第264話 あなたが表現しようとしているものは尊とい




 てんで自信がない時は、夏目漱石の「草枕」の序文を読むことにしている。


 ***


 山路やまみちを登りながら、こう考えた。

 に働けばかどが立つ。じょうさおさせば流される。意地をとおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさがこうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいとさとった時、詩が生れて、が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、つかの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命がくだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするがゆえたっとい。


 ***


 表現こそが芸術であり、芸術は人の世を長閑にする。

 人の心を豊かにし、自分もこれまで存分に豊かにされてきた。

 だから尊い。なにがなんでも尊い! 自分は尊い! 俺TUEEE! 

 と催眠術にかかったがごとく信じて……あなたも私も書かねば。


  

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