第319話 「さくら」




 桜が咲き始めた。

 駅前で見事なしだれ桜を見た。

 たった一本だけ、雑沓に埋もれるように咲いていた桜。


 さくら、さくら、なんと美しい響き。

 花はなんでも好きだけど、一番好きなのはなんといっても桜。

 色も形も優しく、潔いもの。

 3月下旬から4月にかけて、街が薄紅色で染まるこの時期が一年で一番好きだ。

 そして、桜を見るたびに、自分はあと何回この花が見れるのかな……と感傷的な気分になる。


 そう思うのは自分だけではないと知ったのは、茨木のり子さんの「さくら」という詩を知ってから。


 ***



 ことしも生きて

 さくらを見ています

 ひとは生涯に

 何回ぐらいさくらをみるのかしら

 ものごころつくのが十歳ぐらいなら

 どんなに多くても七十回ぐらい

 三十回 四十回のひともざら

 なんという少なさだろう

 もっともっと多く見るような気がするのは

 祖先の視覚も

 まぎれこみ重なりあいかすみ立つせいでしょう

 あでやかとも妖しとも不気味とも

 捉えかねる花のいろ

 さくらふぶきの下を ふららと歩けば

 一瞬

 名僧のごとくにわかるのです

 死こそ常態

 生はいとしき蜃気楼と



 ***


 みんな同じことを考えているんだね。

 みんな桜を愛してやまないんだね。

 桜に死生観を重ねて、この国の人たちは生きてきたんだね。

  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る