第2話 手間と出現
カツン、カツン。季節は冬、音は良く響く。夕焼け時だが、光は音の主を照らすことはない。
都心の喧騒と建物に飲み込まれる様にしてボロアパート改め、秋元サトシの住まいがあった。二階建てアパートに備わっている鉄製の階段は手すりに触るのも憚られる程錆びている。大学が決まりサトシが入居したのは二年前、業者と下見に来たその日は祝福するような晴天だった。
「日当たりは南! 当分陽をさえぎる建物立つ予定ないから! あと駅まで徒歩五分!」と子気味よく話す不動産屋は建物自体には触れず、コンビニが近いだの、飲み屋が多いだの、と調子のいいコトを言って半ば強制的に決めさせられた。
その半年後。アパート隣の南に一二階建てのビルが建設され始めた。サトシは「お上り学生にはお誂え向きだな」と、自傷気味にそのビルが高くなっていくのを眺めていたのだった。
「鍋パか、しかも闇鍋……」
肩をさすりながら、ぼやくサトシは色落ちしたブルーのスウェット姿にかかとを履き潰したスニーカーという部屋着感丸出しの格好で階段を上る。手には急きょ購入した土鍋とコンロを含めた鍋道具一式が入ったビニール袋。角ばった物が多いせいで袋の所どころに穴が開いてしまった。
鍋パ―ティ開催の発端は大学の旅サークルの友人、有馬コウだ。
今回の旅行にも行かないことを伝えたら、旅行の出発前に決起会をサトシの家でやろうなどと言い出したのが始まりだ。
コウが電話してきたのは午後三時半のこと。
六畳間の畳の上には脱ぎ捨てた服やゴミが散乱している。
サトシは明日は学校がないからと深夜まで数本の映画を見ていたため、コウからの電話で目が覚めた。そしてコウの話を半分に聞きながら部屋のカレンダーを見た。十一月二十二日土曜日。寝ぼけたまま聞いていると、今日の午後に決起会をやる事が決まったようだった。
「今日?眠いんだけど」
「お前、鍋くらいあるっしょ?」
近くに聞かれたくない人でもいたのか、ぼそぼそと話すコウの声はサトシを不快にさせた。サトシの家で決起回などと銘打って、ただ憧れの君と飲みたいだけという思惑を見抜いた所為もある。
「てか本当にうちに来るのか」普段よりも声を大きくして答える。
「声でけーよ」
聞こえてるはずねーよ、とサトシは心の中では言い返す。
「なに、誰かいんの?」
「ヒトミさんだよ、だからあんま大きい声出すな」
「あー、そう」
コウの憧れの君はヒトミさんって名前だっけか、とサトシは首をひねる。反応からして憧れの君は先輩だろうか。
サトシはサークルに顔を出さないせいもあり、何回生かまでは分からない。今回の旅行は三年生が中心となって企画し、四年生も最後だと言って参加する人も多いだろう。寝ぼけた頭でサトシはそう結論付けた。
「土鍋で闇鍋な」コウは恥ずかしさを感じさせない様、口調をとがらせる。
「ちょっと待って闇鍋? あと土鍋ないよ」
何を言ってんの、とサトシは付け加える。闇鍋は参加者によって具材が決まるため非常にリスクの高い食事の一つ、そして食べ物に恨まれそう、とサトシの気分は右肩下がりだ。
「ヒトミさんがやってみたいって言ったんだ。具材は持ち寄りで、酒はうちらが用意するから鍋位いいだろ」
「さいですか、闇鍋ってルールあんの?」コウのぞっこん具合には気分は右肩脱臼だ。
「いや、得にはないけど、自分が美味しいと思うものにしよう。ヒトミさんいるし。買うモノは土鍋とコンロとガス缶、セットの奴な。後は持っていくよ」
ヒトミという言葉に怯えの様な雰囲気をサトシは感じた。
やっぱりコウでも憧れの君との食事は畏れ多いと思うのだろうか、いやならどうして闇鍋だ?食事というか豚のエサの様なイメージしか湧かない。
サトシは相手の思惑を予測しようと頭を回転させる。なぜまたコウの憧れの君をうちのボロアパートに呼ぶのだろう。そもそもコウがいるとは言え顔見知りかどうかも怪しい男の家に行くというのもどうなのだ。節操のない女か、バカか、どちらにせよロクな女じゃないな。名前は『憧れの君』から『やばいヒトミ』にしよう。
思考が落ち着いたサトシは改めて話しはじめる。
「他に誰か来るのか?」
「ああ、ヒッキーとリカちゃんだ。旅行に行くのはもっといるけど、決起会の鍋パはうちらだけだ」
「ヒッキーって誰だっけ、引きこもり? 随分と活動的な引きこもりだな」
「ちげーよ、つかお前ホント知らないのな。引き笑いだからだよ」
「さんまの時期は終わってると思うけど」
「え? ああ、秋は過ぎてるからな」
俺のボケが寒いんじゃない、コウが分かってないだけだ、とサトシは自分に語り聞かせた。
「他に用意するものはあるのか」
「そうだな、寒くなってきたしコタツ出しといて、旅行前にヒトミさんが風邪を引いたら大変だ。一緒に行ける最後の旅行だしな」
「王子様も大変だな」風邪を心配するならこんな所に呼ぶな、そう思いながらもサトシは舌打ちを我慢する。
「ああ、守るさ、何があっても。とりあえず八時位には行くよ」
