキモオタだったくせに!」


 あんまりな姉の物言いに、思わず僕の口調も荒くなる。


「キモオタいうな!

 プロゲーマーはプロゲーマーです!」


 僕らが遊んでいるのは、最近流行りのSRHMDを使ったオンラインRPG「戦之王」だ。世界的に有名な台湾のディベロッパがベトナムの一流エンジニアをガッツリと囲い込んで開発したゲームで、マレーシアの神絵師がキャラデザをした上に、タイの人気アイドルグループが合成用音声の元データ収録に協力したとあって、日本でも大人気を博している。実際、僕も日本でのプロモーションにちょっとばかり協力したりしてる。

 「戦之王」は、さすがはゲーム先進国の台湾で作られただけあって、日本のゲーム会社なんかではとても追いつけない完成度を誇っている。年配の人たちは、お酒が入るとすぐに「昔は日本でもすごいゲームが作られてたんだよ」とか言い出すが、いったいいつの話だよって感じだ。

 少なくとも僕らの世代にとってみれば、「日本ゲーがすごかった時代」なんて話、「アメリカと日本が戦争したことがあります」あたりと同じジャンルに属する、実に“昭和”な話題でしかない。


 ただ、「日本がすごいゲームを作っていた時代」に対する憧れも、ないわけじゃあない。


 最大の問題は、サーバだ。

 日本のゲーマーは基本的にゲームにお金を使わないし、そもそもゲーマーの数自体が少ないので、国際的なオンラインゲームのサーバが日本に設置されるなんてことは、まずない。一般的にはシンガポール、次点が台湾というところ。

 結果として、アクション性が重要になるオンラインゲームの場合、日本からプレイしていると、ゲーム内のキャラの反応が微妙に遅れる。これは「戦之王」のように、最高1/120秒、通常で1/90秒を1フレームとして処理しているゲームにおいては、キャラの生死を分ける。

 いや、ロシア出身(ベラルーシだったかな?)で、今ではベトナムの会社で「戦之王」のバックエンド技術を担当しているボリス・V曰く、「できる限りの遅延対策はしている」らしいんだけど。それでも、死ぬときは、死ぬ。


 でも、今僕らのキャラクタが為すすべなく虐殺されたのには、そういった通信環境とはちょっと違った理由がある。


「姉さんはさ、いい加減、旦那さんに頼んでゲーミングPCを買ってもらいなよ。

 そもそも姉さんの稼ぎだけでも、それくらいちゃんとしたのが買えるでしょ!?」


「いーやーでーすー。

 あたしはたかがゲームにそんなお金使ったりしませーん」


 つまり、そういうことだ。

 「戦之王」は、基本的に、PCで楽しむゲームだ。それもゲームのために、カリカリにチューンナップしたやつで。当然、SRHMDだって遅延の少ない、高級なやつで遊ぶのが大前提になっている。

 だが僕みたいな貧乏人は、スマホに(それも2世代ほど型落ちのヤツに)SRHMDアタッチメントをつけて遊ぶしかない。


 スマホは、どんなに頑張っても、スマホだ。

 激レアな装備で固めた敵対的プレイヤーがこっちのワールドに侵入してくると、てきめんにラグが出る。で、そうやってこっちが敵プレイヤーの存在にすら気づけないでいるうちに、侵入してきた敵プレイヤーはゆうゆうとこっちをキルしていく。

 ちなみに「夢オチ」というのは、この手の「おんぼろマシンや回線のせいでラグって死ぬ」ことを指す、「戦之王」内部での日本語スラングだ。由来は簡単で、「こんな不条理な死に方、夢だったとでも思わないとやってられない」というだけのこと。


「ナギサこそさぁ、また真面目にゲームやんなよ。

 あんた、ちゃんとゲームしてた頃のほうが、ずっとイケメンだったよ?

 今だって、コーチとか解説者とか、リクエストがあるんでしょ?」


 ……また、姉さんお決まりのお説教か。

 炭酸が抜けかけたアップルサイダーを口にしようとしていた僕は、軽くため息をついて、ペットボトルを机の上に戻す。


 3年前まで、僕はe-sportsのプロ選手として、シンガポールを中心として活動してた。日本人選手にとって台湾はいまやホームとでも言うべき土地で(というか日本には法律によりe-sportsのプロリーグは存在しない)、僕もプロデビュー戦は台湾だったけれど、世界の頂点を巡る戦いとなれば、やはりシンガポールだ。

 勢いで乗り込んだシンガポールでは散々痛い目にもあったし、何度も台湾リーグへの復帰を考えたけれど、そのたびに姉は僕を励ましに(あるいはただ単に観光がてら)、わざわざシンガポールまで来てくれた。そしてそのたびに僕は姉の前で大泣きしながら、「チャンピオンリングをゲットするまで、絶対に帰らない」と喧嘩腰で言い放った。


 シンガポール・リーグの3部でくすぶっていた僕を救ってくれたのは、香港生まれのトッププロ、アミタ・チュ――本人曰く「アミタ・オータム」だった(僕らは彼女のことをAAと呼んでた)。

 彼女はどんなゲームでも攻撃的前衛アサシンを選びたがる僕に向かって「突撃馬鹿」と言い放つと、怒った僕を同キャラ対決で完封してみせた。彼女の専門は後衛のダメージ担当ADCなのに。

 もっとも、彼女は1部リーグのスター選手だ。3部の僕が勝てないのは、当然のこと。AAくらいのプロゲーマーになれば、専門以外のキャラを使ったって、そこらのにわかプロ程度、束になって来たとしてもまとめて討ち取るペンタキルのは容易だ。そんな実力差があることは、わかっていた。ギャラリーも、僕も。

