わたしの彼は奥秩父

桃山次郎

第1話

「名字の語感が良いので結婚してください」


親の仕事の都合で、新しい中学校に転校してきた俺は、はじめのクラスでの自己紹介を終え、指定された席に座った途端、隣の可愛い女の子から、こう告げられた。


俺は驚き、


「俺の名字は、奥秩父だよ?本当にいいの?」


と初対面の人に告白されたことは脇に置き、ピントのずれた回答をしてしまう。


「私の名前は田中多摩子。”たまこ”の”たま”は奥多摩の”たま”よ。なんとも平凡な名字と名前でうんざりしてたのだけど、奥秩父多摩子なら、なんとも広大な大自然って感じがしてとっても素敵。」


「大自然?」


「うん、やっほーって思わず叫びたくなるくらい。で、結婚する?」


「結婚する!」


可愛い女の子に告白されて断るのは重罪なので、思わずかぶせるような速度で了解してしまう。


「鸚鵡返しって、山彦みたいだね」


変なところがつぼに入った彼女はクスクスと笑い続けていた。


三ヶ月間、俺と彼女は、仲良く付き合い続けた。奥秩父の判子が売っている判子屋さんを探し求め、何十軒も回り続けたときは疲れたけれど、宝探しみたいでわくわくした。


けど、順調だった僕たちの恋愛にも、数ヶ月後試練が訪れた。


「多摩子、ごめん。父がまた転勤することになり、学校を移ることになったんだ」

「奥秩父くんと離れ離れになるのは悲しいけど、絶対分かれたくない。夏休みは、奥秩父くんの所に遊びにいくわ。私、奥秩父行ったことないから楽しみ。」


「多摩子ごめん。僕の引越し先は奥秩父ではない。しかも父さんの新しい勤務地でもないんだ。」

「どういうこと?」

「父さんのあまりに多い異動に母さんが耐えられなくなって、離婚することになったんだ。それで、母の実家に俺は付いていくことになったんだ。」

「もしかして」

「もしかして…?」

彼女がシリアスな口調でつぶやくので、思わずいつもの鸚鵡返しが口に出てしまう。


「もしかして奥秩父君の名字も変わるの?」


「うん、母と同じ姓に変わるよ」


「元秩父君、新しい土地でも元気でね。きっといい人見つかるよ!」


「ちょちょっと待って!さっきまでは引越ししても付き合い続けようって言ってたじゃん。」


「わたし、奥秩父くんのことは好きだけど、元住吉くんのことは好きじゃない。あ、そうだ、お父さん離婚したなら、新しい勤務地を教えてくれない?」


「僕の父さんと結婚して、奥秩父を目指すのはやめて」


「では義理の親子になるプランもなしね…。さようなら元横綱くん。ところでモトローラ君の新しい名字は何?」


「大和村だよ。」


「大和村くん、今すぐ結婚しない?」


「結婚しない!」


鸚鵡返しが放課後の教室に響き渡った。

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