サトシはコウのあまりに臭いセリフにうんざりした。電話が切れた後に、自分を棚に上げていることを自覚しつつ「大学生はこれだから」と、吐き洩らした。
サトシは金がないという理由だけでなく、大学生というノリがあまり好きではなかった。そのためサークル活動と言う名の旅行には参加はしていない。
「じゃあなんでこのサークル入ったの?」これを言われると「サークルは一つしか入れないと思っていた」なんて恥ずかしくて言えないため「サークルの人達、いい人多いから」と、もっぱら虚言を言った。
サトシは二○三号室のドアの前でため息をついた。全八つの部屋がこのアパートにはある。サトシの部屋は両隣、真下の部屋には誰も住んでいない。住んでいるのは二○四号室以外のアパートの角に当たる部屋位だ。この人気のなさは既に目に見えていた。
鍵を取り出し、調子の悪い鍵穴に刺し込んだ。グッと力を入れて内側に回しこむ。コツがいるのだ。そこで何故か、嫌な感触がサトシの指に伝わった。そして鍵を差し込んでいる手が空を切った。ゆっくりと人差し指と親指につままれている筈の鍵を目の前に持ってくる。あれ、おかしいな、鍵が鍵たる所以のギザギザがない。サトシは疑問に思いながら、鍵穴に目をやると穴もまた穴の役目は果たせなさそうだ。
「……バキッ、じゃねーよ、おいおい合鍵ねーぞ」
ついにこのアパートを出る決心が出来そうだ。宿主が満足に自室に入れないなんて有り得ないだろとサトシは憤る。
ポケットに鍵の根元を戻し、無駄だと分かっていながらドアノブを回す。 キィー、とサトシには聞きなれた音と共にドアが開いてしまった。家を出る時に鍵をし忘れて良かったと思ったが、サトシは複雑な気持ちのまま部屋に入ろうとした。
「コウ?早くね」
ドアの音だけじゃない、聞きなれた音がもう一つ部屋の中から飛び出して来た。そうして、サトシにそっくりな人物が出て来た。彼は腕をまくり、手には泡が付いていた。
「は?」
「は?」
サトシは持っていたビニール袋を落としてしまう。
二人はドアをはさんで唖然としている。サトシは自分と同じ格好、汚い茶髪、何より同じ顔を凝視する。もう一人の人物もまたサトシを見開いた目でジロジロと見入る。
「えーと、誰ですか?」サトシは何とか口を開き言葉を発する。
「えーと、サトシです」サトシと答えた人物も同様に口が重い。
サトシはハッとした、落ち着こう、と。
「「落ち着こうか」」
「「はい」」
思考までも同じなのか、と驚愕する二人はまずは誰かに見られることを避けるため動く。部屋の中にいたサトシは外にいたサトシが落としたビニール袋を拾い上げ、外にいたサトシは素早く部屋の中に入った。
そしてキィ―バタンッとドアが閉まり、サトシは部屋に駆けこんだ。ゆっくりと後ろに目をやる。二人は息を付き、向き合った。
「うん、同じ名前って珍しいですね。顔も似ているようだし」
サトシは会話の主導権を握るために早口になってしまう。
「そうですか、あなたもサトシと言うのですか。自分の部屋にここまで似た方が入るのは始めてです」
部屋にいたサトシは自分の正当性をもう一人に返す。
サトシは「名字は」ともう一人に聞く。「「秋元」」二人は同時に即答する。後に名乗ることはしたくなかったのだ。
「……何で俺の部屋にいるんですか」
「いや、自分の部屋にいて何か問題です?」
そう答えながら腕を巻くっていたのを元に戻していく。
「あははー、面白いこと言いますねー」
サトシはこの部屋に居た人物が顔が似ていて、名前が同じだけの他人の部屋に入ってしまったのではないか、そう思い部屋を眺める。帰ってきたら洗おうと思っていた食器は洗いかけで、食器も見慣れている物。冷蔵庫に貼ってある磁石と家族写真、レンジの上の汚れ具合、ユニットバスの入り口前にたまっている洗濯物、キッチンと六畳間の部屋の間にあるガラス戸の修復跡、何より部屋の汚れ具合は俺の部屋だ、とサトシの顔は青くなる。類は友を呼ぶとは言うが、自分とまったく同じ人物を呼んだ覚えはない。
「どうやって入ったんです?」
サトシは部屋にいたサトシにおどおどしながら聞く。
「鍵です」
部屋にいたサトシはポケットから鍵を取り出す。それを見たサトシは自分の折れたカギを取り出して見る。
「その鍵、折れたってことは部屋間違えたんじゃないですか?」
「ああ、そうだと思いたいですが、ドアが開いていたから鍵を逆に回して折れたんです」
「ですか、それとこれ、鍋、ですよね」
部屋にいたサトシは鍵をポケットにしまい、持っていたビニール袋を持ち上げる。
「はい……」二人の頭に嫌な予感がよぎる。
「俺も、同じ物買ってきたんです……」
そう言って指を指した方向には冷蔵庫前に置いてある鍋道具一式が入ったビニール袋がだらしなく横になっていた。おまけに所どころ穴まで開いている。
「……そうですか」
お金の無駄じゃね、そう頭に浮かんだサトシはすでに分かっていた。そう俺は、いや俺たちはドッペルゲンガーに出会ってしまった、と。
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