 なのに僕は涙目になりそうな自分をこらえるのに精一杯で――そしてそのことに僕はかなり驚いていた。


 でも本当の驚きは、AAとの初勝負が終わった直後にやってきた。

 AAは僕と握手すると、こう言い放ったのだ。


「あなた、私のチームExPendablEsの、司令塔コーラーをやりなさい」


 その場にいた全員が、凍りついた。正確には、僕だけが凍りついていた。

 周りの連中は一斉にスマホを手に取ると、SNSに向かって「AAが無名の日本人をEPEsのコーラーにスカウトした」と書き込んでいた。


 それから半年ほど経って、僕はEPEsのレギュラーとして、富と名声の両方を手にしていた。


 自分でも驚きだったけれど、日本で遊んでいた頃には攻撃的前衛アサシンでブイブイいわせてきた僕には、実はコーラーとしての才能があった。敵チームがどんな奇策を練ってきても、僕には自然と彼らの意図が“見えた”のだ。

 EPEsデビュー戦で敵チームが仕掛けた捨て身の待ち伏せを先読みして待ち伏せし、次のマッチで定石外れの奇襲に対して先手を打ってカウンターで奇襲をしかけた僕は、「ナギィのインカムには不正な装置がついていて、敵チームのチャットを傍受している」「ナギィは不正な機材を持ち込んでいて、TVでの実況放送を見ながら試合をしている」などと疑われることになった。まぁ、自分のことじゃなきゃ、僕でもそれを疑うような状況だ。

 だが僕は不正などしていなかったし、何度も厳しい調査(それこそケツの穴まで機械で調べられた)を受けたが、結論は「クリーン」だった。


 それからさらに半年が経過し、僕はEPEsのメンバーとともにシンガポール・リーグの表彰台のてっぺんに立って、チャンピオンリングを受け取った。そしてその頃には、「タイムリーパー・ナギィ」(「ナギサには未来が見える」がキャッチフレーズだ)の名も、僕の名前を関したハードウェアと一緒に、アジア全域に知れ渡っていた。


 でもその3日後、同じ表彰台の上で抱き合って喜びを分かちあったAA――ディスプレイネームはAl3XiS――は、シンガポール港に浮いていた。死因は撲殺。誰が、何の目的で彼女を殺したのか、今なお分かっていない。


 僕はEPEsに籍は置き続けたものの、翌年度のシンガポール・リーグには欠場した。僕の後任としてコーラーを務めたベトナムのグエン・グエン・グエンは実にインテリジェントな指揮をみせ、EPEs二連覇の原動力となった。

 そしてEPEsが再び表彰台の頂点を獲ったのを見届けた僕は、マネージャに辞表を出し、日本へ向かう飛行機に乗った。


 それから3年、僕はEPEs時代に稼いだカネを切り崩しながら、ときどきどうしても断れない仕事だけして(「戦之王」のTVCMに出演したりとか)、ダラダラと暮らしている。


チュちゃん、カッコ良かったよね……あたしもショックだった。

 でもさ、チュちゃんのためにも、あんたがいつまでも腑抜けてたら、ダメだよ。

 あんたはさ、ほんとは、すごいヤツなんだよ。

 あの泣き虫なあんたが、世界のてっぺん獲ったんだから。

 そうだ、やっぱ日本に閉じこもってるのが悪いんじゃない?

 あたしも、またランカウイとか行きたいしー。ねえ、連れてってよ!

 うちのダンナ、飛行機嫌いでさあ。海外旅行、一緒に行けないんだもん」


 説教なんだか愚痴なんだかノロケなんだかよくわからない、とりとめのない姉の言葉を聞きながら、僕はすっかり微温ぬるくなったアップルサイダーを、喉の奥に流し込む。

 僕が唯一続けている、贅沢らしき贅沢。「美容と健康に良い」という触れ込みでシンガポールのセレブの間で大人気の逸品だ。ブレイクするきっかけを作ったのは、言うまでもなく、アミタ・秋AA


「じゃあ、またね。来週は忙しいから、あたしはログインできなさそう。

 あんたもゲームばっかしてないで、部屋の掃除とかしなさい?

 またねー」


 言いたいことを言い尽くした姉はスッキリしたのか、ログアウトしていった。

 まったく。実に、いつもどおりの姉さんだ。


 僕はもう一度ため息をつくと、アップルサイダーのペットボトルに口をつけて、そしてもう中身が空っぽになっていることを思い出した。ボトルのキャップをしめ、部屋の隅になんとなく置いた灰褐色のゴミ袋の方角に投げ飛ばす。


 カコン、ポコンとマヌケな音をたてて、ボトルは床に転がった。


 僕はSRHMDからスマホを抜き取ろうと思ったが、それすらなんだか面倒くさくなって、近くにあった毛布を体に巻き付け、床に横になる。

 リモコンで冷房を強に設定すると、強烈な冷風がエアコンから噴き出してきた。

 懐かしい、シンガポールの屋内の、肌寒さ。



 ――ああ。


 何もかもが、夢だったら、よかったのに。



 不安に押しつぶされそうになりながらシンガポール・リーグに挑んだ、あの初めての夜も。

 姉さんの膝に顔を埋めて泣きじゃくった、あの夜も。

 アミタ・秋にコーラーをオファーされた、あの夜も。

 アミタ・秋たちと一緒に世界一の座に上り詰めた、あの夜も。


 アミタ・秋が死んだと聞かされた、あの夜も。


 何もかもが、夢だったら、よかったのに。


 そんな無意味なことを念じながら、僕はきつく目を閉じる。


 ああ。

 何もかもが。

 夢だったら。


 よかったのに。

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